帰還——戦わずして
帰還——戦わずして
帰路は、行きとはまるで違っていた。
行きは単身だった。震える足を引きずって、敵陣に向かって歩いた。いつ殺されてもおかしくない道のりを、胃痛を抱えながら進んだ。
帰りは——なぜか大所帯になっていた。
「陛下、お足元にお気をつけください」
ザガンが隣を歩いていた。いつの間にか変装を解いている。
その後ろに——帰順した魔族の兵士たちが、長い列を作っていた。
(なんで増えてるの。行きより人数が増えてるのはどういうことなの)
先頭にいるのはベリオスだった。鎧を脱ぎ、武器を部下に預けた姿は、戦場で見た威容とは別人のようだった。だが体躯は変わらない。ヴァルゼンの頭二つ分は優に超える巨体が、すぐ後ろを歩いている。
(近い。近いよ。もうちょっと離れてくれないかな。怖いんだけど)
ベリオスの視線が、時折ヴァルゼンの背中に注がれていた。観察するような、品定めするような——しかし敵意はない。
穏健派の魔族たちとの合流地点に着いたとき、歓声が上がった。
「帰ってきた! 魔王様が帰ってきたぞ!」
「戦争にならなかったんだ……!」
「ベリオス将軍が降伏した? 嘘だろ!?」
魔族の穏健派たちが駆け寄ってきた。老人が泣き、子供がはしゃぎ、若い魔族たちが顔を見合わせて安堵の息を吐いていた。
ヴァルゼンは——笑った。
作り笑いではなかった。心の底から、安堵の笑みだった。誰も死ななかった。戦争にならなかった。それが嬉しくて、自然と顔が綻んだ。
「よ、よかった。皆さん、無事で——」
その瞬間、穏健派の長老が膝を折った。
「おお……この笑顔。勝者でありながら、民の無事を第一に喜ばれるとは」
(勝者って何。僕は何にも勝ってない。怖い人と話したら泣いてただけだよ)
続いて若い魔族たちも膝を折った。帰順した強硬派の兵士たちも、穏健派に倣って頭を下げた。気がつけば、ヴァルゼンの周囲にいる魔族の全員が跪いていた。
(やめて。本当にやめて。その光景が一番怖い)
ザガンが小声で耳打ちした。
「陛下。ここは一言、お声をかけてください。『共に歩もう』の一言で結構です」
「え、えっと——」
ヴァルゼンは跪く魔族たちを見回した。穏健派も、元強硬派も、区別なく頭を垂れている。
「あの……皆さん。僕は、その、大したことはしていないんです。ただ——」
言葉が詰まった。何を言えばいいのかわからなかった。
「——ただ、戦いたくなかっただけで。皆さんが傷つくのが嫌で、それだけで……」
沈黙が落ちた。
穏健派の長老が顔を上げた。その目に涙が光っていた。
「……それを、言えるお方がいるとは。魔族の王として、『戦いたくない』と。『傷つくのが嫌だ』と」
「え? いや、普通のことだと思うんですけど——」
「普通ではありません」
長老の声が震えた。
「先代魔王は偉大でした。しかし——先代は決して、そのようなことは仰らなかった。戦うことが魔族の誇りだと、先代は最期までそう信じておられた」
ベリオスが、列の後方で目を伏せた。
「だからこそ」長老が続けた。「あなたの言葉は——我らにとって、初めて聞く《《救い》》でございます」
(救い。僕の言葉が。「戦いたくない」が、救い)
ヴァルゼンには理解できなかった。でも、目の前で泣いている老人が本気であることは、わかった。
「……よろしく、お願いします」
それだけ言うのが精一杯だった。
帰順した魔族たちの処遇は、ザガンが手際よく取りまとめた。元強硬派の将校たちには穏健派の集落への分散配置を提案し、武装は解除するが自由は保障する方針を示した。
「さすがはザガン殿。実務が早い」
フェリクスが感心したように言った。変装を解いたフェリクスは、すでに手帳に何かを書き込んでいる。今日の出来事の記録だろう。
「実務は私の仕事です。陛下には、もっと大きなことをしていただかねばなりませんので」
(もっと大きなこと。何。もう勘弁してほしいんだけど)
帰順した魔族の一団が、出発の準備を始めた。ヴァルゼンは少し離れた丘の上から、その光景を眺めていた。
つい昨日まで敵対していた者たちが、今は同じ方向に歩こうとしている。
「……よかった」
小さな声で呟いた。聞こえないように。
だがベリオスの耳は鋭かった。
振り返ると、巨体の将軍が少し離れた場所に立っていた。視線がぶつかる。
(ひっ)
ベリオスが——口の端を、ほんの僅かに持ち上げた。
笑った、のだろうか。あの鉄面皮が。
「……お前は変わった魔王だ」
低い声が風に乗った。
「見届けるぞ。最後まで」
ヴァルゼンは返事ができなかった。ベリオスの微笑が、恐怖と感動を同時に運んできて、感情の処理が追いつかなかったのだ。
なので——小さく、頭を下げた。
ベリオスが踵を返した。
その背中を見送りながら、ヴァルゼンは思った。
(怖い人が味方になった。それは嬉しいことのはずなのに、怖い人が近くにいる時間が増えるということでもあるんだよな……)
安堵と恐怖が同居する、いつも通りの感情だった。




