王都には、光の届かない場所がある。
王都には、光の届かない場所がある。
華やかな大通りから一本裏に入れば、そこはもう別の世界だ。苔むした石壁、乾かない水溜まり、昼でも薄暗い路地——王都の繁栄からこぼれ落ちた者たちが、身を寄せ合うようにして暮らしている。
その一角、地下酒場の奥の個室で、三人の男が密談していた。
「状況は看過できぬ域に達した」
口を開いたのは、灰色の法衣を纏った初老の男だった。排除派の幹部、ドリアス神官。痩せこけた頬と、奥まった目に暗い光を宿している。
「聖魔教なる異端が日に日に勢力を拡大している。王都の神殿にも、あの忌まわしい教えに傾く者が出始めた」
「崇拝派だけではない」
二人目の男——剃り上げた頭に傷跡を持つ武闘派の神官が吐き捨てた。
「宰相は奴を外交に利用し、軍部に至っては同盟まで結んだ。この国は、魔王に乗っ取られつつある」
「だからこそ——」
ドリアスが声を落とした。
「根を断つ。元凶を排除する。そうすれば、すべては正常に戻る」
三人目の男は、ずっと黙っていた。フードの奥から二人のやりとりを聞いていたその男が、ようやく口を開いた。
「で、報酬は」
乾いた声だった。感情の色がない。
「金貨五百枚。成功報酬として」
「倍にしろ。相手は魔王だ」
「……ふん。商売人だな」
ドリアスが苦い顔をしたが、頷いた。
「いいだろう。金貨千枚。ただし、必ず仕留めろ」
フードの男が立ち上がった。外套の下で、黒い刃が微かに光った。
「三日以内に終わらせる」
男は名を告げず、音もなく個室を出て行った。
ドリアスが残った杯の酒を飲み干す。
「これで良い。魔王さえ消えれば、この国は正道に戻る」
——それが、排除派の最後の賭けだった。
当のヴァルゼンは、何も知らなかった。
軍部との同盟締結から二日。ヴァルゼンは宿舎の自室で、のんびりと本を読んでいた。フェリクスから借りた旅行記で、南方の温暖な島国について書かれている。
(いいなあ、南の島。温かくて、平和で、誰も僕のことを魔王だなんて呼ばない場所……)
「ヴァルゼン殿」
ノックの音と共に、フェリクスの声が聞こえた。
「入ってもよろしいですか」
「あ、はい、どうぞ」
フェリクスが静かに入室し、椅子に腰を下ろした。いつもの穏やかな表情だが、目の奥に鋭いものが光っている。
「少しお耳に入れたいことが」
「なんですか?」
「排除派の動きが、ここ数日活発化しています」
ヴァルゼンの手が止まった。
「排除派って……僕を排除したい人たち?」
「はい。崇拝派の拡大、宰相や軍部との連携——これらがすべて、排除派にとっては脅威です。追い詰められた勢力は、往々にして過激な手段に出ます」
(過激な手段。それって、つまり……)
「あの、フェリクスさん。具体的には、どういう——」
「暗殺の可能性があります」
背筋が凍った。
「あ、暗殺」
「ええ」
「僕の?」
「他に誰がいるんですか」
(いや、確認しただけなんだけど! そんな冷静に返されても!)
「で、でも、対策は——」
「ザガンが護衛を強化しています。宿舎の周囲にも結界を張りました。正面からの襲撃であれば問題ありません」
「正面からじゃない場合は?」
フェリクスが微かに首を傾げた。
「そのときは——あなたの判断力に委ねます」
(委ねないで! 僕にそんな判断力ないから!)
「ご安心ください。エルヴィン殿とグリゼルダ殿も警戒態勢に入っています。それに——」
フェリクスが薄く笑った。
「これまで幾多の修羅場を切り抜けてきたあなたなら、暗殺者の一人や二人、問題にならないでしょう」
(問題しかないんだって! 修羅場を切り抜けてきたんじゃなくて、偶然生き延びてきただけなんだって!)
フェリクスが部屋を出た後、ヴァルゼンは本を閉じた。
もう、南の島の話は頭に入ってこなかった。
暗殺。
その二文字が、頭の中でぐるぐると回っている。
(怖い。怖い怖い怖い。なんで僕が暗殺されなきゃいけないんだ。僕はただの最弱の魔王で、誰にも迷惑をかけていないはずなのに——いや、迷惑はかけてるかもしれないけど、殺されるほどのことはしていないはずだ!)
窓の外を見た。夕焼けが王都の屋根を赤く染めている。
美しい光景のはずなのに、影が濃く見えた。
どこかに、自分を殺そうとしている人間がいる。
そう思うと、夕焼けの赤が血の色に見えてきて、ヴァルゼンは慌ててカーテンを閉じた。
「……今日は早く寝よう」
眠れるとは思えなかったが、布団に潜り込んだ。
その頃——フェリクスは廊下でザガンと小声で話していた。
「報告は済みました」
「……ヴァルゼン陛下の反応は?」
「表面上は動揺されていましたが——あれは演技でしょう。我々の警戒態勢を確認した上で、あえて泳がせる判断をされたと見ています」
ザガンが無表情のまま頷いた。
「……であれば、我々はその意を汲んで待機しましょう」
「ええ。暗殺者が来るなら——魔王殿が自ら対処するおつもりなのでしょう。我々は、万が一の保険として控えるのみ」
二人は頷き合い、それぞれの持ち場に戻った。
完全な誤解だった。
ヴァルゼンは布団の中で、ただひたすら震えていた。




