八章 メルツェルン大聖堂
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「ほへー、結局取れなかったんだ。二級の免許」
「取れなかったね」
カップに注がれたお茶を飲み、カムパネラは言った。昇級試験には不合格だった。理由はわからない。が大方、査定者の気分だろう。
興味を失ったかのように温かいお茶で喉を潤す。あんまりにも平然としているものだから、チェリッシュもそんなものなのかと受け入れた。が、目的を果たしていないことに気がついた彼女は、カムパネラに向き直ると再度質問する。
「じゃあどうするの。マルコスに言い訳でもする?」
「いや、依頼は受ける。今思えば、正規のルートで依頼を受ける必要なんてないだろう。
協会を挟まなければ、上位の免許証は必要ない」
カムパネラは開き直っていた。規則を破ることに抵抗がないのだろう。確かに協会を仲介しなければ、問われる免許の有無のみだ。
素人が、依頼内容の危険度など知ろうはずもないのだから。だがマルコスは取繕者であって素人ではない。そんなに上手くいくものだろうか。そんな不安が胸の中でこだまするが、見透かしたようにカムパネラが口を開いた。
「マルコスもおそらく協会は挟まない。今回のは、『天使派』に喧嘩を売るような依頼だからね」
「そんな危険な依頼を受けるのはマズいんじゃないの。間違わなくても死んじゃうよそれ」
「拒否権でもあればよかったんだけど、そんなものは無いからね。そもそも、アスターの依頼を受けたのが間違いだったよ......」
言い切ると、カムパネラは立ち上がった。すると何かを悟ったように古風なタイプライターに近づいた。針がカタカタと動き出しピリオドの打たれた一枚の紙をそっと取ると、深くため息をついた。
そして紙だけを後ろに回してチェリッシュにも見せる。
マジックタイプライターが動いたということは、そういうことだった。
「依頼書が来たよ。これから死地だね......」
アイラスが車に乗り込もうとしたが、中の雰囲気は沈んでいた。それは危険性の高い、一歩間違えれば死んでしまう大変スリリングな依頼だからではなかった。後部座席に座り込んだとき、直感的にそう理解した。居心地の悪さが首を痒くする。
友達の浮気現場を見てしまったような、誰もが口を開けないそんな空間が出来上がっていた。
が、取繕者なんて職業の人間にまともな者は少なく、アイラスも空気を大事にする性格の持ち主ではなかった。
軽快にとはいかないが興味を抑えきれない口調で、カムパネラに質問した。
「何かあったのか? すんごくどんよーりとしてるんだが」
ハンドルに手を回し、アクセルを踏み込んだカムパネラがその質問に解を示す。
「私たちが問題を起こした、『天使派』のヨークタウン支部に行くからね。私たち、死ぬのかもね。これじゃあ、気分が沈んでいても仕方がないさ。チェリッシュも、さっきから一言も話さないんだ」
「静かなのは良い事なのでは」
カムパネラの答えはそんなものだった。だが、アイラスにはどうしても違和感を拭えなかった。
二人の異様な空気感には、違った理由が垣間見える気がしたからだ。要注意人物として手配されている可能性が高い、謂わば敵と表現してもいい結社。そんなところに人生の片道切符で赴く。
死出の旅路だけが、この空気を作っているわけではない。もっと何か、”自己”に関わる深い理由が見え隠れしていた。
誰にでも、隠し事の一つや二つはあるものだ。別にそれを詮索しようなんて気はさらさら、アイラスにはない。
それでもだ。今から依頼を遂行するというのに、そんなネガティブ思考で良い訳がなかろう。
アイラスとて、若くして死にたいわけでもないのだ。短く太くではなく、長く細くだ。
「それで肝心の依頼内容は? 教えてくれないか」
「天使派の拠点でお宝探しだね。まあ、一般構成員には私たちのことはバレていないと思うから、潜入する分には問題ないだろうね。ただ」
意図的にそこで言葉を切って溜める。別に語気を強めるわけでもなく淡々と、カムパネラは話しを続けた。
「上層部の人間にはバレてると思う。それと、探し物は人造天使の研究データらしくてね。この依頼をしたら、後戻りできないだろうね」
「『天使派』に人造天使計画ですか......。上役に出会わなければいいな。なっ、チェリッシュ」
「......そうだね。できる限り穏便に済ませたい」
チェリッシュは意気消沈と言ったようにやけに静かだった。これが凶兆の前触れにしか感じなかった。どうにかこの悪い空気を払拭しようと頭を巡らせるが、ものの数秒で諦めた。
たどり着いた先は、大聖堂と言うのが似合う巨大な建物だった。近代的な街の一角を埋めるその白い聖堂は、様相が異なりすぎる。見上げると尖塔のように鋭い梁が両側に見えた。
目の痛くなるようなそれを見つめて、カムパネラたちは中に入って行く。
驚いた。内部にはたくさんの人がいた。おそらく白星教の信者。長椅子に腰かけ祈りを捧げる者もいれば、歩き回って奥に消える者もいた。観光客と信者、それから『天使派』構成員が同時に存在する空間だった。
観光客の見分けは簡単だが、信者と構成員を見分けるのは厳しい。ブランド物の真贋を目利きするような物だ。カムパネラにはできなかった。
中央の最奥には、自らの体を両手で包んだ女性の像と、その左右には天に向かって腕を伸ばす修行者のような像が設置されていた。そして空中に浮かぶ原理不明の白く輝く球体。ご神体といったところか。
その球体に有難く縋りつくような恰好で、それらの像は存在していた。そしてその下には、像に縋る人間たちが居る。よくできた構造だなと感心し、カムパネラは祈りの場を横切る。他の観光客に紛れて、ステンドガラス越しに太陽が差し込む廊下を進む。
カムパネラは、行き当たりばったりで進んでいるわけではない。マルコスから送られてきた依頼書には、天使派の拠点の内部構造と、研究資料の大方の目星が付けられていた。数枚の依頼書を捲って確認すると、それを懐に仕舞う。
まあ、マルコスが情報を隠していないとは証明できないわけだが。
中々簡単にいきそうで、内心ホッとするカムパネラ。本当はもっと、殺伐とした血みどろの戦場を覚悟していたが、一般人の多いここなら『天使派』も問題は起すまい。
そう思うと途端に体が軽くなった。口も、いつもの様に動いてくれた。
すれ違う人々の中には幼い子供も多々いたが、銀色の髪を持った少女は一人だけ、現実離れしているように見えた。
「意外に穏便に済みそうだ。手早く見つけてここから逃げよう」
「......あ、うん。そうだね」
上の空だ。チェリッシュは何か、あるいは誰かに目を取られていたようで、心ここに在らずだった。
それを不思議にも思わず、カムパネラは歩を進めた。地下に続く階段に、観光客の多くは吸い込まれていった。だが、用があるのは地下ではない。その近くにある関係者以外お断りの扉。そこが目的地だった。さも当然のように扉を開いてするりと蛇のように侵入する。
当たり前だが、扉の向こう側には『天使派』の警備員らしき人物がいた。予想外だったのだろう。固まって、その手に持った紙束を落とした。腰の警棒を引き抜こうと、白い服の人物は手を回すがそれよりも早くアイラスは動いていた。二秒にも満たない時間の中で制圧し、地面に横たわらせる。
「早く探そう。ここは資料室らしくてね、グズグズしてると他の連中が来てしまうかもしれない」
「探すたって、一体全体どれだよ。こんなに棚があったら訳わかんないが」
そう言いつつ、アイラスは強盗のような達人級の手つきで棚を物色し始める。
ドレッサーを物色し、本棚を物色し、机の引き出しを物色し。数十分を越えて、ようやく見つけ出した研究資料。地面に散らばる紙や物品は一つもなく、代わりに横たわる人数は三人に増えていた。
「ようやく見つけた。よし、これを持って早くマルコスのところに行こう。それから魔術協会から脱退だ」
「結社から抜けるのか? 組織的な庇護下にいた方が安全だと思うんだけど」
「こんな依頼をさせてくる組織にかい? 命が幾らあっても足りないよ。やらなければいけないこともある。そろそろ潮時だ」
そう言ってカムパネラがドアの方に向かって歩き出すと、見張りをしていたチェリッシュも近づいてくる。「帰ろう」と口を開いた瞬間、出てきたのはえづきがせり上がった。
チェリッシュの、彼女の横顔には少しばかりの苦痛が見て取れた。
腹部に鈍痛が走ると共に、腰を殴打されて地面にダイブする。何が起きたか確認する前に、カムパネラは自分の体を起こそうとした。
それでも、立ち上がろうにも立ち上がれない。身体に走った痛覚が、身体機能を妨害しているようだった。何か嫌な予感が、カムパネラの頭の中へ流れた。
と、次には後頭部を踏みつけられる。木の根がへし折られるようにふっと、カムパネラは意識を失う。アイラスが振り向いた時には、既にカムパネラは気絶していた。そして今まさに、チェリッシュが資料を奪い上げた。
音もなく一足で近づき、薄暗い資料室で戦闘が始まる。アイラスは感情の色を見せない瞳でチェリッシュの顔を映した。
手のひらをチェリッシュに向け、顎を狙う。紙一重でそれを躱して後退するチェリッシュ。
冷や汗が、途端に噴き出る。だが攻撃はそこで止んだ。アイラスは地面で眠るカムパネラを拾うと肩に担ぎ、突然の裏切り者に言葉を投げた。
「一応聞くけど、何のつもりだ」
「こうするしかないんだよ。こうでしか、あの子は救えない。だから、『ごめん』とは思ってるよ」
「そうか。それを返してはくれないよな?」
言葉の代わりにチェリッシュは、ガントレットを装備する。言葉は不要か。そう思った途端、運悪く扉が開いた。そして資料室に入って来た人物を見て、アイラスは戦慄した。
「『チェリッシュ』。今はそう名乗っているだったね。私のあげた名前は、気に入らなかったのかい?」
「黙っとけよ......。これで、イブリスは助かるんだろうな」
「ああ、もちろんだ。それと、お前が私のもとに帰ってくるのならな。エルメス、まだ、私は君のお父さんでいられるかな?」
黒いスーツに身を包み、胸ポケットには天秤の紋章。その佇まいだけで息が詰まりそうだった。そういえばここの下には、地下墓地もあるんだったなと、アイラスは思い出した。
「オーラント......なんであんたみたいな奴がここに居るんだよ。はぁ、こんなことなら、家で寝てれば良かったな」
アイラスは既に諦めていた。自分の命も、カムパネラの命も。だが目の前の男は、チェリッシュに手招きをすると扉を開いた。
「君たちは消えていい。目的は資料と、エルメスだけだからね。それと、資料のことは感謝するよ。こればかりは苦手でね」
その後ろについていたチェリッシュが最後に言葉を残した。
「重ねになるけど、ごめん」
「カムパネラに言ってやれよ。その言葉は」
アイラスに出来る最大限の行動だった。チェリッシュは歯噛みして、その場から消えた。
そして二人の『天使派』はその場から消えた。一分程だ。その場で立ち尽くして、アイラスは部屋を飛び出した。誰も追いつけないほどのスピードで大聖堂を出ると、一直線にカムパネラの車を目指した。
その顔には、畏怖が滲んでいた。




