九章 エルメス②
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ボンと車に投げ込まれたのは、手首をぐるぐる巻きにされた誰かだった。口にはダクトテープを貼り付けられたが鼻は空気穴として確保されており、窒息はしないだろう。チェリッシュの席だったはずの助手席には、アイラスが座り込んでいて何だか新鮮な気分。とはいかないだろう。
身を乗り出して後部座席に手を伸ばすと、拘束された女のダクトテープを剥がした。
「おっと、これじゃあ会話ができねーな」
「いっ! もう少し優しく...」
目じりに涙を浮かべた女は皮膚が引っ張られる痛みにひきつった。
「それでようテイラー、オーラントが何処にいるかわかるのか?」
「も、もちろんですとも。オーラント様を追跡するために、ラフィエラ様からペンダントを貸り受けましたから。これがあれば、オーラント様を追跡できるはずです」
体を横に揺らして首に下げたペンダントを見せる。だが、両手が塞がれていてはどうしようもなく、テイラーは拘束を解いてくれるよう期待した。それでもアイラスは無慈悲で、首に下げたそのペンダントを握るとグイッと引っ張る。体の自由が効かないテイラーは、首が折れるかというほどの力で前に倒れる。
「こいつでどうやって見つけるってんだよ」
「痛い......。ペンダントは守護星の全員が持っている物で、お互いの位置や生体情報を取得できるんです。簡単な情報だけですが」
「まあ、使い方が分かるのもお前だけだ。お前の他に動いてる『天使派』の連中は?」
「ウィーリス様の部下が動いてると思います」
「ふーん。なあ、お前って組織内でどの位置の立場なんだ?」
「私は、守護星直下の者ですから、立場で言うとそれなりに高い方です。だから皆さん助けてくれると思います」
「上手くいったらお前を解放してやる。だがもし上手くいかなかったら、俺たちと一緒に地獄行きだからな。頼むから良いように動いてくれよ」
脅しとも自嘲とも取れるその言葉に、テイラーが壊れた人形のように首をぶんぶんと振った。そして数分後、黒い髪の毛のカムパネラが運転席に戻ってきた。心なしか白髪が増えているようにも見える。
真っ青な顔でハンドルを握ると、直感的に死を覚悟したアイラス。その勘は正しかったようで、いつものような静かな運転なんかではなく、急発進と急ブレーキが多い危険極まりないドライビングであった。
「法定速度を忘れたようだな......」
「よ、よく冷静でいられますね。うっ!」
背後でナビを務めるテイラーは吐き気を抑えるのに必死で指さしと簡単な言葉でのナビしかできていない。そして限界を迎えたようで、袋も広げぬ内に下を向き出した。直後、カムパネラは四枚すべての窓を全開にする。
ヨークタウンの街中を走らせていると、やけに人通りの少ない道路に出た。人の往来が少ないと言うより全くのゼロだった。おかしい。そしてもっとおかしいのは、目的の場所がここだったということだ。
住宅もビルもショッピングモールもある。無いのは人間だけ。家に籠って出てこないだけだろうか。
それならもっと不気味なわけだが。
車から降りるとアイラスは、ぐったりしたテイラーを車外に叩き出す。水で口を漱いでからダクトテープを付けた。アイラスなりの真心といったところなのだ。
「よし、準備完了だ。これでいつでも、”テイラー人質作戦”に移れるぜ」
「なら担いで、『天使派』の人間がいるところまで行こう」
カムパネラが言うと、愛車のボンネットが潰れた。突然の出来事であった。
そんな潰れた愛車に目を向けると、悲惨な姿にした犯人が分かった。チェリッシュだ。突然吹き飛んできたチェリッシュが、クッションとして使ったのだった。チェリッシュ的に誤算だったのは、そこにカムパネラが居たということだろう。
冷たい視線で、動けないチェリッシュを見つめた。そしてそのまま、カムパネラは口を開いた。尋問するように平坦な口調で。
「なんで私を裏切った?」
「カムパネラ......。そもそも、私は、カムパネラの部下になったって言った? 私は、私のために生きるんだよ」
「答えになっていないな。まあいい、資料を返してもらえればそれで済む。資料はどうした? どこにやった?」
冷淡な声で続ける。そこに、チェリッシュが親しんだカムパネラの面影を感じることはできなかった。故に、チェリッシュが言葉を発することは無かった。
手負いとはいえ、チェリッシュに引きの選択肢は無かった。傷だらけの体に鞭を打って起き上がる。
チェリッシュは理解していた。今の状態では、カムパネラに勝つのは難しい。逃げることも、簡単ではないだろう。仮に逃げ切れたとしても、”イブリス”を置いて逃げることになる。
一人で逃げることに初めから、意味なんてなかった。
「退けよ......。じゃないと、私が殺す」
「この状況で脅しに意味はないね。”イブリス”って一体誰だ。あの資料は何に使う気なんだ」
カムパネラは冷静だ。怖いくらいに。何があったか聞くのは、自分じゃないなとチェリッシュは自答した。そして気が付いた。カムパネラの背後から、天使派の刺客が迫っていることに。
裏切ったとはいえカムパネラが無残に引き裂かれる姿は気持ちの良い物ではない。大声で叫ぼうとして、肺が潰れていることに気が付く。口を出たのは大量の血液だ。すると次の瞬間、体にも血液が降り注いだ。今度は自分の物ではなく、良く知る人物の暖かな血。
昨日まで語らい合っていたはずの、けれど自分が裏切った、もう会うはずも無かった人物の。
カムパネラは、心臓に近いところを刺された。だが、意識は依然はっきりとしていたし体もよく動いた。密着するようにして攻撃を仕掛けてきた天使派の人間。丁度いいところに、そいつの頭があった。
喉を掴むと、力任せにそれを引きちぎった。皮膚も肉も骨も、でたらめに引きちぎれた。声は既に上げられないし空気は吸い込めない。数秒と経たずに地面に倒れ込む天使派の刺客。
突き刺さる真っ白な槍を引き抜いて、カムパネラは治療魔術を自身に施す。そして、何故だかチェリッシュにも同じ魔術を行使した。
勿論、完全回復なんてできない。だが、今まで使えなかった魔術を簡単に行使できた。自分の身に余るこの力も、知らない。
知らない力に知らない技術。それでも、使えてしまった。それが、カムパネラにとってどれだけの苦痛だったことか。
チェリッシュは黙り込んで、カムパネラを見つめることしかできなかった。その瞳には、心配の色を浮かべる。
「あー、取り込み中悪いが、敵だぞ」
アイラスのその言葉で二人は我に返った。チェリッシュの飛んできた方向から、ゾロゾロと天使派の刺客がやって来る。諦めの深い息を吐くと、カムパネラは刃を握った。
チェリッシュが聞いた最後の言葉。それは、チェリッシュの記憶にあるカムパネラの、最後の言葉だった。
「もう、面倒くさいな。どうでもいい」
その言葉の後、広がったのは血の海だった。
横一閃にされた首。美しい断面の腕。ぐちゃぐちゃに潰された頭部。破裂したかのように壁に張り付いた胴体。飾り付けられた芸術品のように、殺戮の中には美しさが混在するような凛とした佇まいを感じる。地面にまき散らされた血は、その暗さと少しの粘度のせいで泥沼のようだった。
そんな泥中に、一輪だけ花が咲いたような、場違いな白い髪のカムパネラ。血を吸って成長したのではなく、ただ血で遊んで育ったように。死体にも何にも、興味など無いように見える。
「天使派とは敵対してるの?」
「ああ、そうだ」
諦めるようにチェリッシュは答えた。何かを期待していたわけでないが、チェリッシュは言葉を返す。
「他に仲間はいるの?」
「……だれも。いや、イブリスがいる。あと、オーラントも」
「うーん、二人の特徴を教えてくれない?」
何も知らない無垢な子供のように質問を続けるカムパネラ。そんな白い彼女を、チェリッシュは警戒していた。だから黙り込んでいたのだ。
「天使派と戦ってるやつがいたら、それがオーラント? イブリスは女の子? 男の子? とりあえず小さな子供?」
「イブリスは小さな女の子だ。たぶん、オーラントといっしょにいる」
もうどうしようもない。自分でも気がついている。体が自由に動かない。痛みで呼吸が上手くできない。理解せざるを得ない。今はカムパネラに頼るしかないのだと。
そしてイブリスとオーラントについて聞き出したカムパネラは、身を翻すと駆け出した。
今までの彼女からは考えられないほど身軽にかつ素早く駆け抜けた。
家屋を飛び越え屋根に乗り移り、バランスを保って走行を続ける。平屋から二階建てへ。二階建てから三階建てを。飛んで走ってを繰り返していると、何やら刃のぶつかり合う音が響いた。
引き寄せられるようにその場に向かう。近づくとより鮮明に聞こえてくる。刃の他に、銃声も聞こえてくる。風を頬に感じながら、”カムパネラ”は語り掛ける。
「ああ、君みたいなのもいるんだね。でも私はあんまり使わないから、これは君に残しておくね」
スーツ越しにホルスターを撫でた。そこにカムパネラ以外の人間はいないのに、話していた。誰に話していたのか。あるいはもう一人の自分なのか。
切れ目があった。乗り移れる建物も目の前に無い。ここだろうな。そう思って、片足に力を込めてジャンプした。
刀を掴んだ腕に意識を集中させ最大限まで溜める。横に薙ぐと、ため込んだ魔力を解放する。
斬撃に魔力を乗せた一撃。下も確認せずに放った一撃は、運よくオーラントと少女を傷つけることは無かった。間一髪で避けた敵対者は腕を片方失っていた。
膝を少し折って落下の衝撃を和らげた。そして、歪な三つ巴が幕を広げようとしていた。




