十三章 欲しいものと欲しがったもの
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「あなたの見たかった物は見えましたか?」と質問された。変わらぬ穏やかな声色だったが、どこか他人事だ。当たり前だとカムパネラは自分を納得させる。自分はただの客でしかない。知り合いでもなければ友達でもない。そんな自分を気づかってくれただけでもありがたい。カムパネラは水晶に反射した自分から視線を外して答える。
「思っていたのとは違ったけど、収穫はあった。時間を取らせてしまった。申し訳ない」
何故だか謝罪が口から出た。自分でも理由は分かっていない。なんとも言えない罪悪感がカムパネラの心に湧いて、口が自然と動いた。その言葉に占い師は驚いて少したじろいだ。が、それもすぐに収まってしまう。
テーブルの上に代金を置いて、カムパネラは占い師の部屋を出ていく。その後ろ姿を見た占い師は数分の間唸り、遂に考えがまとまったのかドランチャナに言った。その顔は、とても申し訳なさそうだった。誰に対しての表情かは分からない。もしかすると、カムパネラに対してなのかもしれない。
「ドランチャナ、彼女を尾行してください。何か、胸騒ぎがします」
「先生......犯罪ですよ?」
「彼女の様子はどこかおかしいのです。何事も無ければ、あなたはそのまま帰ってくればいいでしょう。とにかく、彼女を今一人にするのは危ない気がしてならないのです」
日向で眠っていた猫が、体をブルリと震わせて目を覚ました。そして短い手足を使って占い師の膝の上に乗っかった。その様子は、危険から身を守ってくれる誰かに寄り添うような、弱者の危機察知の賜物に感じる。
ドランチャナは溜息を吐くと、占い師に向かって宣言した。
「分かりました。ですが、私は変質者になりたくないのでかなーり薄目でカムパネラさんを見ていますからね」
「ええ、それで十分です。彼女が暴れぬよう、しっかり目を凝らしていてください」
「ですから私は薄目で......」
そして、もう一つの溜息を残してドランチャナは部屋を出た。占い師と膝の上に乗る猫は、静かで平和な窓の外を見ていた。背中を撫でる皺の刻まれた手はゆっくりと、上下に動かされていた。ずいぶんと心地が良いようでゴロゴロと喉を鳴らして上機嫌だ。この平和が、いつまでも続けばいいのだが。
アパートの階段を下りてアスファルトの地面に足を付けた。カムパネラに、これからの予定は無かった。アイラスたちの予定も知らなかった。だが大体予想はつく。依頼をこなしているのだろう。居候とは言え、金は自分で稼がなければいけない。
何処でどんな依頼を受けているかなど、カムパネラが知っている筈もない。
だから歩いた。目的もなくただ歩いた。どこに続く道か知らないし、そもそもこの道はなんだ。そう思っても、脚は引き返そうとはしなかった。アパレルショップにファストフードチェーン。
個人営業の小雑貨屋などなど、今まで目にする機会が少なかった店もあった。建物の背は高かった。まじまじと見上げたのは、これが初めてだっただろうか。そんな疑問が、カムパネラの頭に浮かんできた。
死期を悟ったかのような時間だった。最後に出来るだけ、何気ない、代り映えのない世界を瞳に焼き付けようとする。脳が死んで心が消えたとしても、その瞬間を映した瞳だけは本物だったと思いたい。
そんな細やかな気持ちも、もう少しで綺麗さっぱり消えてしまう。カムパネラはそう考えていた。いや、理解していた。
自分の中にいるもう一人の自分。今まで見ないようにしていた彼女を、カムパネラは意識してしまった。そうしてしまった以上、今の自分は消えるしかないだろう。もしかすると、あの白い自分も一緒に消えてくれるのだろうか。そう思うと幾分、心が軽くなる。
過去に近づけば近づくほど。失った自分を取り戻そうと藻掻くほど。そうして動けば動いた分だけ、カムパネラは自己の喪失に近づく。定まっていたことかもしれない。
見ないように生きて、空白に向かって「バーカ」と叫ぶだけの空っぽな頭だったら、カムパネラは、もしかしたら消えなかったかもしれない。
消えるかなんて分からない。だが、自分がもう少しでお役御免になることには、薄々気が付いていた。
それでも不思議な気分だった。恐ろしいや後悔など無く、喜びも怒りもなかった。自分の意思で自分の体が動くことが普通だと思っていたが、その普通に感謝することになるとは思っていなかったのだ。
カムパネラは今一時、感謝を噛みしめた。
そしてその感覚をずっと咀嚼するみたいに、どこかを目指して歩いていた。
そんな彼女の背中をつけ回すドランチャナは欠伸をしながらも追った。どこまで歩くのか。ここから繋がるのはナルコン港くらいのものだ。
「ま、行先が酒場ならいいか」
短絡的にそう考えて、深く気にせずに尾行を続けた。そしてたどり着いたのはやっぱりナルコン港だった。
この街に詳しいドランチャナは、たまたま通りかかったことを演出しながらカムパネラを見続けていた。桟橋を進むカムパネラ。釣り竿の一つも持たないで何をするというのか。優しい心の持ち主であるドランチャナには分からなかった。カムパネラが何をしようとしているかなんて、思いもよらない。
直後、物が落ちる鈍い音と共に水しぶきが上がった。間欠泉のような見事な水柱に、一瞬視線が注がれた。桟橋に目を戻すとカムパネラがいなかった。
走り出した。間に合うだろうか。こんな時に限って、ドランチャナは冷静になれる性格だった。
カムパネラは桟橋から足を外した瞬間を克明に覚えていた。このまま落ちたら、きっと自分は抗うことをせず文字通り、流れに身を任せることだろう。湖の中にいる瞬間だけが勝負だ。もう一人の自分を引きずり出す。そして全てを聞き出すのだ。自分の命が尽きるまで短い間に、自分の人生の命題を聞き出すのだ。そのあとは......。そのあとは、どうでもいい。全てはこの瞬間のためだと考えておこう。
もう、カムパネラに自分など見えていなかった。
「覚悟が必要だと言ったのに......。どうしてこんなことをするの?」
無表情のまま、もう一人の自分がカムパネラに話しかけた。声は震えているように感じた。だがそれは、きっと水の中だからだろう。カムパネラが頭の中で文字を紡ぐ。そしてそれは、幻想的に浮かぶ白い自分にも伝播するようだ。
「私かお前のどちらが本物か知りたかった。それだけ。もう、なんだか......生きるのが難しくてね。疲れたというより答えを知りたかった」
「もっと時間をかけてもよかったよ。きっと」
「それでも良いだろうな。でも、私は、盲目的に生きるには頭が良かったのかもしれない。中途半端に、知りたくなってしまった。自分の過去が知りたかった。ずっと、震えていたんだ。
本当の自分はどんなのかって。描かれた紙の、切れ端しか持たない私は知りたかったんだ。
知れば、本当の自分になれる気がしたから」
もう一人の自分は微笑んだ。たぶん、カムパネラの生活から受け取った表情だ。
「過去を知っても、君は君だったよ。私になることなんてなかったし、君が突然おかしくなるなんてこともなかったはずだよ」
「そうか。まあ、後出しだろ? それは」
「かもね。でも、私と君は違うんだよ。身体は同じでも、本質が違うんじゃないかな。だから、お互いに無いものをほしがるんだよ」
「お互いに欲しがるか......お前は、何が欲しかったんだ?」
「私の知らない時間。微笑みとか、悲しみとか、そんな普通の表情で過ごす一日。だから君を守りたかった。愛着があったから。この場合、妹みたいな感じかな」
唇に指をあてるその姿は、少女のようで幼かった。自分にそんな時間はなかったと、カムパネラは見つめた。そして、呼吸が苦しくなっていた。もう少しで、意識が途切れるだろう。
「そうか。そうだよね。『隣の芝生は青く見える』って、まさにこれか。すまない。私が早まったばかりに」
「もういいよ、そんなこと。遅かれ早かれ、私と君は消えていたから。でもね、悲しくならないで。
ただ、今とも昔とも、ちょっとだけ......変わるだけ。たった、それだけだから。私と君は、ずっと一緒なんだよ」
もう一人の自分、正確には過去のカムパネラだろうか。最後の笑顔は、暗い水の中に差し込んだ陽光のようだった。まぶしく、輝いていた。
走馬灯すら浮かばず、カムパネラの意識はフィルムのようにぷつりと切れて暗くなった。電気が止められたのだ。
『大家に......家賃。払って無かったな』
カムパネラはそのまま、湖の底に沈んだ。




