80.人殺し
「チッ! まぁいいわ。家のローンと借金で首が回らなくなったあんたなんか、こっちから願い下げよ。離婚してあげるから、積立貯金全部と慰謝料と養育費三人分、寄越しなさい。創歌瑠、迷露茶、鯉澄! 勿論、ママと一緒に暮らすわよね?」
姉ちゃんが立ち上がって、俺の肩に手を置いて言った。
「私とこの子は、病院で取り違えられた他所の子なんでしょ? お母さんいつも言ってるじゃない。私たちみたいな不細工な子は、産んだ覚えないし、要らないって」
「それは躾で言っただけじゃない! 今まで育ててやった恩を忘れたの!?」
「躾? 自分の機嫌悪い時、私とこの子に当たり散らして、存在を全否定するのが躾なの? 小さい頃は、お祖父ちゃんたちが面倒見てくれてたし、お祖父ちゃんたちが引越してからは、家のこと全部、私とこの子がしてるじゃない。恩なんて……」
「チッ! ブスが! ごちゃごちゃと!」
オカンがコーヒーカップを投げつける。
姉ちゃんは、慣れた動きで避け、カップはカウンターキッチンの角に当たって砕けた。
「お前、何てことを!」
父ちゃんとクソ兄貴が、同時に立ち上がる。
兄貴の肘が当たって、カップが落ちた。こちらは割れず、床に珈琲をぶちまけた。
あーあ……またこの後片付け、俺らかよ。やらかした奴が片付けろよな。
オカンは、鬼の形相でカウンターキッチンの調理スペースに回り込む。
姉ちゃんが息を呑んだ。
こっちに戻ってきたオカンの手には、不吉に輝く包丁があった。
今まで、どんなにキレてても、打撃系だったのに、とうとう刃物を持ち出した。
「笑美華! 何をする気だッ? やめないか!」
「うるさい! ブスの癖に口応えしやがって!」
父ちゃんが鋭い声で制止する。オカンは全く聞いていない。
ってういか、怒りのポイントそこなの?
斜め上のキレ方に思考が麻痺した。何もかもが、スローモーションに見える。
オカンが、父ちゃんを突き飛ばし、テーブルを回り込む。
姉ちゃんが、俺の肩から手を離して後退する。
父ちゃんが立ち上がり、オカンを取り押さえようと、手を伸ばす。
俺は腕環をつけながら、合言葉を唱えた。
姉ちゃんの悲鳴が、俺の声に重なる。
「いやぁあああぁああぁああ! 人殺しー!」
「アルセナール……デーレヴォ! 助けて!」
オカンが包丁を腰溜めに構えて突っ込んできた。
見えない盾にぶつかり、勢いよく刃先が反れる。
ガッと音を立てて、包丁がテーブルの縁に食い込んだ。
腕環が青い光を放ち、デーレヴォが現れる。




