朝食の席に、三通の書状が届いた。
朝食の席に、三通の書状が届いた。
一通目は宰相府から。二通目は軍部の将軍から。三通目は聖魔教の崇拝派代表から。
ヴァルゼンはパンを齧りかけたまま固まった。
「何ですか、これ」
「招待状です、陛下」
ザガンが三通を並べた。いずれも封蝋が押された正式な書面で、内容はそれぞれ異なるが、共通点が一つあった。
全部、明日。
「えっ。全部明日?」
「はい。宰相殿は『隣国使節との晩餐への同席を賜りたい』と。将軍殿は『軍事演習の視察をお願いしたい』と。崇拝派代表は『聖魔教の大祭への御臨席を』と」
ヴァルゼンは三通の書状を見比べた。パンが口から落ちかけた。
(三つ。同じ日に。三つ。物理的に不可能だ。僕の身体は一つしかない。分裂できない。魔王だけど分裂はできない)
「素晴らしいな! 三方面から引く手あまたとは、さすが魔王殿だ!」
エルヴィンが朝から全力で明るかった。
「素晴らしくない。どれか一つに行ったら、残り二つを敵に回すかもしれない」
フェリクスが冷静に指摘した。モノクルの奥の目が、チェス盤を眺めるように光っている。
「宰相、軍部、宗教界——この三者が同日に招待を出したのは偶然ではないでしょう。互いを牽制しながら、魔王殿を自陣に引き込もうとしている」
(引き込む? 僕を? 何の役に立つと思ってるんだ。いや、彼らが思っている『僕』はS級を超えた魔王だった。忘れていた。冒険者カードにも『職業:魔王』って書いてある。胃が痛い)
グリゼルダが腕を組んだ。
「ヴァルゼン様。いずれを選ばれても、我々が護衛いたします。ご安心を」
「あの、そういう問題じゃなくて……」
「ヴァルゼン様」
ミラベルがそっと微笑んだ。
「ご無理をなさらないでくださいね。どの選択をされても、ヴァルゼン様の判断を信じます」
(その信頼が一番重い。信じないでほしい。僕は判断力のある魔王じゃない。どれを選べばいいかわからなくて困っている、ただの小心者だ)
ヴァルゼンは三通の招待状を前に、唸った。
宰相を選べば、軍部と宗教界が不機嫌になる。軍部を選べば、宰相と宗教界が不機嫌になる。宗教界を選べば、宰相と軍部が不機嫌になる。全部断れば、三者全員が不機嫌になる。
どれを選んでも誰かを怒らせる。
(詰みだ。完全に詰みだ。チェスで言えば四方から攻められて逃げ場がない状態だ。いや三方だけど、それでも詰みだ)
「陛下」
ザガンが静かに言った。
「期限はございます。本日中に返答が求められております」
「本日中!?」
(せめて三日くらいくれ! いや三日あっても答えは出ないけど!)
フェリクスが招待状を一枚ずつ検分した。
「興味深い。三通とも、同じ時間帯を指定しています。明日の午後、三の刻から。つまり物理的に三つ全てに出席することは不可能です」
「だから困ってるんだけど……」
「ここで魔王殿がどの選択をするかで、今後の政治地図が変わります」
フェリクスがそう言って、ヴァルゼンの顔を観察した。
ヴァルゼンは三通の招待状を交互に見つめた。
見つめた。
見つめ続けた。
表情が固まっていた。
フェリクスのモノクルがきらりと光った。
「……なるほど。三勢力を同時に動かして、その反応を見ている。どの勢力が先に折れるか、どの勢力が最も切迫しているか——その情報を得てから動くおつもりですか。恐ろしい方だ」
(違う。固まっているだけだ。脳が処理を拒否している。パンを齧りかけたまま人生最大の選択を迫られて、処理能力が限界を超えている)
エルヴィンがヴァルゼンの肩を叩いた。
「心配するな、ヴァルゼン! お前ならどんな選択をしても正解になる。今までだってそうだっただろう!」
(今まではたまたま上手くいっただけだ。たまたまが三回連続で通用するとは思えない。というか、たまたまの貯金はもう使い切った気がする)
「あの……少し、考えさせてください」
ヴァルゼンはそう言って、席を立った。
部屋に戻り、ベッドに突っ伏した。枕に顔を埋めた。
(どうすればいいんだ。誰か教えてくれ。いや、誰かに聞いたら「魔王殿が他者の意見を求めるとは——我々を試しておられる」ってなるからダメだ。自分で考えるしかない。自分で。自分の頭で。この、ゴブリン以下の判断力しかない頭で)
枕に顔を埋めたまま、ヴァルゼンは呻いた。
廊下では、フェリクスがザガンに耳打ちしていた。
「見ましたか。三通を前にして、一言も発さず席を立った。あれは——」
「ええ。全ての情報を持ち帰り、最善手を打つための思考時間ですな」
「まさに。凡人なら即座に一つを選んでしまう。だが魔王殿は、三択の土俵には乗らない。第四の選択肢を探しておられるのでしょう」
ザガンが深く頷いた。
「第四の選択肢——。陛下はいつも、我々の想定の外から答えをお出しになる」
二人の目に、畏敬の念が宿っていた。
ベッドでは、ヴァルゼンが枕を抱えてごろごろ転がっていた。
(三通。三通。三通。……もう全部無視して逃げたい)
だが逃げ場がないことは、ヴァルゼン自身が一番よくわかっていた。




