十二章 自分の存在
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重たい瞼を開いた。それなのに体は起き上がろうとしないでもう一度、深い眠りにつこうとする。開いた瞼を何度閉じようとも、覚醒した意識は沈まなかった。シェンヌイから戻って以来、カムパネラはこの調子で昼過ぎまで布団の中で過ごすことが多かった。
ならば夜に活動する夜型人間になったのかというと、それも違う。朝も昼も夜も、カムパネラは活動的とは言えなかった。依頼が舞い込めばそれを解決する。それだけで一日は終わるし、予定が無ければ一日の間、横になっていることも珍しくはなかった。
カムパネラが思い出した断片的な記憶は、今のカムパネラが背負って生きるには荷が重すぎた。昔の自分ならば、こんなことに何も悩むことはなかったのだろうなと、頭で考える。
それにしても寝付けない。これ以上寝るなと体から警告が発せられているようだ。仕様がない、起き上がるのだ。風化した関節から錆が剥がれていくような感覚。起き上がるだけの事が、こんなにエネルギーを要すると初めて知った。
床に足を付けると、そこから立ち上がる。これも、やっぱり難しい事だった。それでもやり切った。何とかやり切った。これなら上手くいって、しがらみを忘れて外を出歩けるようになるかもしれない。
青白い顔に笑みを張り付け、カムパネラは不気味に笑った。無理矢理に頬を吊り上げる。
そうしていると怖気が背筋を上って来た。吐き気や倦怠感、おおよそ不快と表現される感覚が波になって押し寄せてきた。分からない。分からなくてもいいのかもしれない。不快なこの感覚を、追及することなんてしなくてもいいのだ。
それら全て飲み込んでようやく、カムパネラは歩き出すことができた。
一歩。また一歩と噛みしめるように脚を繰り出していく。ようやっと扉の前までたどり着いた。ここに手を掛ければ、晴れて外に通ずることができる。そうすれば、自分の心にも晴れた空が見えてくるのだろうか。
そんな束の間の中で不意に扉は開いた。突然のことに後ずさりをしてしまう。
「ここに居たんだね。それで、薬の効果はどうだった? 思い出せたことはあるかい?」
質問攻めをしてきたのは白衣の女。眼鏡を掛け、長い髪の毛の片側だけを三つ編みにした女だった。その後ろに、暗色のジャンパーを羽織った青年も特典で付いてきた。ナルコン港で薬をくれた”ファクトリー”の博士だ。何をしにこの場所へ来たのかは分からない。だが、わからないなりに、良い事ではないだろうなと予想した。こういう最悪な気分の時は最悪な事しか起こらないと相場が決まっている。この場合も、まあそうだろう。カムパネラの気も知れないで、白衣の女は質問という拷問を続けようとしてくる。
「この前、試薬をプレゼントしたじゃないか。覚えてないかい? あれの効果だよ。ほら、君が懇願してきただろう。レポートを作成しないといけないんだ」
「色々と、思い出せたことはあった。でも、今そんな気分じゃないんだ。あとにしてくれない?」
それが今できる譲歩だった。ほとんど奪うような形で手に入れた薬だったが、レポートするのは今じゃなくてもいいだろう。そう思って言葉を続ける。
「気分が良くないんだ」
「それは理由にならないよ。こっちだって暇じゃないんだよ? レポートくらいしっかり書いてもらわないと。私も上の人にどやされちゃうんだ」
それ以降も次々と言葉を投げかけてくる。うるさいと言うより、入ってこなかった。耳を通ってそのまま過ぎていくかのようだった。頭に残らない。響かない。
「聞こえてるかい? だんまりはしないでよー、子供じゃないんだから」
幻覚も幻聴も鳴りを潜めるように沈静化していた。今もそうだ。もう一人の、誰だか分からない言葉や声は頭に浮かんでこない。そうすると、この感情は自分自身のものなのだろう。なんだか面倒臭くなっているこの感覚は、きっと自分の物なんだろう。
「おい! それ以上は止めとけ」
青年が博士の肩を掴んだ。青年はその瞬間、冷や汗と共に博士を後ろに引きはがした。
何も無い空間からカムパネラは刃をその手に顕現させていた。沈黙していたはずのカムパネラの異変を察知した青年が、すんでの所で博士を引き離したのだ。勢い余って尻餅をついているが、それに構っている暇はなさそうだった。青年は半身を捩り背中を向け、背面全てを覆うような巨大な鞘で、カムパネラの一刀を防いだ。
幅広で長大な刀身に助けられた。グリップに手を掛ける。直後、背中でタックルするように前方に力を込める。踏み込み、押し出す。
相手の流れに、カムパネラは身を引いた。縦に長い列車内でお互いを見つめあった。
青年は流れた冷や汗を気にしている余裕が無かった。グリップを握りしめたまま、抜刀をしない。その代わり、片腕のデバイスに口を近づけて、何かを話しているようだった。
言い終わると同時に青年の持った巨剣が赤熱したのが分かった。金属を焼き入れる時のような音が、鞘の中から悲鳴となって聞こえてきた。
そしてその変化に呼応するように、カムパネラは前のめりに倒れ込む。かと思ったら、脱力したまま加速した。青年は追い切れなかった。それでも、勘に頼って巨剣を振りぬいた。回転するように剣を鞘から抜いてカムパネラを迎撃しようとする。
「ここで戦わないでくれ!」
その言葉と共にお互いは止まった。というより、止められた。青年は何が起きたか理解する前にとりあえずの休戦に安堵した。
熱気の渦巻いていた列車内からは、二振りの刃が消えていた。お互いの腕は関節から下あたりが黒い円形に吸い込まれていて、その先が消えていた。息を切らしながら窓の外を見た青年。彼が目にしたのは、空中からはみ出るようにして鍔迫り合いをしている細い腕と力を込めた腕の二つだった。
カムパネラは落ち着いて、そのまま戦闘態勢を解いた。
するとその背後から、ハットを被ってコートのような長い羽織りを纏った人間が近づいてきた。その手には一本の杖を持っていて、それがANIに準ずる物だと青年は瞬時に理解した。
胡散臭いその男は口を開いて三人に言った。
「何があったらここで戦闘が起こるんだ......。誰か説明してくれ」
「彼女が急に刀を引き抜いて攻撃してきたのさ。いやー危なかったよ、本当に」
ノータイムで博士が言葉を絞った。その後、黒い円形から腕を引き抜いた青年は巨剣を鞘に納めてから口を開いた。
「コイツが挑発するようなことを言ったんだ。それが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかったが。俺たちは彼女に試薬のレポートを頼みに来ただけだ。間違っても戦いに来たんじゃないからな」
説明し終わると、青年は長い息を吐いてへたり込んだ。
「カムパネラ、本当?」
「まあ、そうだね。攻撃を仕掛けたのは私だね」
それ以上言わずにいた。そんな彼女の顔は無表情で何にも興味を見いだせないように見える。
「......ま、まあ! お互い怪我が無くて良かった! そ、それで、おたくらは何しに来たんだ」
アガサが空元気に質問した。
「だから試薬のレポートを.........」
そこまで言って博士の言葉が止まった。青年によって口を塞がれたのだ。
「先日、カムパネラさん? に試薬を渡したのですが、そちらの効果をレポートしていただきたく伺ったんです。
すれ違いがあってこのようになってしまいましたが、レポートさえ共有してくれれば文句はありません。
今日はコイツが無駄な口を叩いてしまいましたので帰ります。気持ちの整理が付いたら連絡してもらえればと思います」
突然丁寧な口調になった青年に、アガサは面食らったようだった。
ジャンパーのポケットから、くしゃくしゃになった名刺を手渡すと、青年は二人に軽く頭を下げて逃げるようにその場から去ってしまった。
「あー、なんで君は剣を抜いたんだ?」
「面倒くさくなってしまってね。脅かせば黙るかと思ったんだ」
「.........レポートはしっかり伝えた方がいいと思う」
そう言って、アガサは呆れた様子で自室に戻っていった。そして少ししてからまた戻って、カムパネラに何かの紙片を手渡した。
「何があったか知らないけど最近、気分が沈んでるんじゃないか? ここに行けば、少しはマシになると思うよ」
アガサの渡してくれた紙には何処かの住所が書き込まれていた。
「占い師でも紹介してくれるの?」
「占い師って言えばそうかもしれない。行って、相談して、それで帰ってくればいい。ここで悶々とするよりはいいでしょ。悩みを聞いてくれる人間はここには居ないし。君、相談する気も無いだろ?」
正にその通りだ。カムパネラとて、アイラスやテイラーに相談されても真剣には取り合わない。自分がそうなのだから他人に期待するのはお門違いだろう。
カムパネラは、小さなチラシの破片に書き込まれた住所を目指して歩き始めた。




