十九章 マルコスの頼み事③
読んでいただきありがとうございます!
久々に戻って来たヨークタウン。だが、ザネリには感傷に浸っている暇なんて無かった。スマホに保存した地図の一部と前方の道路を交互に見て、彼女は歩き続ける。
キャリーケースなどの荷物さえあれば観光客に見えなくもないが、残念な事にザネリは現地人だった。
そんな彼女に気を遣う人間もおらず、白昼堂々歩きスマホである。あちらでもないこちらでもないと、狭い道や広い通りを行ったり来たり。そうしてようやく、ザネリの苦労は報われる。
何気ない一軒家。薄いオレンジ色をしたその家は、見事な造りには見えないものの、生活感が温かい雰囲気を醸し出していた。家とは本来、こういった他人の目から見ても分かるぬくもりさえあればいいのかもしれない。
豪勢な装飾も、高級車も必要ない。
そこが家である以上、人の帰る場所になるのだと、ザネリは思う。
「あとは、本当に帰っていてくれてればいいんだけど」
家主がいない家というのは寂しいものだ。先ほど自分の家で確かめてみたばかりだから間違いない。
律儀にインターホンを鳴らして、ザネリは待機する。だが、一度の呼び出しではお気に召さないのか扉は開かれない。だから続けざまに二度目を鳴らす。すると、扉が開いてくれた。勿論ひとりでにではない。きちんとした人間の手によってだ。
「はい、あの、どちら様ですか?」
「ああいえ、ここはヨリノブさんのお家だと聞きましたので訪ねてみたんですが、ヨリノブさんはいらっしゃいます? ここなら帰ってるかもと言われたのですが」
「いえ、父は帰っていません。数年間も帰ってません。言いたくないですが、多分、あなた騙されてますよ」
訝しむような視線を受けて、ザネリは一瞬考える。もしやマルコスが自分を騙したのか? いやそれはないだろう。ザネリは結論を出した。
あの状況下で、わざわざ偽の情報を掴ませる理由なんてない。そもそもマルコスの頼みなのに自分から首を絞めるような真似をすること自体が馬鹿げている。
ならば、地図の情報が古かったのかもしれない。いつ作ったものかなんて聞いていない。
それに、一度作ったら大幅な変更が無い限り作り直して配布。なんてことはしないだろう。
「そうですか......。ところで、あなたはヨリノブさんの娘さんですか? 時間がよろしいようでしたら、お話を聞きたいのですが」
「構いませんよ。上がってください」
そう言って、少女はザネリを家の中へと招き入れる。玄関にあった収納には、小さな、女性向けの靴が三足ほどあるのみで、男性用はない。
それで言うと棚の背も少し小さい気がする。
リビングに行くまでの数歩。壁には少女の趣味と思しき絵画が飾られていた。随分と写実的であり、息付くような波だった。
木のフレームにすりガラスと、童話に登場する森の扉みたいなドアの先には、これまたシンプルな部屋が広がっていた。
大型モニターに机とソファ。その背後にはキッチンに小さなテーブル。暖炉はまだ空っぽで、忙しくなる冬に向けて準備期間中のようだ。
「どうぞ座ってください。お茶を淹れますから、少し待っていてくださいね」
浮足立つような少女に促されるまま、ザネリは近くのソファへ座る。少女は薄く微笑むと、そのままキッチンに向かった。
ザネリの座ったソファ。それは、一瞬で高級品だと理解できた。身体が沈み込むと同時に綿で包み込むような抱擁感。間違いない。これは、ザネリにとって縁遠いものである。
家具店に初めて入店した子供のように、執拗にソファの跳ね返りを確かめるザネリ。こんなにも良いソファに座れるなど、これから先あるかわからない。堪能しておかなければ。そう思っていた。
ソファに触り続けるのはいいとして、ザネリは部屋にあった棚に目がいった。絵の具だろうか。大量の顔料で棚の中が埋め尽くされている。
「ふふ、気に入りました? 高い家具だったんですよ、そのソファ。職人さんの手作りらしくて」
口の端を綻ばせながら湯気のくゆるコップを差し出す。
受け取りテーブルに置くと、少女はザネリの隣に腰を下ろした。
テーブルの上にある、何か四角い箱を操作すると途端に、部屋の中には古風なカントリーが流れ出す。
「ラジオですか。珍しいですね。ソファも、この時代に職人の手作りとは。こだわりがあるのですね」
「ええ、少し。
自分の好きな物にはお金を使うべきかなって思ってまして」
少女は戸惑ったようなはにかむような曖昧な表情で答える。
「あっ、ごめんなさい。まだ私の名前を伝えていませんでした。私はカトウ•サイハと言います。お姉さん……って呼んでもいいですか? お姉さんの名前は」
「私はザネリです。ファミリーネームは無いんです。複雑な家庭でして」
「そう、なんですね。それで、父について聞きたいと言ってましたが、何を聞きたいのですか?」
仕切り直すようにサイハは一口、コップのお茶を飲むと向き直り聞いた。変わらぬ口調だったが、その奥に隠れる父への嫌悪に、ザネリは薄くだが勘付く
「いえね、少しヨリノブさんの動向が気になりまして。
私は彼の元で仕事をしているのですが、最近依頼が無くてですね。
仮にも上司ですから心配になり、こうしてお家まで訪ねてみたというわけです」
「父の仕事仲間......。すると、ザネリさんも取繕者なんですね」
「ええ。と言っても、私の場合は簡単な事務作業ですが」
嘘である。
事務作業。資料作りや報告書制作などは、むしろ苦手な類だ。
動くことが好きなわけでは無いが、一日中モニターに齧り付いての仕事は性に合わない。
ザネリは、自分の足で現場に赴いて、淡々と仕事をする方が自分には似合っていることぐらい理解していた。
「父は、この家に帰って来ません。一度も。私と母にここを残して、父は仕事から帰って来ないんです。
誕生日を祝ってくれたことも、一度もあった気がしないです」
「それ以上、辛いことは思い出さなくて大丈夫です。
意地悪な質問になってしまい申し訳ありません。気を悪くしないでほしいのですが、ヨリノブさんの近況を聞きに来ただけですので」
「ええ、わかってます。父はこの家に帰ってないどころか、私にすら会ってくれません。ごめんなさい、お役に立てず」
「いえ。こちらこそ、突然押し掛けたのですから」
確認すべき事項。書き留めておくべき事実。
この家で得られる情報は出揃った。これ以上、ここに留まる理由が、ザネリにはなかった。
だがコップからは依然、真白の湯気が揺蕩うようにして昇っていく。
ここからは個人的な話題だ。
「サイハさんは、普段何のお仕事を?」
「絵を少し、描いてるんです。本当に、少しだけですけど、有名なんですよ?」
「それはすごい。玄関の絵も、サイハさんの作品なんですか?」
「いえ。あれは友人の作なんです。ミダール•エーデルワイスの『星稜の波』という作品です」
「やはり気品の高い方の周りには、同じく気品の高い人や作品が集まるものなのですね」
そして、ザネリはコップの中身を飲み干した。
「長々と話させてもらい、ありがとうございました。思わぬ出会いでしたが、それ以上に貴重な時間でした」
「いえ、こちらこそ。ここに居ると、いつも一人ですから。誰かとお話しができて、嬉しかったです」
そう言うと、サイハも立ち上がった。エスコートするかのように先に、扉の前に立ち開ける。浅いお辞儀をしながら、ザネリは最後、玄関で一言の釘を刺した。
「サイハさん、重ねてですがありがとうございました。ですが、見知らぬ人を突然部屋に招き入れるのは少々危険です。
今後はしないようにしてくださいね」
不敵に笑うような表情。鼻の前に、立てた人差し指を添える。完全に詐欺師のようなポーズだったが、サイハは頷くと小さく手を振って、ザネリを見送ってくれる。
それはおそらく、扉を閉めるまで続いた。背中に向けられたのは視線だけだったのだろうか。わからない。
「長い間、家には帰ってない。なら他の二つの拠点か他の協力者がいるか。どうなんだろうね」
それから、ザネリは帰って来たときに初めて思い出した。部屋の鍵がない。ポケットを探しても腰バックを探してもない。忘れてきた。列車の、おそらくベッドの下だ。適当に置いておいたのが祟った。
大家と顔を合わせるのは嫌だった。破壊されたはずの部屋が元通りに戻っているのだから、大家か業者が修理したのだろうと予想できる。ここで顔を合わせれば、修理代と滞納分の家賃を要求されるだろう。
今のザネリはそんな金を持っていない。通帳にも、大金は入っていない。
「そうだ、アイラスがいるじゃないか。彼にピッキングをしてもらおう! いやー古風な鍵穴で助かった」
そして、ザネリは扉の前に座りこんでアイラスたちが帰って来るのを待つ。うとうとと眠気が肩を揺さぶるからか、徐々に瞼が降りてくる。
そしてついには瞳が閉じてしまう。
気が付いたら空は赤く染まっていた。あくびをひとつして、ザネリは目を覚ます。そんな彼女の前に立っていたのは、腰の曲がったこのアパートの大家だった。
「............あの、あとで必ず払うので。い、今はお金がないんです......」
「そうか。請求書はポストに入れておいたから読んどいてくれ。いつになってもいいが、家賃は積み重なっていくからの」
言葉を残して、大家は階段を下りていく。ポスト。恐る恐る、それに手を伸ばす。
すると数枚の手紙があった。全部取り出して、封筒に入ったA4くらいの大きさの物を見た。
その封筒には何枚かの紙が封入されていて、胃が痛くなるような金額が記載されていた。引き攣った表情を作り、ザネリは誓う。
「この依頼を成功させないと。そしたら少しくらい、金を要求できるはず」
マルコスは魔術協会の人間だ。そして魔術協会という大きな結社ならば、資金も潤沢だろう。それこそ、個人とは比べるまでもない。金欠のザネリは、ここに賭けるしかない。




