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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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出発準備

 出発準備


 決断が下された午後、宿は嵐の前の静けさに包まれていた。


 ザガンが作戦室——と呼んでいるが実態は宿の空き部屋だ——に全員を集め、最終的な作戦を詰め始めた。


「侵入経路を確認します」


 ザガンが地図に赤い線を引いた。ベリオスの陣営を南東から迂回し、補給路に沿って進入する経路だ。


「この南東路は下級兵の補給部隊が使用する搬入路です。精鋭の直轄部隊は北と西の経路を使うため、ここの警備は最も手薄。陛下はこの経路から入り、まず下級兵の宿営地を通過していただきます」


「宿営地を通過って——見つかりませんか」


「見つかります」


(見つかるのか)


「ただし、見つかることが前提です。陛下が一人で、武器も持たず現れれば——下級兵は混乱します。攻撃するか、報告するか、判断に迷う。その隙に対話を始める」


 フェリクスが地図を覗き込んだ。


「賭けですね。下級兵が即座に攻撃してこないという前提に立っている」


「戦いたくない兵士が、丸腰の魔族一人を即座に斬り殺すとは考えにくい。もちろん確率の問題ですが——陛下の交渉力に賭ける価値はあります」


(交渉力なんてない。命乞い力ならあるかもしれないけど)


 グリゼルダが地図の別の地点を指さした。


「我々の待機位置はここでよいか。陣営北側の林。本陣まで三十秒圏内」


「はい。ただしグリゼルダ殿は変装が必要です。人間の女騎士が魔族の陣営周辺をうろついていれば、即座に発見されます」


「変装は得意ではないが……」


「行商人に扮してください。この地域には戦時でも物資を売りに来る商人がいます。不自然ではありません」


 グリゼルダの顔が微妙に歪んだ。大剣を振るう女騎士が行商人。似合わなさは宇宙規模だが、本人は文句を言わなかった。


 フェリクスが小さな水晶球を取り出した。掌に収まるほどの大きさで、淡い青色に輝いている。


「通信魔具です。片方を陛下が持ち、片方を私が持つ。距離にして五百歩以内であれば、音声の送受信が可能です」


「五百歩……陣営の中からだと、ぎりぎりですね」


「外縁部に私が潜伏できれば、ぎりぎり届くはずです。交渉の推移をリアルタイムで把握し、万が一の際は即座にエルヴィン殿に合図を送ります」


 エルヴィンが腕を組んだ。


「合図があったら、突入する。それだけだ。——シンプルでいい」


(シンプルすぎて怖い。「突入する」の一言で三万の軍勢の中に飛び込むつもりなのか、この人は)


 ミラベルが鞄を三つ並べた。中から瓶や布が覗いている。


「回復薬を三十本用意しました。傷薬と解毒薬も。それと——」


 布に包まれた小瓶を取り出した。中身は淡い金色の液体だ。


「聖水です。最悪の場合に備えて」


 最悪の場合。つまり、死にかけた場合。


 ヴァルゼンの胃がきゅっと縮んだ。


「あ、ありがとう、ミラベルさん」


「使わないで済むことを、お祈りしています」


 準備は夕方まで続いた。


 ザガンは侵入経路の細部を何度も確認し、地形の起伏、木の配置、月の出る方角まで計算に入れていた。フェリクスは通信魔具の動作テストを繰り返し、距離による音質の変化を手帳に記録している。グリゼルダは行商人の衣装を試着して「こんな薄い布で戦えるのか」と文句を言い、ミラベルは回復魔法の短縮詠唱を部屋の隅で練習していた。七秒。六秒。五秒半。小さな声で呪文を唱えるたびに、掌に淡い光が灯る。


 全員が、自分にできることを全力でやっている。


 ヴァルゼンは——その光景を、作戦室の隅から眺めていた。


(この人たちは、僕のために動いてくれている。誤解の上にだけど。でも——この気持ちは誤解じゃない。……多分)


 ザガンが小さな袋をヴァルゼンに手渡した。中身は乾燥した木の実と干し肉。


「携行食料です。交渉が長引いた場合に備えて」


「あ、ありがとう」


「それと——」


 もう一つ、薄い布の包みを渡された。開けると、小さな木彫りの護符が入っていた。角のある獣の意匠。魔族の護符だ。


「これは——」


「お守りです。効力があるかどうかは保証できませんが」


 ザガンの表情は変わらなかった。だが尾の先が、ほんの僅かに揺れていた。


(ザガンが、お守り。この人にもそういう感覚があるんだ)


「ありがとう。——大事にします」


 護符をローブの内ポケットに仕舞った。木の温もりが、胸に触れた。


 エルヴィンは——何もしなかった。


 ヴァルゼンの隣の椅子に座って、ただ黙っていた。


「エルヴィン。手伝わなくていいの?」


「んー? 俺の仕事は突入だけだからな。準備は特にない」


「……それだけ?」


「それだけだ。お前が帰ってくるのを待って、帰ってこなかったら殴り込む。——勇者の仕事なんて、大体そんなもんだ」


(大体そんなもんなのか。勇者って)


 エルヴィンの横顔を見た。いつもの太陽のような笑顔はなかった。代わりに——静かな、芯のある表情。この男が黙っている時は、腹を括っている時だ。短い付き合いでも、それだけはわかった。


(この人も——怖いのかもしれない。ただ、怖さの出し方が僕とは違うだけで)


 夕暮れが近づいていた。


 窓の外が橙色に染まっている。明日の今頃、自分はどこにいるのだろう。ベリオスの陣営の中か。それとも——


(考えるな。考えたら足が動かなくなる)


 ザガンが最後の確認を終えた。


「出発は明日の未明。夜陰に紛れて南東路に入り、夜明け前に宿営地に到達する予定です」


「了解」


「陛下。今夜はお休みください。明日に備えて」


「……うん。寝られるかわからないけど」


「胃薬の追加を用意しておきます」


(ザガンは本当に気が利く。気が利きすぎて逆に怖い時もあるけど)


 作戦室を出て、自室に戻った。


 部屋は暗かった。蝋燭に火を灯すと、机の上に便箋と羽根ペンが目に入った。


 ふと——思いついた。


(遺書、書いておこうかな)


 縁起でもない。でも、書かずに後悔するよりはいい。


 椅子に座り、羽根ペンを手に取った。


 窓の外では、東の空に最初の星が瞬いていた。


 全面戦争まで、あと二日。


 ヴァルゼンは——ゆっくりと、インク壺にペンを浸した。


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