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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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暗殺者の名はカイルといった。

 暗殺者の名はカイルといった。


 いつの間にか刃は鞘に収まり、暗殺者は——カイルは、ベッドの脇の床に腰を下ろしていた。ヴァルゼンは布団を胸まで引き上げたまま、ベッドの端に座っている。


 奇妙な光景だった。殺す者と殺される者が、深夜の寝室で向かい合って話している。


「妹がいるんだ」


 カイルが、ぽつりと言った。


「病気なのか?」


「ああ。魔力消耗病。治療には高位の魔法薬が要る。金がいるんだ。どうしても」


 魔力消耗病。魔力を持たない一般人でも微量の魔力は体内を循環しているが、それが枯渇する病だ。放置すれば衰弱して命に関わる。治療薬は高価で、庶民には手が届かない。


「それで、暗殺の仕事を……」


「元は傭兵だった。だが、傭兵の稼ぎじゃ追いつかない。裏の仕事に手を出すしかなかった」


 カイルの声には感情がなかった。いや、押し殺していた。長い間そうしてきたのだろう。感情を殺さなければ、人を殺す仕事はできない。


「妹は——今、どこに?」


「王都の外れの療養所だ。安い場所だが、それでも月に金貨十枚は飛ぶ。金貨千枚あれば——十分な治療が受けられる。完治も、夢じゃない」


 ヴァルゼンは黙って聞いていた。


 怖い。まだ怖い。目の前の男は暗殺者で、数分前まで自分を殺そうとしていた。その事実は変わらない。


 でも——それ以上に、胸が痛かった。


「大変ですね」


 口をついて出たのは、そんな素朴な言葉だった。


 カイルが顔を上げた。フードの下から覗く目は、若い。二十代半ばだろうか。鋭い目つきだが、その奥に疲弊の色がある。


「……何だと?」


「大変ですね。妹さんのために、こんな危ない仕事をして。怖くないですか? 毎回、自分が死ぬかもしれないのに」


「怖いに決まってる」


 カイルの声が、初めて揺れた。


「怖い。毎回怖い。だが、怖いからって逃げたら——あいつが死ぬ」


「……」


「お前に同情されたくはない。俺は暗殺者だ。お前を殺しに来た。それは変わらない」


「うん。わかってます」


 ヴァルゼンは頷いた。


「でも、あなたが悪い人だとは思えないんです」


「は?」


「悪い人は、妹のために命を懸けたりしない。少なくとも、僕はそう思います」


 沈黙が降りた。


 月が雲に隠れ、部屋が暗くなった。


 その暗闇の中で、小さな音が聞こえた。


 嗚咽だった。


 カイルが——暗殺者が、顔を伏せて泣いていた。


「くそ……なんだよ、お前……」


 声が震えていた。刃を振るう手は微動だにしなかったくせに、今は両手で顔を覆って震えている。


「魔王が、なんで……こんな……」


「僕も泣きそうなんですけど」


 実際、ヴァルゼンの目には涙が浮かんでいた。怖かったのと、カイルの話が悲しかったのと、なんだかよくわからない感情がごちゃ混ぜになって、涙腺が決壊寸前だった。


「あの——カイルさん」


「……何だ」


「妹さんの治療。僕に何かできることはないですか」


 カイルが顔を上げた。涙で濡れた目が、信じられないものを見るようにヴァルゼンを見た。


「何を——今、自分を殺しに来た相手に、何を言ってるんだお前は」


「いや、だって——」


 ヴァルゼンは頭を掻いた。


「だって、放っておけないじゃないですか。妹さんが病気で、お金がなくて、こんな仕事をしなきゃいけないなんて。誰だってそんな状況なら苦しいですよ。僕にできることがあるなら——」


「正気か」


「正気です。多分」


 カイルの表情が崩れた。暗殺者の仮面が、完全に剥がれ落ちた。


「俺は——お前を殺しに来たんだぞ。依頼を受けて、金のために、お前の命を——」


「知ってます。でも、殺さなかったでしょう?」


 ヴァルゼンが微笑んだ。まだ少し引きつっていたけれど、それは確かに笑みだった。


「殺さないでくれて、ありがとうございます」


 カイルの手から、力が抜けた。


 腰の鞘に収めた短剣が、かたりと床に落ちた。


「——降参だ」


 絞り出すような声だった。


「降参だ。俺の負けだ。こんな——こんな魔王がいてたまるか……」


 カイルが膝をつき、額を床につけた。暗殺者の矜持も、傭兵の意地も、すべてを投げ出した完全な降伏だった。


「頼む。好きにしてくれ。俺の命で済むなら——妹だけは、見逃してくれ」


「いやいやいやいや。命とか取らないですから。取れないですから」


 ヴァルゼンが慌てて手を振った。


「立ってください。床、冷たいですよ。あと、お茶でも飲みますか? ミラベルさんが作ってくれた薬草茶があるんですけど——」


 暗殺者は殺そうとした相手にお茶を勧められ、完全に理解の範疇を超えた顔をしていた。


 その時——部屋のドアが静かに開いた。


「失礼します。先程の叫び声が気になりまして——」


 フェリクスが入ってきて、床にひれ伏すカイルと、お茶を準備しようとしているヴァルゼンの光景を見た。


 数秒の沈黙。


「……なるほど。暗殺者をあえて引き込み、対話だけで屈服させましたか」


(違います)


「フェリクスさん、この人は——」


「ええ。暗殺者ですね。排除派の差し金でしょう。——それを察知した上で、あえて護衛を呼ばず、単独で無力化した」


(察知してないし、呼べなかっただけだし、無力化してない)


 フェリクスの目が、学者特有の興奮に輝いた。


「武力ではなく対話で。刃ではなく言葉で。これが——魔王ヴァルゼンの戦い方ですか」


(戦ってない。泣いてただけだ。二人で泣いてただけだ)


 ヴァルゼンは力なく笑った。もう訂正する気力もなかった。


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