九章 エルメス
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カムパネラが目を覚ましたとき、彼女はソファの上で横になっていた。馴染み深いその上で、痛みの続く頭に手をやった。感触に違和感を感じたが、それが包帯だということには直感で気が付いた。身体を起こして部屋の中を見回すとアイラスしかおらず、チェリッシュは、やはり居ない。
「どうなってるんだ。一体」
吐き出すように口を開くとアイラスが答える。おどけたような口調は普段通りだった。
「チェリッシュが急に襲ってきて、その後に彼女の保護者が現れた。ってとこだな」
「保護者って誰だ? というか、何故急に襲ったんだ。意味が分からないな」
「”イブリス”だの”あの子”だの言ってたぞ。まあ、なんのことだかさっぱりだが」
「そうか」と短い一言で終わらせると、カムパネラは立ち上がった。まだ割れた頭が痛むのか、ふらつきながら、ソファの背もたれに手を掛けて、なんとかといった様子だ。一息吐いてホルスターの銃を確認する。それに嫌な予感で察したアイラスが警告するように口を開いた。今度は、おどけてふざけた様子は無しだった。
「なにするつもりだ。チェリッシュを追跡するとか言うなよ、今回ばかりは、ほんとに死んじまう」
「それでも、理由を確かめるべきだ。それに、マルコスに失敗したなんて言えない。『天使派』にチェリッシュがいる限り、私たちとマルコスの情報が洩れるだろうし」
それらしい言葉を並べ立てるが、そんなものが命を張る理由になるものか。裏に、何か他の理由があるはずだ。
そう思うと、答えにため息すら出せずにアイラスは黙り込む。だが、答えは決まっている。
「それはいいが、俺は行かないぞ。死にたくないんでな」
「ああ、勝手にしてくれ。別に巻き込むつもりもないからね」
言い切ると玄関から激しい騒音が鳴った。騒音というよりも破壊音だった。玄関の破片がパラパラと落下すると共に、何者かの足音まで響いてくる。二日酔いなんて比にならない程の不調を抱えて、カムパネラは襲撃者と対峙する。
華奢な体付きにドレスのような白い法衣を身に着けた女性。
両側には豪勢な装飾の剣が宙に浮いており、欲張りなヤツだと思う。ベールのような薄い布で顔を隠しているが、透けて見える唇や瞳は色素が薄い。身も心も『天使派』と言った様相に、カムパネラは吐き気を覚える。一言も発さないその女に、心の底から不気味さを感じる。
瞬間、カムパネラは飛んでくる刃に瞳を切り裂かれそうになる。腰を折って避けると、上瞼を多少切り裂かれ血が流る。それが目に入った。視界が一時的に使い物にならなくなった。
軽いうめき声を上げ、ホルスターから銃を引き抜いた。リボルバーではなく自動式拳銃だった。間髪入れずに引き金を引くが、女は傍らに備えたもう一方の剣でそれらの弾丸を防いだ。
キッチンに突き刺さったままの刃が引き抜かれる。それを理解できたのは、法衣の女が手を引くような動作をしたからだった。開いた手のひらを、握りこんで後ろに引く。すると剣が同じような挙動を取って法衣の女の元へと戻る。
その直線上にカムパネラの頭はあったが、串刺しにされることは無く、頭を下げると簡単に回避できた。そして法衣の女、敵の手数は相変わらずの二本になってしまう。
法衣の女が口を開いて言葉を投げかけようとしたその時だった。突然、アイラスが両足を揃えてドロップキックをお見舞いする。剣を二本重ねて防御しようとも衝撃を殺しきれず、女は後ろにのけ反る。巨大な剣で自ら視界を塞いだ彼女は、何が起こったのかわからないまま外に押し出される。
拳銃の中の残弾が無くなったカムパネラは、リボルバーに持ち変えても止まらず撃ち続ける。そしてリボルバーの弾丸も使い切った後、入れ替わるようにアイラスが攻撃を加えた。
今度は片足を床に付けての蹴りだったが、手すりしかないアパートの廊下ではそれでも致命的だった。スレッジハンマーのような重工な一撃で、女は地面に落下した。
「今の内に逃げよう」
アイラスは恥じらいもなくそう言う。取繕者にとっての一番の恥は、死ぬことだ。
だがカムパネラは、銃をホルスターに仕舞うとメモ帳を取り出した。何をしているのかわからないアイラスは困惑するが、カムパネラは歩みを止めなかった。
全てがどうでもいいような、怒りを抱えたような。そんなどっちつかずの表情で、カムパネラはメモ帳を開いて一本の刃を引き抜いた。そして手すりを越えて地面に落下する。
「はぁ......。早く帰りたいのですが、大人しく殺されてくれませんか?」
先に地面で待っていた女は退屈そうに言った。だが、カムパネラがそれに、言葉を返すことは無かった。
鍔も滑り止めもないその刃。実戦には絶望的に向かない刀を引き抜くと、カムパネラの雰囲気も変わった。というより、カムパネラそのものが変わった。
髪の毛が黒から白に色抜けしていき、硬い表情も柔らかになった。だがその表情は、張り付いた笑顔のようで、他の表情を知らないから仕方がなくやっているようにも見える。
一転した存在に、法衣の女は脅威を感じて、瞬間、二本の剣を飛ばした。殺意の籠った二本の刃は、煌めきながらカムパネラを捉えた。
宙を舞う刃はどちらも、鋭い音を鳴らすと空高く打ちあがった。そして女が見たのは、片手を振り上げたカムパネラの姿だった。風に靡いた白い髪の隙間から、淀んだ瞳が覗ける。背筋に悪寒が走る。打ち上げられた二本を何とかして、自らを守るように引き戻す。だが、遅い。
空に手をかざす。その行為が、どれほど滑稽に映ったことだろうか。カムパネラは、法衣の女が一目逸らした隙に懐まで入り込んでいた。彼女はここで、初めて冷や汗を掻いた。歯ぎしりをして顔を歪めた。胸にとんっ、と何かが当たる感触があった。
そして、女は吹き飛んだ。これまでに感じたことのない強烈な衝撃が胸を襲ったのだった。
体で地面を滑る。土埃を発しながら横倒れた。膝と手を付いて、何とか呼吸を整える。ふらふらと立ち上がる。そして、歩いて近づいてくるカムパネラを睨みつけるが、睨むだけだ。何かができるわけでもない。
倒れ込むような前傾姿勢を取って加速すると、その一刀は、法衣の女に綽綽と届く。胸倉を掴まれされるがままに倒れ込む。彼女は腹の上に馬乗りにされて、首には切先を向けられていた。
薄い、暗い瞳で見つめられる。深淵のような泥沼の瞳に、女は自らの恐怖を見た。
「それで、君、だれ? 突然押しかけて殺そうとするなんて。よくないよ」
切先で首をのぞるように器用に動かす。血が流れ、首に沿って地面に垂れた。
「そ、それは、言えない。殺されて、しまうから」
喉を絞るように言った。その答えが気に入らなかったのか、カムパネラは握る拳に力を込める。一段、深く刺されると明確に死を意識した法衣の女は、か細い悲鳴の後に白状した。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! だから殺さないで! 喋る、全部喋る! 誰に言われたのかも作戦の内容も!」
目に涙を浮かべながらそう叫んだ女。カムパネラが薄いベールを破るとその顔がしっかりと見えるようになった。それに興味を失ったか、それとも他に惹かれたか。カムパネラは突然顔を上げた。
「あれ、壊すね」
そう言うとカムパネラは空中に浮遊したままの二本の刃を砕いた。飛び上がり、振り下ろし。刃の中腹から叩いて真っ二つだ。
その様子をあんぐり口を開いて見ているしかなかった少女が、ガタガタと震え始めた。
「わ、私は守護星の一人から指令を受けて、それでここに来たの。チェリッシュが居なくなったから、不穏分子の二人を殺せって」
「ほう、それで失敗したわけだ」
遅れて登場したのはアイラスだ。階段を優雅に下り腕組みをしながら近づく。
「おい、カムパネラ……でいいのか。とりあえず、これはチャンスかもしれない」
「チャンスって?」
「こいつをダシにしてオーラントとチェリッシュを引きずり出すんだよ。あっちに人質はいないが、こっちにはいる。
それだけでアドバンテージなのに、今のお前は滅茶苦茶だ。オーラントとも戦えるかもしれない」
「つまりどういうこと?」
「資料は取り戻せるしチェリッシュもこっちに戻せる。上手くやればだがな」
守護星の使いだと言う法衣の女の前で、堂々と作戦会議をする二人。そんな彼らを哀れに思ったのか、女は助言をする。
「オーラント様の行方はわかりませんし、あの方はすでに天使派から離反しました。それと、私を人質にしてもオーラント様は動揺しないでしょう」
「なら好都合だろ。『天使派』、オーラント、僕たち。三つ巴だ。勝率が上がったな」




