十五章 逃走成功
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死にかけのザネリとまだ頭の冴えていないジョバンニは、抱えられて列車に戻った。無理矢理ゲートに入って逃げて来たために、シェンヌイから帰って来た面々は床に落っこちてしまう。腰に手をやったり膝を抱えて座ったり、各々が自身の体を労わる。そんな中で一人だけ動かない者がいた。動かないというよりは動けないと言った方が正しい。テイラーの腕に抱かれたまま、ザネリは微かな呼吸をしているに過ぎないからだ。放置してもしなくても数分で、死んでしまうだろうと誰の目にも分かった。
片足を欠損して全身に骨折。ついでに腹部と胸部は刺し貫かれていて、小さくとも確かな穴が開いている。どんな名医でも死を宣告するような、そんな状態でもザネリは息を繋いでいた。純粋な身体改造だけでは説明がつかない。もしかすると何か特別な体質や改造手術を施しているのかもしれない。
何にせよ助かった。まだ息をしているのなら助けない道理もない。アガサは、杖の先端で床を叩いてゲートを出現させる。言うまでもないが、ウーサのソレとは別物に見える。
「カムパネラを病院に連れていくが、君たちはここに残って彼女から色々と聞き出してくれ」
「アガサ、そいつの名前はザネリって言うらしいよ。僕もまだ、あやふやだけど」
「そうか......まあとりあえず、私は行くから留守番していてくれよ」
緊張感のない会話だった。声色に切迫した感じは籠っていないし、留守番を頼む側も頼まれる側も緩い返事をし合っただけ。誰かが死ぬのなんか、既に慣れて麻痺してるのだろう。それ故、まだ死んでいないのなら焦る必要もないということだろうか。死んで会えなくなるまでに時間はある。確かな時間だ。
それに、ここまでされてまだか細くも呼吸をしているのを見るにそう、簡単には死なせてもらえない人間なのだろう。真っ黒なゲートを出現させたアガサはその中に入って消えた。抱えられたザネリは、微動だにしないままに。
そして三人になった空間で、アイラスはやっと一息ついた。床に手をついて息を吐いた彼は、傍らに座り込んだ女性に声をかける。「おい」や「聞いているか?」など、いくつかの言葉を厳選しても効果は薄い。目の焦点も、どこかあっていない。なんなんだと思いつつも、アイラスは根気よく言葉を重ねる。それでもジョバンニはまだ夢の中なのだろう。投げかけられる言葉の悉くを無視してしまう。遂にお手上げだ。あんぐり口を開けたアイラスが、交代だと言わんばかりの態度でテイラーに示した。
振り向いて、何もしないままでいるテイラーに顎で「お前が行け」と伝える。簡単なジェスチャーでも意外と通じるものらしい。驚いたように自分を指差した後、観念してジョバンニの前に座る。
スイッチを押して入れ替わった二人。何か有益な情報を聞き出せるといいが。しゃがみ込んだテイラーが、ジョバンニの顔を覗き込んで言葉を投げかける。
「ねえ、君の名前は? なんであんなところにいたの?」
相変わらず無反応だ。同じように言葉を紡ぎ続けるのだが、反応が返ってくることは無かった。その様子に、テイラーの内側で沸々と湧き上がる何かがあった。我慢強いはずの彼女が、ついに爆発したみたいだ。
肩を掴んで乱暴に揺さぶった。まるで悪魔退治のようだ。ポーカーフェイスを貫いていたジョバンニも、これには流石に参ったようである。目が回った彼女が、テイラーの前に手を差し出した。それは止めての合図だったが、そんなことは伝わらない。吐き気が込み上げるほどになったその時、遂に口が開かれた。
「と、止めてくれ! は、はい、吐いてしまう!」
第一声はそんな情けのない言葉だった。口元を押さえながら呻いたジョバンニは、聞かれたことに素直に答え始めた。
「やっと話す気になった? あなたはなんであの街にいたの? というか、何があったらあんなに傷だらけになるの」
「上手く整理して話せないんだ。まだ、頭が混乱していて。でもあの人型の怪物についてなら、簡単に覚えてるよ」
「じゃあ、あいつは何者なんだ。ついでにお前もだ?」
「ザネリを殺しかけていたあの怪物は、現実度異常によって捻じれた人間だよ。俗に言う、悪魔とか天使とか......とにかくそういう”この世界の異物”なんだ」
「悪魔に天使ですか。結社と何か関係がある人間なんですか?」
悪魔派と天使派。二つの結社を知っている人間ならば、関連性を疑わずにはいられないだろう。だがジョバンニはあっさりと、そしてばっさりとその主張を切り捨てた。
「全く関係無いよ。ただ単に、そういう”悪魔”とか”神格存在”とかの理解不能な存在に結び付けるのが分かりやすかっただけ。この世界に存在している限り、それは肉体と魂の両方を持ってる。どちらか一方だけなんて、不可能なんだがね......」
「話が見えてこないんだが......。つまりあの街に居た奴は殺せる相手なのか?」
「うん。簡単にいく相手ではないけれどね。あいつだって考えて動くし、時間を掛ければ掛けるほど自分を取り戻してしまうだろうけども」
「なら早急に殺すべきか」
「ちょっと待ってよ。なんで殺す方向に向かってるんです? 関わらなくて済むのならそれでいいでしょう。もし何かの不都合があっても、それは個人である私たちが何とかする問題でもないよ」
「世界に悪影響はある。現実度異常で正しく認識されない人間が、正しい思考のまま穏やかに暮らせるはずがないんだ。何らかの事件は起こすだろうし、それによって苦しむ人も多いと思うよ」
ジョバンニは自分の考えていること、思い出せることを説明していった。それでもテイラーは納得していないように口を尖らせる。
「正義の味方にでもなるつもりですか? 私たちが動かなくても結社や企業が動く。最悪、メガコーポや裏社会の連中も消しにかかると思うよ。私たちは一般人なんだよ? 飛び込まなくてもいい火事なんだ。なのに、なんで飛び込む前提で......」
「私も、関わらなくてもいいなら関わらないけど、彼は私に恨みを持っているからね。必然的に、私を殺しに来るんじゃないかな。まあ幸い、あいつはそこまで頭が良くないし遊ぶ癖もあるから対策はできると思うけど」
「なっ、じゃあ私たちを巻き込まないでくださいよ!」
「巻き込んでいないよ。助けに来てくれたのは君たちのほうだろう? ザネリの救出に、私が相乗りさせてもらっただけだよ」
「随分と図々しい物言いだな」
「......正直、私一人の力じゃどうにもできない。少なくとも、ザネリは必要だ。だからザネリだけでいい。私と一緒に行くのはザネリだけでいいんだ。彼女が元気になるまでの間、ここで準備をさせて欲しい。頼む」
話を続ける内に頭の方も回復してきたのか鋭い目つきに変わっていた。いや、戻っていたか。
それに、言葉もあやふやではなく聞き取りやすくかつ、伝わりやすくなっていた。
ジョバンニは頭を下げて二人に頼み込んでいた。テイラーは「他所でやってください」と頑として受け入れようとはしない。だがアイラスは違った。
先ほどまではテイラーと一緒で、お前の事情なんかクソ食らえと言わんばかりの厳しい態度で話を聞いていた。それなのに、今はどうだ。まるで弱みを握られたみたいに考えを巡らせている。何を迷っているのか分からなかったが、不意に重い口を開いた。
「なぜザネリが必要なんだ?」
「彼女の戦闘能力は高い。本来ならアガサを相手に出来る。戦闘能力のみで言えば二つ名の取繕者と同等だろう。でも今はまだ自分を取り戻したばかりなんだろう」
「他の人間じゃあダメなのか? それこそ、二つ名や一級の取繕者とかで代用できないのか?」
「無一文で信用もない私が依頼を出したとして、果たして君だったら受けるかい? それとね、ザネリと私は深い仲なんだ。彼女とはお互い、助け合うべきなんだ。他にも助けを求めれば応じてくれる人間は居るだろうけど、ザネリは特別だ。純然な戦闘力を持っていて私と親しいからね」
その会話に、テイラーも少しは躊躇いを見せるが、それでも自分の命が大事なのは変わらない。だから、答えは相変わらずだ。逡巡するアイラスは、その考えを固めるように頷くとジョバンニに提案した。
「なら、僕とアガサも協力する。だからザネリは連れて行かないでくれ」
「何故か、理由を聞いても」
「まあ......僕の雇い主だし。借りがあるんだよ。あの人には」
「私は参加しないよ。懐柔しようとしても無駄だから。私、絆されませんから」
「協力してくれたら天使派に帰してやるって言ってもか?」
「あなたに何が出来るんですか? そもそも、あなたが勝手に私をここに連れて来たのでしょう?」
冷たく言い放つテイラー。その棘は、氷で覆われているかのようだ。
「チェリッシュとイブリスを手土産にすればいい。正直、僕は彼女とその子供に面識がある訳じゃないからね。それでもお前の良心が傷つくなら別の方法を考えるが」
「なんでそこまで私を参加させたいのですか?」
「人手は多いに越したことは無いだろうし、ここで離反されて面倒を起こされるのも嫌なんでね。なんなら、今ここで殺してしまおうか?」
最後の言葉は悪ふざけではない。それを、テイラーは一瞬で理解した。冷や汗が噴き出した。武器がない。いや、仮に武器を持っていたとしても殺される。狭く小さな空間は、アイラスの独壇場だ。
この街に来て、共に依頼を遂行してきたから良く分かる。自分では、アイラスの足元にも及ばない。
「......脅しですか?」
「そうだ。でも、別に協力を強要しているんじゃない。逃げてもいいし、ここに居たまま協力しなくてもいい。ただ、自分の命惜しさに僕らの邪魔をしないでほしいんだ。てか自分で言ってただろ。
わざわざ『火事に飛び込む趣味はない』って。それも立派なことだと思う」
依然、息の詰まるような気味の悪さはあったが、アイラスは選択の余地を残してくれていた。
テイラーとて、ザネリやアガサが死ぬのを喜ぶつもりはない。寧ろ、悲しむだろう。それは自分でもわかっていた。ただ、それと自分の命を天秤に乗せたら、やはり自分の命に比重が掛かることなんて当たり前だ。
それでも見過ごしていいのだろうか。この場の気分や圧力で選択すれば、きっと自分は後悔する。わかっている。わかってはいるが、人は今の時間の中でしか生きられない。
「わかった。協力する。けど、私は自分の命を第一に行動するからね」
「とか言って身を挺して守ってくれるんだろ?」
「そう思ってたら、死ぬよ」
そして、アイラスの視覚デバイスにメッセージが送信された。差出人は、アガサだった。




