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第76話 貴族なんて大きらい

扉を開けるともうすでに五騎士団長と王、教皇は揃っていた。

ヒナはそこに取り乱した様子のない、いつもの国明の存在があることに一応安堵し、そして自分も気負ってないと振舞うように、普段どおりの笑顔を作った。

 

「あら、私が最後だったの? お待たせしてごめんなさい」


 美珠が足を踏み入ると、それに続いてもう一人足を踏み入れる。

 皆の視線が注がれた。


「伯父上、伯母上、ご無沙汰しております」


 一国の為政者に礼儀正しく一礼した秦奈国の第二王子を見て、国王と教皇は立って迎え入れた。


「お付の方からこの国にいらっしゃったとは聞いたのだけれど。もうここにいらしてたのね?」


「はい。昨晩よりこちらでお世話になっております。話は、概ね姫から聞きました。秦奈国としましても早急に協議しなければなりません、国に残る兄に今日にも真相を告げたいと思うのですが、許可いただけますか?」


 国王は甥の言葉に頷くと、国明へと目を向けた。

 焦燥感も悲壮感も出すことなくいつものように騎士団長としての顔でそこに立っていた。

 そんな彼に向ってヒナが説明を求めるような目を向けると国明と目が合い口を開く。


「昨日、藤堂秀司の部下、春野に国王騎士一人と玲那が襲われました。息子を人質に取られた玲那は城の井戸に毒を投げ込もうとし、それを祥伽王子に止めていただきました。……申し訳ありません。例え、息子が人質に取られていたとはいえ、このようなこと」


 ヒナはただその言葉に驚かされた。

 また藤堂秀司が絡んでいる。

 そこに玲那の名前が出るとはどういうことなのか。


「しかし、どうして国王騎士がそのようなところに? 国王騎士は全て北にいるのでしょう?」


 教皇の言葉に何を弁明することもなく国明は頷いた。


「ええ、それですが、国王騎士杜国もまた何を問いかけても答えませんので至急、国境の副団長に確認を取り、対処するつもりではおります」


「騎士とは団長の命を無視してうごくものなのか? おまけに何も答えないとは、そいつ裏切り者じゃないのか?」


「騎士が裏切っているなんてこと!」


 ヒナは騎士について殆ど何も知らない祥伽がそんなことを言うのが許せなかったが、次に被せられた祥伽の言葉に反論できなかった。


「だったらなんで何も弁解しない。やましいことがあるからだろう」


 騎士が背いているなんてこと想像したくない。

 けれど藤堂秀司絡みなのだ。

 どんなはかりごとが隠されているのか、それが分らない以上、頭ごなしに否定はできなかった。

 自分に仕える女性たちの長、侍女頭までが自分を裏切っていたのだから。

 国明もまた祥伽の言葉に何も言わずただ頭を下げた。


 信じられないものが増えてゆく。

 それがヒナにとっては苦しくてならなかった。


「この国の歯車がどんどんおかしな方向へ行っているのでしょうか」


 藤堂秀司のせいで。

 あんな男一人のせいで。


「私、玲那と二人で話してみたい」


「美珠様」


 相馬がそんな思いつきをとめようとしたが、教皇が目で制した。


「話をしてどうするの?」


「わからないけど、でも話してみたいの」


 自分から国明を奪った女。

 好感は持てなかった。

 救いたくもなかった。

 けれど、やはりその女がどういう人間なのか、何を考えて生きてきたのかを知りたくて、ヒナは顔を上げた。


 ああだこうだ文句をいうくせに、ついて来ると言ってきかない祥伽を伴って王城の地下牢へと足を向ける。

 王城に入ると正面に存在する豪奢な大階段を右へと避け、何度も通路を曲がる。

 次第に通路は細くなり、装飾もない石がむき出し通路へと変わってゆく。


 王城は幼い頃の遊び場だった。

 父についてきては珠以、珠利、相馬といういつもの幼馴染の面々で隠れんぼをしていた。

 そんな懐かしい気持を壊したのはその幼馴染である国明の声だった。

 一足先に王城へと向っていた国明は既に玲那の尋問を始めているようだった。


「ちゃんと話をしてほしい」


「ごめんなさい。ごめんなさい。明君」


 木の扉一枚挟んだ向うから聞こえてくる女のすすり泣き。


「玲那。さっさと口を割れ、杜国と何をしてた? どうして毒をまこうとした」


「お願い聞かないで」


 ヒナはこっそりと鍵穴から覗いてみた。

 自分を捨てた男と、その男が選んだ女がただ見合っていた。

 地下牢の中で。

 けれどそこには甘い雰囲気など存在せず、罪人とそれを尋問する公人としての騎士の存在しか見つけられなかった。

 尚も国明が冷たい口調で言葉を吐く。


「なら先に杜国を処刑する。国王の命を破り単独で王都に来て、そして団長の妻と密会していた。この緊急時にだ。団紀に違反する。すぐに処罰する。命までは奪われないだろうが、退団、そして鞭打ちは免れないだろう」


「待って! 待って、久杜坊ちゃんは何もわるくないんです! 悪いのは私だけで!」


 まるで恋人の命乞いをするような悲鳴に近い声だった。 


「君が何も話さないのなら仕方ないだろう? この件で国王騎士団の信用は地に堕ちた。団長の妻が王に毒をもろうとしたんだ。俺の一族郎党死は免れない。君も、俺も、里も。俺の父たちも皆失脚し死を賜う。ただ俺はその前に杜国だけは許さない。目の前でお前を王城へと行かせたんだ。本来ならばお前を殺してでも止めるべきところだというのに。罪をでっちあげてでも、残酷な方法で処刑する」


「里と坊ちゃんの命だけは助けて」


 美しい声など微塵もなく、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになって玲那は夫へと叫んだ。


「あの子には罪はないの! お願い、明君! 里を助けて!」


「君はそれぐらいの行いをしたんだ。俺の一族、全て君のせいで死を賜う。どっちにしろ誰も助かる道はない。それを踏まえた上でさっさと真実を吐くか、拷問の上に吐くか、どちらか選べ」


 国明は冷酷にそういうと背を向けた。

 ヒナから見た顔は見たこともないほど強張った国明の顔。

 自分に決して向けることのなかった顔だった。

 もし自分が悪いことをしたら彼はこんな風に自分に声を掛けてくるのだろうか。

 こんなに冷たく他人行儀に振舞うのだろうか。

 ヒナはあまりに厳しい国明に面食らった。

 

 けれど気力をどうにか取り戻し、自分の目的を遂行することにした。

 わざとらしく悲鳴を上げながら地下牢へと足を踏み入れる。

 そこに存在するのは一国の姫ではなく、制服に身を包んだヒナだった。


「もう、いったい! ってば!」


 話をあわせておいた警吏役の祥伽はむっつりとヒナをひっぱって、尋問するように椅子に座らせた。

 一国の王女、王子は誰が見ても罪人と警吏にかわっていた。


「だから、なんにもしてないって言ってるでしょ?」


「嘘をいうな! お前、北晋国の間者だろう! 何が目的でこの国に入った?」


 意外に演技のうまい祥伽にヒナはさらに悪ぶってみせる。


「だから違うって、確かに北晋国で暮らしてはいたけど、それが悪いって言うの? ああ、そうですか、この国は北晋国出身ってだけで罪人にするんだ」


 平手で机を叩いて相手を睨み返す。

 すると祥伽も睨み返していた。

 視線はいつものように。


「だったら、城で何をしていた。何のために侵入した!」


「だから、ちょっと観光だって」


「兎に角、牢に入ってろ」


 ヒナは玲那の入っている牢に押し込められた。

 そして祥伽に目をやる。

 祥伽は床に突っ伏して泣いている玲那を見て、別に特別表情を壊すこともなく、もう一度ヒナに目を向けてから国明へと向いた。

 嫌味はいつもどおりだった。


「大変だな。国王騎士団長。欲でそんな女を選んだからそんな目にあうんだ。大貴族であるお前のその妻のせいで多くの人間が処刑されることになる」


 調子に乗る祥伽に少しムカついて、ヒナは牢を蹴ると、一瞬国明と目があった。

 ヒナは泣きじゃくる玲那に目を落とすと、任せてとばかりに頷く。

 国明は牢の中に入れられてしまったヒナにどこか心配そうな目を向け、少し頭を下げて出て行った。


 ヒナと二人きりになっても玲那は泣き続けていた。

 正直、ヒナはこの女に親切にする気は毛頭なかった。

 泣いている背中に手を置いて撫でてやろうなんていう気持はさらさらない。

 

 彼女は井戸に毒を入れ自分達を殺そうとしたのだ。 

 そして国に尽くしてくれる麓珠や国明を陥れた。

 そのせいで、国明やその一族は命の危機にまでさらされている。


 なのに自分のしたことを謝る訳でもなく、ただ何も言わず息子の命と国明ではない別の男の命を助けて欲しいという。

 とんでもない、自己中心的な女だと思う。

 ただこの女を「そういう女」だと決め付けていいのかは分からなかった。

 だからこうやって話してみることを選んだのだ。


「ねえ、あんた何したの?」


 ヒナは悪ぶって声をかけてみた。

 けれど完全に無視された。

 暫く黙っておくことにした。

 

 手持ち無沙汰で、ポケットに入れたチュッパを一個出して、包みをはがし口に入れる。

 優菜の好きなコーラ味。

 優菜という言葉を思い出すと泣いてしまいそうで、目的を遂行するために慌てて女にチュッパを差し出した。

 同じコーラ味だった。

 断られるかと思ったけれど、素直に玲那はそれを受け取った。

 そしてそれを見て北晋国を思い出したのかもしれない。

 涙混じりに、一人呟くように声をあげた。


「こんなことなら、北晋国から出なければ良かった。この国に帰ってこなければよかった」


 帰ってこないでくれたらよかったのに。

 ヒナもそう思いながら、その女に同調してみることにした。


「あなたも北晋国にいたの? どの辺? 私もいたんだ。私はねえ、御陵町にいたの」


 責められてばかりいて顔を伏せていた玲那はやっとヒナへと目を向けた。

 ヒナを関係のない人間だと理解したのだろう。

 世界の歌姫は取り立てて美人ではないが嫌味のない色の白い女だった。

 が、泣いて充血した目をこすり、何度も何度も鼻水をすすって、涙を拭いて言葉を紡いだ。


「御陵町? 私も知り合いがいたから行ったことあるわ」


 玲那はヒナの手から受け取って飴を口に運ぶ。


「へえ、偶然だね」


「藤堂医院って知ってる?」


 ヒナは突然相手から出てきたその名前に目を見張った。

 こんなところでその名前が出てくるとは思わなかった。

 やはりこの女食わせものの内通者か、そうヒナが構えたときだった。


「里、息子を取り上げてくれたのはそこの優子先生でね。年も近いし、何でも先生になら話せたんだ」


「お姉ちゃんが?」


 やっぱり紗伊那でその名前が出てくるとは思わなかった。

 藤堂秀司が何か企んでる、そうとしか思えなかった。


「お姉ちゃん? あなた優子先生の妹さん? あら? 優子さんの弟しかいないと思ってたのに」


「優菜と私双子で」


「そうそう、優菜君。可愛い男の子だったわよね。そうなの、優子先生の妹さんなの? 優子先生と私は上皇様のところでよく顔を合わせててね。同じ時期に妊娠してて、お母さんになるもの同士話したのよ。三日違いで私が先に里を産んで……でも」


 何かを思い出したように玲那の顔は暗くなった。

 つられてヒナの表情も暗くなる。

 彼女に一体何があったのだろうかと。


「でも、まさか優子先生の旦那さんがあんなことするなんて」


「あんなこと?」


 玲那は唇を噛んだ。

 きっと昨日の息子を人質に取られたことを思い出したのだろう。

 ヒナはその腕を掴む。


「また藤堂秀司?」


 玲那は静かに頷いた。

 けれど不思議そうに顔をヒナへと向けてくる。


「また? それってどういうこと?」


「お姉ちゃんを殺したのは藤堂秀司」


「優子先生、亡くなったの? そんな! いつ! 優真ちゃんは?」


「だから私達逃げてこの国にきたの。この国にはおじいちゃんがいるから」


 事情をしらず驚いたように目を見開く女に美珠は頷いた。

 すると女もまた言葉をなくして黙り込む。


 それから暫く言葉はなかった。

 二人でただ飴を舐めていた。


「ねえ、さっきの話にもどしていい? 貴方、こんなところにいれられたってことは何かしたの? それとも無実?」


 玲那は悲しそうに目を伏せていた。


「私は無実なんかじゃないわ。自分でも嫌になるくらいはた迷惑な女だと思う。でも仕方ないわ。だって私はこの国が大きらいなんだもの」


「どうして、生まれた国なのに? 何がいやだったの?」


「この国は私を人として認めてくれなかったから」


 ヒナは意味が分からず首を振った。

 この女は人ではなく、魔物なのだろうか、と。


「それはどういうこと? 聞かせて、お姉ちゃんのかわりにはなれないかもしれないけど」


 その言葉は玲那をツボをついたようだった。


「北晋国生まれのあなたは知らないかもしれないわね。この国には北晋国よりも細かい身分制度がある。底辺は奴隷よ」


「奴隷?」


「そう、貴族達が財産として数える家畜と同じ扱いの人間。王都にはあまり存在しないかもしれないわね。教会が原則禁止しているから。まあ、田舎に行けばゴロゴロしているけど」


 勉強の中で、言葉なら聞いたことがある。が実際、ヒナは見たことがなかった。

 使用人とか、そういう類は目にしたことがあるけれどその響きをもつ人間たちが美珠姫の前に現われたことはない。

 美珠姫は奴隷という領域も貧しくはあるが同じ人だとおもっていた。


「奴隷は人間じゃない。殺しても罰せられないし、南の地区では奴隷狩りっていう狩りをしているくらいだもの」


 その言葉にヒナは首を振る。

 そんな現実しらなかった。

 知らないでは済まされないだろうに。


 玲那は上を向いた。

 昔のことを思い出して、涙が毀れないように。


「私の親はまだ奴隷ではなかったわ。でももう奴隷一歩手前の小作の農民。貧しくて貧しくて、私は下の子達を食べさせるために、十歳で親に売られたの。闇で開かれる奴隷市場に。そして買われた。その地方の領主の家にね。領主家族は素敵な家族だったから、領民にもすごく慕われてた。私も、食べるものに不自由しない生活が嬉しくて、家族とはなれて寂しいというよりはちょっとほっとしてたの。奴隷でも最下層の農民よりましなんだって。

 でも、あの家にいって一年経った時、領主に納屋に連れて行かれたわ。掃除でも命じられるのかとおもってついていったら、そこで散々体をなぶられた。奴隷の私に抵抗なんてできるわけなくて、ただ耐えるしかできなかった。そんな生活が毎日続いたの」


 美珠はその玲那の表情を見ていると心が痛んだ。

 顔中が苦しみに満ちていた。


「そのうちにそれが領主の息子に見つかって、領主とその息子は大喧嘩になった。お坊っちゃん育ちのあの人は家畜と同じ扱いである私を庇ってくれたのよ。でも、領主はそれが面白くないみたいだった。家畜を人間扱いする息子の頭がおかしいと思ったのかもしれないわ。自分達と奴隷は違うんだって、言い聞かせるように領主にその息子の前で鞭で打たれて、衣服もつけないで仕事をさせられることもあった。それでも、何度も何度も助けてくれたの。あの人は血も繋がってない、ただ買われててやってきた私のことちゃんと人として見てくれてた。

 私の言葉にも耳を傾けてくれた。気遣ってくれた。私はその人が見せてくれる笑顔が大好きで、大好きで……。その人は、その人だけは寂しくて隅っこで私が歌を歌っていると聞きにきてくれていつも褒めてくれた。あの当時の私の観客はその人だけだった」


 玲那は幸せそうに微笑みながら涙を拭った。

 彼女にとっての当時の優しい思い出はそれだけなのだろう。


「でも、その人は騎士の試験を受けることになった。あの人が騎士になるかもしれない。それは嬉しかったけれど不安で仕方なかったの。その人がいなくなったら私はどうなるのかと。抗うことのできない領主から、この先もずっとこんな目にあうのかって。

 不安で泣いてるとき、彼が私に言ったの。私の歌を色んな人に聴いて欲しいって。そんなこと言われるのが初めてで目を丸くしてたら、酒場の名前を書いたメモとお金をくれた。騎士採用試験の下見に言ったとき、酒場で私の歌を聴いてくれるようにお願いしたから、そこで面接うけてくるようにって」


 玲那は懐の小袋からメモを出した。

 ボロボロで紙ももう擦り切れていたが、まるで宝物のように彼女は持っているのだ。


「その晩、私は逃げ出してこの街にきた。酒場で採用してもらって一月ですぐに売れっ子って呼ばれるようになった。そんな時にね、人にあったの。まるで前までの私を見てるような全てを諦めたような顔をした男の子。私を助けてくれた人と同じくらいの年恰好で、大好きなあの人と姿が重なって、置いておくことができなかった。だから、連れて帰ったの」


 美珠はそれが国明のことなのだと理解した。


「私を助けてくれた人とは全く違う、優しくもない、可愛くない男の子だったけれど、でも何でか放っておけなかった。その子も貴族の坊っちゃんで、年もあの人と同じ。でもその子は私を奴隷と知らないから対等でいられた。見られたくない姿を見せていたたまれなくなることもない。私はその子を大好きなあの人だと、そう思い込もうとしてた」


 この人にとって国明はその程度の存在でしかないのか。

 彼女にとっての国明はただ初恋の男を重ね合わせた身代わりの男。

 国明は運命の相手でも何でもないではないか。


「でも、それから少ししてお忍びで紗伊那にいらしていた上皇様にお会いして、北晋国にいけることになった。私も思ったの、この国に嫌な気持、全て捨てて新しい自分で生きていこうって」


「その時にその最後の人とはどうなったの? 子供がいるっていってたわよね。誰の子なの? その男の子? 好きな人? 領主?」


 それが一番知りたいところだった。


「初恋の人はその逃げる日に手を握っただけだもの。頑張れって笑って手を握ってくれただけ。それに……本当は明君とであった時にはもうおなかには里がいた」


 ヒナは力を失った。

 あの子供は、あの七つになる子供はやっぱり違う。

 国明の子供ではないのだ。

 この女の嘘だったのだ。


「名が売れて、色んな人に声を掛けられて紗伊那で公演することになって、怖くなったの。私はまだ戸籍はあの家の奴隷。万が一、あの領主にあって、連れ戻されてまたあんな目に合わされると思ったら怖くて仕方なかった。

 そんな時、優子先生の旦那さんの藤堂さんとばったり会った。北晋国以外にも色々なことを知ってるあの人に悪い印象がなかったから、紗伊那の様子をいろいろ聞いていたの。公演をするから今の様子を教えてほしいっていう内容で。でも一番知りたかったのは坊っちゃんが騎士になったのかどうか。

 そしたら藤堂さんは国の内乱で活躍した姫の記事を持ってやってきた。そしてそこには明君の名前があった。英雄だって称されて、彼の生い立ちも書かれていたわ。私、一度彼からきいて実家を知っていたから、国明という人で間違いない、そう思った。あの無気力な男の子が騎士団長になったことを知って私」


「だから、名前を利用したの?」


「ええ。そう。私も世界の歌姫と称される人間だから。別に騎士団長の妻でも恥ずかしくないはず。そして名門貴族出身の騎士団長の権力であの領主を追い落としてやろう。そんなことを考えて明君を利用した」


 悔しかった。

 そんな思惑の為に自分たちは壊れたのだ。

 運命の出会いだと思って、焦がれて焦がれていたのに、愛し合っていたのに。

 たった一人の嘘でそんな運命は破綻した。


 苦しめた領主を追い落とす、そんな自分達には何の関係もない目的で、もろく崩れてしまった。

 蓋を開ければこんな簡単なことで。


「私貴族なんて大きらい、あんなやつら滅びちゃえ」


 淡々と話すこの女が憎かった。

 事情を知れば、本当にただの女だった。

 確かに、自分で自分に目をやってみても、跡継ぎ姫と称されてはいるが、ただの一人の女なのにと自分で慄くことがある。

 彼女も世界の歌姫と称されて、人々から目を向けられてはいるが、ただの女なのだ。

 苦しんだ彼女が自分の思うように生きて、後悔する必要はないのかもしれない。

 けれど、自分のことだけしか考えないこの女のせいで自分はどれだけのものを失い、国明もどれだけのものを失ったのだろう。

 そして国明はこの女のせいで命まで奪われるのだろうか。

 自分から国明という存在を奪っただけでなく、彼の命まで奪ってしまうというのか。


 美珠はこの女を殴りつけてやりたかった。

 彼女の身の上を考慮したとしてもどうしても許せなかった。

 きっと彼女にしてみたら奴隷制度すら分っていない自分という姫が憎い存在になるには違いないが、今はそんなことどうでも良かった。

 国明の恋人であった美珠として、ふざけるなと罵ってやりたかった。


 けれどそこに藤堂秀司が絡んでいた。

 あの男が扱うのは情報だと優菜は言っていた。


 きっとあの男は姫がどれだけ国明という存在を愛していたのか、国明がどれだけ姫を思っていたのかを知った。

 美珠のもとで侍女頭をしていたあの側近から手に入れていたのかもしれない。

 そして目の前に紗伊那を、紗伊那の貴族を憎む世界の歌姫がいる。

 どうにかして結び付けようとしたのかもしれない。

 うまく結びつけば、その玲那を利用し国王騎士団長である国明も、紗伊那の大貴族である国明の一族を破滅させることができる。

 それがもともとも目的だったのだ。

 そして事態はさらに好転した。

 何を言うまでもなく、紗伊那という国を救った英雄を玲那が利用したのだ。

 きっと、玲那にはことの重大さなど伝えられていなかったはずだ。

 彼女はただ自分のためだけに国明を利用しようとした、それが国を巻き込んだ事態になるなんて思いもつかなかっただろう。

 それは分かる。

 けれど、


(絶対に、納得できない!)


 牢が夕闇に包まれた頃、足音が聞こえた。

 鍵を持って祥伽と国明がやってきたのだ。

 

「無罪放免だ」


 祥伽が鍵を開けるとヒナは俯いたまま出た。


 そして隣に立つ国明を見上げた。

 大好きな人で、大切な人で、自分の理解者だった人。

 彼が他の女のものではないと理解しても、悲しみと怒りの方が勝った。

 別の女のせいで国明の愛を失った。

 その女に国明の命すら奪われるというのか。

 国明として出会って、恋をして数ヶ月で彼の存在は失われてしまうのだろうか。

 結婚はできなくても、ともに国を作るという目的すらも失われてしまうのだろうか。


 藤堂秀司という男はどれほど人から奪い取ればいいのだろう。

 優菜もきっとこんな思いを味わってきたはずなのだ。

 一緒にいたから、分かる。感じる。 

 両親を殺され、姉を殺され、そのたびに許せない気持になっただろう。

 姉優子を奪われてきっと優菜は明確な殺意を抱いただろうと思う。

 きっと燃えた街を見ながら、こみあげる気持を抑えていたのだろう。

 

 そんな時、祥伽はヒナに耳打ちした。

 美珠は聞いた言葉に膝を折る。

 信じられない言葉だった。


「藤堂秀司という男から王宛てに文書が届いた」


 彼は死んだのではないのか?

 優菜が命を張ってあの男を倒してくれたのではないのか?

 またあの男は計略をめぐらしてくるのか。

 そして罠にはまってからまたしてやられたと気付くのだろうか。 


 もう、勝てない。

 自分の完全な敗北だ。

 これからも自分は大切な人を奪われ続けてゆく。

 自分ではどうやっても勝てない。


「おい!」


「いかがなさいましたか!」


 祥伽と国明の声が遠いところで聞こえた。

 ヒナはそのまま気を失った。


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