将軍ガルヴァスという男を、ヴァルゼンは一目で理解した。
将軍ガルヴァスという男を、ヴァルゼンは一目で理解した。
怖い。
この世のすべての「怖い」を煮詰めて人型に成形したら、おそらくこういう形になるだろう。身長は二メートルを優に超え、鎧の上からでもわかる筋肉の隆起が人間の造形として正しいのか疑問を抱かせる。額から顎にかけて走る三本の古傷は、まるで巨大な獣に引っ掻かれた痕のようだった。
(いや、獣に引っ掻かれたんじゃなくて、獣を引っ掻き返した側の人だ、あれは)
王都の軍務庁。石造りの重厚な建物の一室で、ヴァルゼンは将軍と向かい合っていた。正確には、向かい合わされていた。
「魔王殿。単刀直入に申し上げる」
ガルヴァスの声は、地鳴りのように低かった。
「貴殿の実力を、この目で確かめたい」
「……は、はい?」
「模擬戦だ。王国軍精鋭との模擬戦を、お願いしたい」
世界が一瞬、真っ白になった。
(模擬戦。模擬戦って言った。この人が。この筋肉の化身が。僕に。模擬戦)
「あ、あの、模擬戦というのは、具体的には——」
「訓練場にて、私の選抜した部隊と魔王殿が戦う。無論、殺傷力を抑えた模擬武器を使用する。安全は保証しよう」
(安全って何。あなたの存在自体が安全の対義語なんですけど)
エルヴィンが横で腕を組み、不敵に笑った。
「面白い。将軍、お前の部隊がヴァルゼンにどこまで通用するか——俺も興味がある」
(興味を持つな。お願いだから興味を持たないでくれ)
フェリクスがモノクルを光らせながら手帳に書き込んでいた。
「興味深い提案です。軍部が魔王殿の戦力評価を求めるのは、政治的文脈からすれば当然の帰結ですが——将軍、選抜部隊の構成は?」
「第一師団の上位二十名だ」
「二十名。対一人、ですか」
「不足か?」
「いえ。多すぎると思いまして」
(多い。明らかに多い。二十人対一人が多すぎるって、どういう基準で物を言ってるんだフェリクスさん。僕は一人でも無理だよ)
ヴァルゼンは必死に言葉を探した。ここで断らなければならない。「僕には無理です」「戦えません」「お願いだから見逃してください」——どれか一つでいい、言えさえすれば。
しかし、将軍ガルヴァスの目がヴァルゼンを射抜いていた。
値踏みするような、それでいて敬意を含んだ鋭い視線。戦場で幾千の命を預かってきた者だけが持つ、人の本質を見極めようとする目。
(この目、知ってる。グリゼルダさんと同じだ。強さを求めて、強さを信じている人の目だ)
その目の前で「僕は弱いです」とは言えなかった。言ったところで信じてもらえないのはわかっていたが、それ以上に——あの目の光を消してしまうことが、怖かった。
「……わかり、ました」
声が震えた。盛大に震えた。
ガルヴァスの目が、わずかに細まった。
「……ふむ」
将軍は顎を撫でながら、隣の副官に目配せした。副官が緊張した面持ちで頷く。
「受けていただけるか。感謝する」
「い、いえ、そんな——」
「しかし、即答されないかと思っていた。相手の力量を見極める時間を取るかと」
(取ってない。何も見極めてない。怖くて断れなかっただけだよ)
フェリクスが手帳から顔を上げ、薄く笑った。
「将軍。魔王殿は今、あなたの提案を受けた時点で——既にこの模擬戦の結末を見通しておられますよ」
「何だと?」
「見ていてください。この方は、相手を値踏みしてから受けるような方ではない。受けた時点で勝っている。それが魔王殿のやり方です」
(やり方? 何のやり方だ。受けた時点で負けてるんだよ僕は)
グリゼルダが静かに口を開いた。
「将軍。一つ、忠告しておく」
「聞こう」
「この方の前では——常識を捨てることだ。さもなくば、常識ごと壊される」
グリゼルダの声には、実体験に基づく重みがあった。
(壊してない。何も壊してない。壊されてるのはいつも僕の方なんですけど)
会談が終わり、軍務庁を出た。
秋の風が頬を撫でる。空は澄んでいたが、ヴァルゼンの心は曇天どころか暴風雨だった。
「模擬戦は三日後だ。しっかり準備しておけよ、ヴァルゼン」
エルヴィンが肩を叩いてきた。肩が砕けるかと思うほどの力だった。
「準備って、何を——」
「ふっ。お前が『何を準備するか』から始めるタイプじゃないことは知っている。全ては当日、即興で組み立てるんだろう? さすがだ」
(即興で組み立てる実力がないから聞いてるんだよ)
ザガンが背後から歩み寄り、低い声で囁いた。
「陛下。ご安心ください」
「ザガン——」
「模擬戦の場には、私も同行いたします。万が一のことがあれば——」
「万が一って何。何があるの」
「何もございません。何も起こさせません」
ザガンの琥珀色の瞳が、静かに光った。尾の先端が微かに揺れているのは、おそらく本人も気づいていない。
(ザガンさんがいてくれるなら——いや、いてくれても僕の戦闘力がゴブリン以下なのは変わらないんだけど)
ミラベルが心配そうな目でヴァルゼンを見つめていた。
「ヴァルゼン様。大丈夫ですか? お顔の色が——」
「だ、大丈夫です。全然大丈夫です」
大丈夫ではなかった。顔面蒼白だった。鏡がなくてもわかる。血の気が引いているのが、自分の皮膚の温度でわかる。
「……ヴァルゼン様」
ミラベルの声が、少し震えた。
「あの将軍の前で、あれほど冷静でいられるなんて——やっぱり、すごい方です」
(冷静じゃない。恐怖で固まっていただけだ)
だが、ミラベルの目には尊敬の光があった。
三日後。
模擬戦が、来る。
ヴァルゼンは空を見上げ、心の中で叫んだ。
(誰か助けて)
秋空は、残酷なほど澄み渡っていた。




