戦争を止めた魔王
戦争を止めた魔王
人類連合の軍議に、激震が走った。
「——強硬派が降伏した?」
将軍ガルヴァスが椅子から立ち上がった。顔が信じられないという表情で固まっている。
「しかも戦闘なしで?」
「はい」フェリクスが報告書を読み上げた。「魔族強硬派総大将ベリオスが自ら膝を折り、配下の将兵三百余名が武装を解除。死傷者はゼロです」
軍議室がざわついた。
将軍たちが顔を見合わせている。国王は玉座から身を乗り出し、宰相は目を見開いている。大神官は聖典を握りしめたまま微動だにしない。
そしてヴァルゼンは——軍議室の隅で、できるだけ目立たないように縮こまっていた。
(帰りたい。帰って布団にくるまりたい。なんで僕がこの場にいなきゃいけないの)
「フェリクス殿。もう少し詳しく」
宰相が手を挙げた。老獪な政治家の目が、フェリクスに据えられている。
「魔王殿が単身で敵陣に赴き、ベリオスと直接交渉したと?」
「その通りです。魔王殿は一人で強硬派の陣営に入り、まず下級兵との接触で彼らの戦意を削ぎ、その上でベリオスと二度にわたる対面交渉を行いました。結果、ベリオスは自発的に降伏を宣言しました」
将軍ガルヴァスの顔色が変わった。
「たった一人で——ベリオスを? あの不敗のベリオスを?」
「武器は使っていません。魔法も。使ったのは——言葉だけです」
軍議室が水を打ったように静まった。
(言葉だけって言うとすごく聞こえるけど、実際は「怖いんでしょ」って聞いただけなんだよな。それで相手が泣いて、僕も泣いて、結果的になんとかなっただけで——)
国王が玉座から立ち上がった。
「魔王ヴァルゼン殿」
名前を呼ばれて、ヴァルゼンの背筋が伸びた。反射的に。
「あ、は、はい!」
「見事だ。全面戦争を回避してくれた礼を言う」
国王が深く頭を下げた。軍議室にいる全員の目が丸くなった。国王が——頭を下げている。
(やめて! 国王陛下が頭を下げるのはまずいって! 制度的にまずいって!)
「いえいえいえ、そんな——僕は大したことは何も——」
宰相が溜息をついた。深い、深い溜息だった。
「……戦争を止められる魔王、か」
その呟きには、複数の感情が入り混じっていた。畏怖。感嘆。そして——敗北の色。
「正直に申し上げましょう」
宰相がヴァルゼンに向き直った。その顔には、苦笑のようなものが浮かんでいた。
「私は当初、魔王殿を危険視しておりました。武力で人間社会を脅かす存在になるのではないかと。ゆえに、密かに対策を練っておりました」
(やっぱり対策練られてたんだ。知ってた。絶対そうだと思ってた)
「だが——戦わずして敵軍を降伏させる王を、どう対策しろと言うのです」
宰相が天を仰いだ。
「武力であれば対抗手段がある。策略であれば看破できる。だが——言葉で軍を瓦解させる者に、こちらが差し向けられるのは何だ? より優れた話し手か?」
将軍たちから乾いた笑いが漏れた。
「もう手が出せん。白旗だ」
宰相がそう宣言したとき、軍議室の空気が決定的に変わった。
人類連合の政治的最高頭脳が、公式に降参を表明したのだ。
(降参って——僕は別に宰相さんと戦ってなかったんだけど)
エルヴィンが隣でにやりと笑った。
「聞いたか、ヴァルゼン。宰相殿が白旗だと」
「い、いや、あの——」
「お前の政治的地位は、もう不動だ」
(政治的地位? 僕にそんなものがあったの? ていうか欲しくないんだけど、そんなもの)
将軍たちが次々と立ち上がり、ヴァルゼンに敬礼した。形式的な敬意ではなかった。戦場で命を預ける相手への、本物の敬意だった。
ヴァルゼンの胃が、きりきりと痛んだ。
(胃薬……胃薬をください……)
軍議の後、廊下を歩きながら、ヴァルゼンは壁にもたれかかった。
「はぁぁぁ……」
深い溜息だった。人生で三番目くらいに深い溜息だった。
ザガンが静かに隣に立った。
「お疲れ様です、陛下。見事な軍議でした」
「ザガン……僕は一言も見事なことを言ってないんだけど」
「ええ。それが見事なのです」
(意味がわからない。本当に意味がわからない)
窓の外には、平和な王都の景色が広がっていた。この街が戦場にならずに済んだことだけは——素直に、嬉しかった。




