十二章 自分の存在②
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アガサから渡された住所の建物まで歩いてきた。その道中、カムパネラの目に映る景色はここ数日で見慣れた街の様相でしかなかった。カムパネラは街の景観に特に意識をしていなかった。
どうでもいい景色に、考えが遮られることなくただ歩く。狭い路地やら大通りやら、やっぱりヨークタウンとは色々と違うが、生活していれば自ずと慣れてくるものだ。住所の指し示す場所へと向かう。
占い師には似つかわないアパートに、件の占い師は居を構えているという。久々の集合住宅だ。その階段を上っていき、とある扉の前に立った。インターホンを鳴らすと、部屋の中から優し気な声と近づいてくる足音の二つが響いてきた。
「あ、お客さんですか! 先生! お客さんがいらっしゃいました」
ドアが開けた後に投げかけられたその快活な声は、やけに高く可愛らしい音だった。両手でドアを支え、カムパネラの顔を覗いたその少女は『先生』を呼んだ。
「部屋に通してください」
「わかりました。お客さん、こちらです」
少女の声とは対照的な穏やかな低音。子守歌にぴったりな声色を持った占い師だなと、カムパネラは思った。アパートの廊下から部屋の中へ入るまでの短い間で占い師がどのような人物か想見した。
やはり、ローブにフードと不審者のような姿だろうか。それならいっそ潔いまである。だが、仮にその衣装を身に着け仕事をしていたとしても、責められない。見た目、とりわけ第一印象は客商売なら最も重要だからだ。出来る出来ないに関わらず、他人に見られる恰好には気を付けなくてはいけないだろう。
部屋に案内されたカムパネラが目にしたのは、丸まると肥えた巨大な猫の姿だった。不細工な寝顔で日向に横たわっている。まるで警戒心がない。
部屋の中心にはテーブルと椅子、そしてそこに座る老齢な男性が一人居た。
「こちらに来て座ってください。正面がいいでしょう。それなら話も聞きやすいでしょうから」
手招きをされた。それに従って卓に着く。男性は柔和な笑顔を顔にたたえている。細長いストラップで無くさないよう眼鏡を止めていた。老齢のその男性は、傍らの少女に「お茶を用意してください」と一言口にすると少女は台所に走って行った。まるで召使さんだ。
「どのような占いをしてほしいのですか?」
「普段の客はどのようなことを頼むんだい。一般的なお客さんのことだよ」
利用客の中に取繕者が混じっているかもしれない。そんな奴らが頼む占いなんて、稼げるか死ぬかどちら? といった質問だらけだろう。そんな答えに興味はない。
「ここを訪れる方々は、自身の『未来』や『探し物』についての答えを聞きたがりますね。そんなものより、もっと身近なものを占いたいものですが」
苦笑いをしながら男性は言った。沢山の苦難を歩んできた者特有の余裕というか安定感というか。とにかく安心するような口調だった。丁度そこに、お盆を持ってやってきた少女がお茶をテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます、ドランチャナ。あなたも座ってください。助手ですから」
「いやいやとんでもございません。私は横で立ってますよ」
するとカムパネラは斜め上を見始めた。『ドランチャナ』という名前に聞き覚えがあった。だが、どこで聞いたか思い出せない。まあ、思い出せないのなら重要ではないのかもしれない。それでいけば、自分自身の過去も思い出さなくてもいい物なのだろうか。
そんな思考を掻き消すため、カムパネラが湯気の立ち昇るカップに口を付ける。暖かなお茶は、陽の光が差し込むこの部屋のような味をしていた。
口の中を優しい温度に包まれて、カムパネラの気持ちは落ち着いた。そして、話始める。
「占ってほしいというか聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと? 占いに関することなら答えられますが、他のこととなると詳しくはないですよ」
「それでも構わない。聞きたいのは私の過去についてなんだ。知り合いから、ここを勧められてね。胡散臭い人間なんだが、そんな奴がここを進めてくれたんだ」
老齢な男性は少し考えた後、合点がいったように口を開いた。
「その人物って、もしかしてアガサのことですか?」
「なぜわかったんだ?」
「胡散臭くてここを紹介する人間はアガサくらいですからね。まあそれほど、彼に信頼されていると考えてもいいのでしょうか」
ため息をついた男性。それでも仕事はしてくれるだろうか。一抹の不安がカムパネラの頭を横切った。だがそのまま通過していってくれる。占い師の男性は、カムパネラに向き直ると宣言した。
「ええ、あなたの知りたがっている、あなた自身の過去について見せましょう。といっても、あなたにも協力してもらうことになりますが」
「何をすればいいんだ?」
「リラックスして、思い出したい過去を思い浮かべるんです。そうすれば、水晶にあなたの姿が映るでしょう」
そんなことを言った占い師はテーブルの上に美しい球体をひとつ差し出した。
「この如何にもな水晶で本当に映るのかい?」
「ええ。尤も、あなたにしか見えないでしょうが」
水晶をテーブルの中心に持っていき、カムパネラに触れるよう促す。言われるがままにするカムパネラへ、占い師の男性はもう一つの要求をした。
「何があっても自分を拒絶してはダメですよ。目を背けたくても、それこそが自分なのですから」
念押しをする占い師に、カムパネラは頷いた。きっと、頼りないように見えたことだろう。
ローブの中からメモ帳を取り出すとそれをパラパラと捲る。お目当てのページを見つけたのか捲る指を止め、小声で呟くように祝詞を唱え始める。
最後の言葉を言い終えると水晶は、まるで真っ青な海のように輝き出す。吸い込まれるような美しさに目が離せないでいると、その水晶に、自分の姿が映った。
何の変哲もない自分の顔だ。鏡で見ることが多いし、よく見知っている。けれど、その顔から不思議と目を背けたくなった。自分のはずなのに、他人のように感じるその姿。
水晶を見つめる瞳や脳は、それを反射した自分と認識する。にも関わらず、心がそれを否定する。誰かの仮面を縫い付けられたようなその人物は、本当に自分の姿なのだろうか。
いや、その”仮面”こそが、カムパネラ自身なのか。本当の自分とは一体、何なのだろうか。
そんなことを思っていた矢先、ふと肩に何かがのしかかるのを感じた。何かではなく誰かだろうか、この場合。
背後から抱き着くように寄り掛かる誰か。耳元で囁く声が聞こえた。
「カムパネラ。私は、君にいきていてほしいな」
努めて優し気な声。だがそれは、いくら頑張ろうとも本当の優しさを滲ませることができない人物の声色だった。
「どういう意味だ。それに、お前は誰だ」
「私が誰かはどうでもいいよ。それよりも、君はどうしたいの?」
「意図が分からないな。私の質問に答えろ」
姿の見えない幻影は、息を吐いてから答える
「私は君だよ。君の中にいる誰か。そして君は私の中にいる誰かだよ」
「他の人格......」
そう言って水晶を凝視すると、肩に乗っかった誰かが見える気がした。霧のように朧気だが、その髪は真っ白で顔はカムパネラそっくりだ。違うのは、表情が変化しないその張り付いた微笑だろうか。
「私はどうでもいいけど君はいきていてよ。君だけが、私を支えてくれる。彼女がいない今じゃ、私は君しか好きになれないんだ」
「私も、どうでもいいな。過去を教えてくれるのならな」
「それはできないよ。そんなことをしたら、私たちの積み上げた全てが崩れちゃう」
「それでも、私は私を取り戻したい。模造品のようなこの感覚が、間違いだと証明したい」
水晶に映るもう一人の自分に向かってそう言う。どちらが本物かなど些細な問題だ。カムパネラは、自分の生きてきた時間と積み上げたであろう過去に嘘が無いと信じたいだけだった。
仮に、自分の存在が後から作られただけの模造品、特にこの白い自分の模造品だったのならきっと、カムパネラは生きてはいけない。彼女はそんな気がしていた。
「本当に......過去を知りたいの? それなら、もう少し待って。私にも、覚悟が必要だから......」
そう言うと白いカムパネラは名残惜しそうに肩を離れて消えた。深い森の霧に紛れるようにフッと、消えていった。水晶に映る自分の顔も水晶自体も、最早なんの輝きも放っていなかった。




