王城の大広間は、怒号で満ちていた。
王城の大広間は、怒号で満ちていた。
人類連合の緊急軍議。長テーブルを囲むのは、各国の将軍と参謀官、そして国王直属の近衛騎士団長。壁際には記録官と伝令兵が控えている。
ヴァルゼンは末席に座っていた。正確に言えば、末席に座りたかったのだが、エルヴィンに腕を掴まれて上座に引きずられた。
(なんで僕が上座にいるんだ。ここは将軍たちの席だろう。場違いにも程がある)
「諸君、事態は深刻だ」
筆頭将軍のガルヴァスが立ち上がった。五十代の歴戦の猛者で、顔の半分を横切る古傷が威圧感を増している。
「旧魔王軍の残党が東部辺境に三万の兵を集結させた。率いるは『鉄壁』のベリオス。偵察部隊の報告によれば、兵の錬度は高い。大戦時の精鋭がそのまま残っている」
どよめきが広がった。
「三万だと……大戦時に我々が総力戦で相手にした規模だぞ」
「しかもベリオスは、大戦末期に我が第七方面軍を壊滅させた男だ。正面戦闘では——」
「魔王軍の再来だ。これは紛れもなく、魔王軍の再来だ!」
軍議が紛糾し始めた。将軍たちが口々に意見を述べ、その声量は上がる一方だった。
ヴァルゼンは椅子の上で小さくなっていた。
(怖い。将軍たちの声が怖い。威圧感がすごい。なんで僕ここにいるの)
「ここで一つ、確認すべきことがある」
ガルヴァスが視線をヴァルゼンに向けた。軍議の参加者全員が、同時にこちらを見た。
数十対の目が突き刺さった。
(う。胃が。胃が痛い)
「ヴァルゼン殿。貴殿は旧魔王軍の——名目上とはいえ——頂点に立つお方だ。ベリオスの挙兵について、何かご存知のことは?」
「え、えっと——」
口を開いた瞬間、鼻の奥がむずむずした。
朝から続く緊張で、身体が限界を迎えていた。花粉か、埃か、あるいは純粋なストレスか——
「——くしゅっ」
くしゃみが出た。
大広間に、小さなくしゃみの音が響いた。
一瞬の沈黙。
フェリクスが腕を組んだ。
「——威嚇だ」
「は?」
「将軍方、今のをお聞きになりましたか。魔王殿は、言葉ではなく気配で意思を示された。あれは強硬派に向けた宣戦布告の——比喩的表現です」
(くしゃみだよ! ただのくしゃみ! 比喩的表現ってなんだ!)
将軍たちの間に、奇妙な緊張が走った。
「……なるほど。言葉にせずとも、覚悟を示すか」
ガルヴァスが顎を撫でた。
「さすがは魔王を名乗るお方だ。腹の据わり方が違う」
(据わってない。胃が据わってない。今にも吐きそうだ)
エルヴィンが立ち上がった。椅子が大げさに鳴った。
「諸将、聞いてくれ。ヴァルゼンがこの場にいるということは——こいつは逃げていないということだ。旧配下の反乱に対して、真正面から向き合おうとしている。その覚悟を、まず認めてほしい」
(逃げたい。本当は逃げたい。逃げられないから座ってるだけだ)
しかしエルヴィンの言葉は、軍議の空気を変えた。将軍たちの中に、ヴァルゼンに対する警戒と同時に——微かな敬意のようなものが生まれていた。
軍議は対策の具体論に移った。
「まずは主力を東部辺境に展開し、防衛線を構築する。ベリオスの進軍を食い止めつつ、側面から騎兵隊で——」
「いや、攻撃は得策ではない。ベリオスの戦術は『鉄壁』の異名の通り、守りに回ると手がつけられん。こちらから攻めれば、相手の土俵に嵌まる」
「では包囲か。しかし三万を包囲するには——」
意見が対立し、怒号が飛び交った。
ヴァルゼンは必死で議論についていこうとしたが、軍事用語の嵐に頭がくらくらしていた。
(外翼展開……鶴翼の陣……兵站路の遮断……全部わからない。僕は戦略なんて一つも学んだことがない)
ガルヴァスが再びヴァルゼンに目を向けた。
「ヴァルゼン殿。——貴殿のお考えを伺いたい」
全員の視線が集中した。
(え。僕に聞くの? 僕は何もわからないんですが?)
沈黙が痛かった。何か言わなければ。何でもいいから。
「あの……その……戦争は、ちょっと……」
それが、絞り出した言葉のすべてだった。
再びの沈黙。
フェリクスのモノクルが光った。
「——なるほど」
(なるほどじゃない。何がなるほどなんだ)
「将軍方。魔王殿は、『ちょっと』と仰った。これは——『まだ動くべきではない』という戦略的忍耐の表明です」
「戦略的忍耐?」
「ベリオスの狙いは、我々を挑発して先制攻撃させることにある。先に動いた方が不利になる局面です。魔王殿はそれを見抜いて——『ちょっと待て』と仰っている」
(「ちょっと」は「ちょっとやめてほしい」の「ちょっと」だ。戦略的忍耐じゃない。ただ戦争が嫌なだけだ)
しかし、軍議の空気が変わった。
「……確かに。挑発に乗って先制攻撃すれば、国際的にも我々が侵略者の立場に回る」
「ベリオスの挙兵は『魔族の復興』を掲げている。我々が先に攻めれば、中立的な立場の魔族まで敵に回しかねん」
「つまり——待つのが正解か」
ガルヴァスが深く頷いた。
「ヴァルゼン殿の慧眼に感服する。性急に動くことの危険を、一言で見抜かれた」
(見抜いてない。一言しか出てこなかっただけだ)
エルヴィンが満面の笑みで、ヴァルゼンの肩を叩いた。衝撃で椅子ごと揺れた。
「さすがだ、ヴァルゼン! 将軍たちが三十分かけて辿り着けなかった結論を、お前は一言で示した!」
(示してない。本当に示してない)
軍議は「当面は防衛に徹し、情報収集を優先する」という方針でまとまった。
ヴァルゼンの「ちょっと」が、人類連合の軍事方針を決定したのだった。
広間を出た後、ヴァルゼンは廊下の柱に寄りかかった。
膝が笑っていた。冷や汗が背中を伝っている。
(……生きてる。軍議を生き延びた。でも——戦争そのものは、まだ止まっていない)
ザガンが横に立った。
「陛下。お見事でした」
「何も見事なことはしてないんですけど……」
「ご謙遜を。あの場で『待て』と言えることの重さを、ご自身が最もよくご存知のはずです」
(知らない。本当に知らない)
窓の外には、東の空が見えた。
あの空の向こうに、三万の兵が待っている。
ヴァルゼンの胃が、きりきりと痛んだ。




