表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/156

決断の朝

 決断の朝


 夜が明けた。


 ヴァルゼンは一睡もできなかった。ベッドの上で天井を見つめたまま、何度も何度も、同じ思考を繰り返していた。


(行くのか。本当に行くのか。敵の陣営に。一人で。三万の兵の真ん中に)


 恐怖が全身を支配していた。手が震え、足が冷たく、胃の底が鉛のように重い。


 だが——逃げるという選択肢は、もう消えていた。


 朝食の席で、パーティ全員が揃った。


 エルヴィン。グリゼルダ。フェリクス。ミラベル。ザガン。


 六人分の朝食がテーブルに並んでいる。湯気が立つスープ。焼きたてのパン。ミラベルが淹れた紅茶。いつもの朝だった。


 だが——この朝食が、戦争を前にした最後の穏やかな朝になるかもしれない。


「皆さん」


 ヴァルゼンが口を開いた。全員の視線が集まった。


「昨夜、ザガンから報告がありました」


 ザガンが地図を広げ、強硬派の内部事情を説明した。一枚岩ではないこと。下級兵の多くが戦いを望んでいないこと。南東の搬入路が手薄であること。


 パーティの表情が変わっていった。


「——つまり、交渉の余地がある」


 フェリクスが真っ先に要点を掴んだ。


「正面衝突を避け、内部の厭戦感情を利用して軍を瓦解させる。理に適った作戦です」


「で、誰が行くんだ?」


 エルヴィンが訊いた。


 沈黙が落ちた。


 ヴァルゼンは——深呼吸をした。震える息を、ゆっくりと吐き出した。


「僕が行きます」


 短い沈黙。


「ベリオスの陣営に。一人で。交渉しに」


 沈黙が、鉄のように重くなった。


 最初に動いたのはエルヴィンだった。太陽のような笑顔が消え、碧い瞳が鋭くなった。


「——ヴァルゼン。それは、さすがに賛成できない」


 グリゼルダが一歩前に出た。


「同感です。単身で敵陣に赴くなど、武人として看過できません」


 ミラベルが目に涙を浮かべた。


「ヴァルゼン様……そんな危険なこと……」


 フェリクスがモノクルを押し上げた。


「軍事的に見ても愚策です。交渉の切り札を敵の懐に差し出すようなものだ」


(切り札って僕のことか。ゴブリンより弱い切り札って何だ。ジョーカーですらない。白紙のカードだ)


 反対の嵐。予想通りだった。


 ヴァルゼンは胃の痛みを堪えながら、震える声で続けた。


「大人数で行ったら、戦争の使者に見えるんです。勇者パーティが揃い踏みなんて、完全に宣戦布告じゃないですか」


 フェリクスの目が光った。


「……なるほど。あえて弱い立場を見せることで相手の警戒を解く。最小人数での交渉は、敵意のなさを証明する最も効果的な手段だ」


(そこまで考えてない。仲間を危険にさらしたくないだけなんだ)


 ザガンが静かに頷いた。


「陛下が単身で赴くことの意味を、最も深く理解しておられる」


(理解してない。怖いから一人で行くんだ。一人分の被害で済むように)


 エルヴィンが腕を組み、長い沈黙の後に息を吐いた。


「……わかった」


「え」


「お前がそこまで考えて出した結論なら——俺は信じる」


 碧い瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見た。


「ただし、条件がある。俺たちは離れた場所で待機する。何かあったら即座に突入する。それだけは譲れない」


「私も陣営の外縁に潜伏します」


 グリゼルダが大剣の柄に手をかけた。


「万が一の際は——三十秒で本陣に到達できる距離を維持します」


 フェリクスが手帳を開いた。


「通信魔具で連絡を維持します。交渉の推移をリアルタイムで把握する必要がある」


 ミラベルが涙を拭いて立ち上がった。


「回復魔法の短縮詠唱を練習します。七秒で完全回復できるように」


 全員が——反対から、支援に切り替わっていた。


 ヴァルゼンは泣きそうだった。


(なんでこの人たちは、こんなに……僕なんかのために……)


「……ありがとう、ございます」


 声が掠れた。


 エルヴィンが拳を突き出した。


「礼を言うな。仲間だろう。——行ってこい、ヴァルゼン。お前なら、できる」


 拳を合わせた。骨同士がぶつかって痛かった。


 グリゼルダが深く頭を下げた。


「覚悟の震え——武人として、最大の敬意を表します」


(覚悟の震えじゃなくて、恐怖の震えなんだけど。でも——今は、訂正しない)


 ミラベルが両手でヴァルゼンの手を包んだ。


「必ず——必ず無事に戻ってきてください」


「うん。……必ず戻る」


(戻れるかわからない。でも、この人の前では「戻れないかも」とは言えない)


 フェリクスが静かにモノクルを拭いた。レンズが曇っていた。


「魔王殿。あなたの判断は——私には真似できません」


 ザガンが一歩前に出た。


「陛下。敵陣の配置と警備の隙間は把握済みです。最も安全な侵入経路を、最終確認いたします」


「ザガン」


「はい」


「——ありがとう」


 ザガンの表情が、わずかに崩れた。ほんの一瞬——先代魔王に仕えていた頃の、若い参謀の顔が覗いた。


 午後は準備に費やされた。


 ザガンが侵入経路を最終確認し、フェリクスが通信魔具の動作を検証した。グリゼルダは変装用の衣装を調達し、ミラベルは治癒薬を詰めた鞄を三つ用意した。


 エルヴィンは——ヴァルゼンの隣で、ずっと黙って座っていた。


「エルヴィン。何も言わないの?」


「ん? ああ。お前が決めたことだ。俺が言うことは何もない」


「……いつもは色々言うのに」


「いつもとは違うだろ。——お前は今、本気だ。本気の人間に、余計な言葉はいらない」


 ヴァルゼンは少し驚いた。エルヴィンは太陽のような男だが、こういう時に黙って寄り添えるのは——やはり、勇者の器なのだろう。


(僕は勇者じゃない。でも——この人たちがいてくれるから、臆病者でも前に進める)


 出発は明日の未明。


 全面戦争まで、あと二日。


 ヴァルゼンの決断の朝は——こうして、仲間たちの覚悟とともに過ぎていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ