第75話 尊大無比な紅の瞳の若い男
「あの人が城に毒を?」
世界の歌姫、国王騎士団長夫人玲那が捕えられたという情報がヒナの元へとあがってきたのは夜も更けてのことだった。
優真を寝かしつけ、自分もそろそろ眠ろうとガウンを脱いでふかふかの布団にもぐりこんだその直後。
情報を得てきた相馬によると、当の玲那はずっと口を閉ざしたまだという。
「国明さんは?」
「玲那についてるらしいけど、俺も話せてない」
国明と玲那とは子供までもうけた仲だ。
二人がどれほど理解し、愛し合った夫婦なのか知らないが、妻が国明の仕えている王に毒を盛ろうとした。
よりにもよって忠誠を誓う国王にだ。
それは国明にとって許せない行為だったのではないだろうか。
できれば大事にしたくはない。
今回のことをもみ消すことのできないものなのだろうか。
相手の女を庇ってやる気はないが、国明に不利になることだけは避けたい。
それが国明を愛してきた「美珠」としての本音だった。
しかし考えれば考えるほど玲那がどうして城に毒をまいたのか、検討がつかなかった。
数ヶ月前、彼女はこの国に戻り、何の不自由もなく暮らしていたのではないのか。
自分から国明を奪って、富と名声と国明との子供さえも得ているはずなのにまだ何を得たくて、今度は父王を狙ったのだろうか。
王を殺して得られるものは何だったのだろう。
それとも……
「ま、まさかお父様が手をだそうとしたとか?」
「ええ? そんな話聞いてないよ? だって国明の奥さんだよ? いくら王様でもそれはないと思うんだけど」
お互い強い否定はできず憶測だけで話を進めていたが、話が話だけにヒナはもう少し状況を知りたくてベットから体を起こし、履物に足を突っ込んだ。
ソファに体を横たえていた桂も起き上がって二人の話にじっと耳を傾けながら、必要なら動くよ、そう体で言ってくれていた。
相馬はそんな主を横目で見ながらもう一言付け加える。
「でね、玲那を捕まえたの、紅の瞳の人らしいよ」
「え?」
「魔法騎士が尊大無比な紅の瞳の若い男に玲那を託されたらしい。その人、またどこかに行ったみたいだけど」
その言葉にヒナはたまらず走っていた。
紅の瞳はこの国に存在する瞳の色ではない。
大切な友の国の特有の瞳の色で、その友の瞳の色だった。
「ちょっと、どこ行くの! フレイは?」
本能的に走り出したヒナに気付いて桂が慌てて追いかけてくる。
「心当たりがあるから! すぐ戻るわ!」
「ヒナ! 警護はいいの? 狙われるんじゃ」
慌てた様子のない相馬に桂は少し苛ついた視線を送っていたが相馬は一つ息をしただけだった。
「大丈夫、騎士団長が騎士を周辺に配備してくれてる。美珠様にはいえなかったけど、今回の一件にもまた、どうやら藤堂秀司の手のものが絡んでるらしい。今王都は厳戒態勢とってる。それに騎士団長達も外に出てくれてる。もう紅の瞳のその男がどこにいるかも分ってるから危なくないよ。その男と美珠様にとっては思い出の場所だから、きっと美珠様もそこに向かうよ。きっとあの人も美珠様を待ってたんだよ」
「また藤堂秀司、あいつ生きてるの?」
桂は心底悔しそうに呟いた。
居場所のなかった自分を迎え入れてくれた優菜を、やっと気持を伝えることの出来た故郷のその穏やかな景色を奪った憎い男の存在が自分の中で大きくなってゆく。
相馬は険しくなってゆく桂の表情を伺いつつも、口先だけで励ますようなことはしなかった。
「まだ何ともいえない。でもやっぱり気を抜くわけにはいかないね。さてと、俺は客室の用意でもするかな」
ヒナは白亜の宮の鉄柵を薄着で飛び越えた。
絹の上品なレースのあしらわれた純白の寝間着と、部屋履きの白い布靴という恰好で。
鉄柵に寝間着の裾が引っかかり、嫌な音がしたが今はそんなことに気を持っていくわけにはいかなかった。
雪の中、絹一枚という薄着でも寒さは感じなかった。
そんなことに気付く余裕もなかった。
彼がこの国にきた理由、それは自分が死んだからだ。
そうに違いない。
紗伊那の西に位置する小国、秦奈国。
そこには二人の王子がいる。
紗伊那の王の実妹を母に持つ王子が二人。
数ヵ月後、秦奈国の王となる長男ではなく、弟が美珠姫亡き後、紗伊那の後継者として望まれたのだろう。
伝えないといけない。
美珠姫は生きているということを。
心配しないで、ということを。
ヒナは人の気配のなくなった王都を休むことなく疾走した。
時折、竜に乗った騎士の姿を見かけた。
どの顔も薄着で疾走する一国の姫を見て、驚いたように目を瞠っていたが、要所要所で騎士団長達が彼らに合図を送り、姫の行く道を守っていた。
けれどヒナはそんなことにも気付かず走り続けた。
友に会うためだけに。
友と話をするためだけに。
足を止めたのは小さな橋の前だった。
用水路に掛けられた生活に直結した橋。
かつてこの場所で意味も分からず蕗伎の配下に襲われて、川に落とされた。
自分を川に引き込んだのは紅の瞳を持つ、はなもちならない男だった。
今、そこには黒い外套を着た男がたっていた。
積もった白い雪の中静かに佇んでいた。
ヒナが乱れた息を整えようと白い息を吐きながら近づくと、外套を着た男が目を向けてくる。
紅の瞳と黒い瞳がぶつかった。
その目がどこか悲しそうに、問うようにヒナを見つめていたが、言葉は媚びることはなかった。
「死んだらしいじゃないか、お前」
「ええ、死んだの」
「なら、お前、なんで目の前にいる」
「もう一人の友達のお陰、かしら?」
紅の瞳を持つ男、秦奈国第二王子祥伽は少し鼻で笑うと積もった雪に埋まるヒナの素足に目をやって、そのままヒナの体を抱き上げた。
「秦奈国では死んで成仏できず化けて出てきた人間には足がないという。お前には足がある」
ヒナはそんな突然の祥伽の行為に驚きつつも、文字通りのお姫様抱っこに顔を赤らめるわけでもなく怪訝な顔を向けた。
「女嫌いなおったんですか?」
「俺がいつ女嫌いだった? やっぱり重いなお前」
「本当に貴方は失礼ね」
重いと言われヒナが口を膨らませると、ろくに体を鍛えたこともない祥伽はそれでもゆっくりと足を進めた。
「内々にお前の父親から打診が来た。お前が死んだから、俺にこの大国の王の跡継ぎにどうかと」
「なんて答えたの?」
「答えてはない。あの馬鹿兄と何度も相談したが結局結論はでなかった。けれどここに来た。お前がこの国にもう存在しないというのも信じられなくて」
「私はここにいるわ」
「なんだ、この橋の精霊にでもなったか。まあ、精霊でも物の怪でも何でもいい。もう一度お前と話ができたんだから」
「祥伽、私も話がしたかったの。だからここに来たの」
自分が本当に死んでいれば祥伽の人生も大きく変わっていたのだろう。
小国の第二王子から突然大国の跡継ぎになるのだ。
待っているのは穏やかな人生ではなく、過度な期待。
それでも強く自分を持っている祥伽であるならば、対立を繰り返しながらもうまくやっていけるのかもしれない。
ヒナは祥伽の横顔を眺めながらそんなことを考えてみた。
「何、文句を言いたげに人の顔を見てる」
「失礼な。少し考え事をしていただけです」
それから雪道をただ黙々と歩いてそして白亜の宮へとたどり着くと門の前に燕尾服に身を包んだ相馬が立っていた。
「お待ちしておりました。祥伽王子」
「よう金魚のフン」
その言葉を聞いて相馬の眉はピクリとあがったが、何とか堪えたのだろう、優雅な仕草で貴賓を宮の中へと通した。
相馬がちゃんと暖めてくれていた客室に入ると、二人で物も言わず我先にと暖炉の前に座る。
すぐに相馬は二人の背中に毛布をかけてくれた。
ヒナはやっとここで自分の姿に目をやった。
肌の色が透けて見えるほど薄い寝間着は柵で引っかかり破れていたし、雪でところどころ濡れていた。
よくこんなもので走ったものだと自分自身の猪突猛進さに呆れながら隣の祥伽にチラリと目を向けてみる。
相変わらず無愛想な顔で炎を見つめていた。
その後ろでは相馬がお茶を用意してくれていたが、相馬から発せられる陰の気にあてられないようにヒナは無視を決め込むことにした。
「一体、何時間あそこにいたの?」
「さあな」
「おなかはすいていませんか?」
「べつに」
相馬が二人の前に暖かいお茶を置いた。
紅に色づくお茶に口をつけながらヒナが目をあげると、紅色の瞳とぶつかった。
「生きてるんだな。お前は」
「生きていますよ。心配かけてごめんなさい」
祥伽はすぐに視線を反らし、それからじっと炎を見つめていた。
赤々と燃える火を。
「でも、ここに戻るまで色々あったのよ」
「聞いてやる、友達だからな。さっさと話せよ」
「うん」
*
「ねえ、ヒナ。この人だれ?」
朝食時、優真は正面に座る紅の瞳の男におびえていた。
ずっと睨まれている気がしたからだ。
「ああ、この人ね、蕗伎おじちゃんと私の友達で祥伽っていうの」
「蕗伎おじちゃんの? あの、私、優真」
「ああ、よろしくな」
どうやっても尊大で子供に対してもニコリともしない祥伽が怖いのか優真は今にも泣いてしまいそうな顔で桂の後ろに隠れた。
「大丈夫よ、優真、この人は貴方に怒ってるわけではないのよ。あのねえ、祥伽王子、その愛嬌のない、人を睨んでるような目が悪いんだとおもうわ」
項慶が後ろから優真に助け舟を出すと、祥伽は舌打ちをして顔を反らす。
「おまけに口も悪いから……。優真大丈夫。この人、ほんの少しだけいいところがあるの」
ヒナと項慶に好き放題言われる祥伽をニヤリと見ながら相馬が話に入った。
「ひゃあ、女性を敵にするとろくなことがないねえ。さてと、それでさ、どうするの? 姫様、玲那には興味なし?」
「尋問してるの見に行くほうがいい?」
確かに玲那の話は聞きたい。
けれど他の女を庇う国明を見るのにはまだ抵抗を感じる、ただ国明と話をして事態を知りたい自分がいる。
ヒナがまごついているとそれを察したのか相馬はそれ以上何も言わず笑顔を作った。
「まあ、兎に角、国王様と教皇様のところへ行こうか。少し話は進展してるかもしれないし。この王子様、ここに来てることもちゃんと報告しないとね」




