裏切り者の偽魔王を討て
裏切り者の偽魔王を討て
合同会議は、ヴァルゼンの予想に反して穏やかに進んでいた。
王城の大広間を借りて行われた三大勢力会議——宰相ルドヴィークが議事を取り仕切り、将軍ガルヴァスが軍事的見地からの意見を述べ、テオバルドが民心の動向を報告する。三者の立場は異なれど、「ヴァルゼンの提案で実現した歴史的な場」という認識が共有されており、面子の張り合いは驚くほど少なかった。
(穏やかだ。良かった。本当に良かった。このまま何事もなく終わってくれれば——)
嫌な予感がした。
百発百中の嫌な予感が。
大広間の扉が、叩きつけるように開いた。
伝令兵が駆け込んできた。全力疾走の後だろう、鎧が汗で濡れ、息も絶え絶えだった。
「きっ——緊急報告! 東部辺境ケルドラス要塞より早馬にて!」
場の空気が一変した。
伝令兵が震える手で巻物を差し出した。ルドヴィークが受け取り、封を切り——一瞬、老宰相の顔から血の気が引いた。
ルドヴィークが巻物をガルヴァスに渡した。ガルヴァスが読み、歯を食いしばった。
「読み上げてくれ」
エルヴィンが言った。
ガルヴァスが深呼吸した。
「東部辺境に魔族の大軍が結集。推定兵力、三万。率いるは旧魔王軍総大将ベリオス。以下、宣言文を引用する——」
大広間が静まり返った。
「『偽りの魔王ヴァルゼンは、人間どもに尾を振り、魔族の誇りを踏みにじった裏切り者である。我はベリオス。先代魔王陛下の遺志を継ぐ者なり。今こそ旗を掲げよ。真の魔王軍を復興し、偽魔王を討ち、魔族の未来を我らの手に取り戻さん』」
ヴァルゼンの世界が、止まった。
(偽魔王。裏切り者。討つ。三万の軍勢。ベリオス。先代魔王の——)
パンが手から落ちた。会議用に出されていた軽食のパンが、テーブルの上に転がった。
偽魔王。
その言葉が、胸に刺さった。否定できなかったからだ。自分が偽物であることを、ヴァルゼンは誰よりも知っている。
(偽魔王。合ってる。僕は偽物だ。魔王の器じゃない。ベリオスが怒るのは——正しい)
大広間が騒然となった。
三大勢力の代表者たちが口々に叫んだ。
「魔王軍の再来か!」
「三万だと! これは——大戦規模の脅威だ!」
「全軍を動員しなければ——」
ルドヴィークが手を挙げて静粛を求めた。老宰相の顔は厳しかったが、取り乱してはいなかった。
「まず情報を整理しましょう。将軍、ベリオスの兵力の内訳は」
「報告書によれば、前衛に重装歩兵。後方に魔術兵団。練度は高い——先代魔王の直轄軍をそのまま引き継いでいると見るべきだ」
「進軍速度は」
「不明。だが——最悪の場合、王都到達まで一週間もかからない」
テオバルドが蒼白な顔で十字を切った。
「神よ……」
ヴァルゼンは椅子に座ったまま、動けなかった。
恐怖で体が固まっている——のだが、周囲にはそう見えなかった。
「ヴァルゼン殿」
ルドヴィークが視線を向けた。
「事態の重大さは、おわかりかと」
「え。は、はい——」
「——やはり、微動だにされない。この報を聞いて、なお動じないとは」
(動じてる。めちゃくちゃ動じてる。身体が固まって動けないだけだ)
エルヴィンが椅子を蹴って立ち上がった。
「ヴァルゼン。お前の元部下が、反逆を起こした」
「い、いや、元部下って——」
「だが心配するな」
エルヴィンの碧い目が燃えていた。勇者の目だった。
「お前の敵は俺の敵だ。三万だろうが三十万だろうが——俺たちは、お前の味方だ」
(三十万は無理だと思う。三万でも相当無理だと思う)
だが——その言葉が、凍りついた心を少しだけ溶かした。
グリゼルダが剣の柄に手を置いた。
「ベリオス。先代魔王の四天王——『鉄壁』の異名を持つ男。大戦末期、最も攻略困難だった敵将だ」
フェリクスがモノクルを光らせた。
「三万の組織的軍勢。反乱ではなく、これは戦争の宣言です。——魔王殿、あなたの判断が求められます」
(僕の判断。何を判断すればいいんだ。逃げたい。ただ逃げたい。でも——逃げたら、戦争になる。人間も魔族も死ぬ)
ヴァルゼンの拳が、膝の上で握りしめられた。
ザガンが一歩前に出た。
「陛下。ベリオス将軍は——先代魔王に最も忠義深かった男です。彼が動いたということは、魔族社会の危機感がそれだけ深いということです」
「……ザガン」
「はい」
「ベリオスって人は——どんな人?」
ザガンの表情が、わずかに揺らいだ。
「強い人です。誰よりも強く——誰よりも、魔族の未来を案じている人です」
ヴァルゼンはその言葉を、胸の中で反芻した。
(魔族の未来を案じている。敵じゃない。いや、敵なんだろうけど——敵にしたくない)
大広間の窓から、東の空が見えた。
あの空の向こうに、三万の兵を率いた男がいる。
先代魔王を敬い、魔族の未来を憂い、偽物の魔王を許せない男が。
ヴァルゼンの胃が、きりきりと痛んだ。
だが——逃げないと決めた。
逃げる理由はいくらでもある。逃げない理由は、一つだけだった。
(僕が逃げたら——誰かが死ぬ)
「……皆さん」
声が震えた。震えたが、言った。
「まずは——状況を整理しましょう。ベリオスの狙いと、人類連合がどう動くか。それを把握しないと、何も始まらない」
フェリクスが深く頷いた。
「さすがです。——では、情報収集から始めましょう」
三大勢力の合同会議は、そのまま戦時対策会議に移行した。
ヴァルゼンが「みんなで一緒に」と集めた三者が——まさにこのとき、一つのテーブルについていたことは、後に「神がかった先見の明」と評されることになる。
ヴァルゼンは知らない。
自分の一言が、どれほど大きな意味を持っていたのかを。




