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狐と首領様  作者: ゆん
3/3

後悔と怒り

 目が覚めると、葛葉の知らない場所にいた。古さを感じさせる色褪せた天井を暫く眺め、粗末だけれど質のいいベッドから体を起こそうとすると、下腹部に鈍い痛みが走ってベッドへ逆戻りした。

(いった……! 何だこれ、わたし……)

 痛んだ理由が分からなかったのは一瞬だけ。直後、脳裏に浮かんだのは、欲に濡れた血の赤。昨夜の事を思い出した瞬間、顔が真っ赤に染まった。

(な、何て事してしまったんだ……!)

 好きでもない、しかも会ったばかりの男に体を許してしまうなんて。自分で自分が信じられない。あまり覚えていないが、抵抗らしい抵抗もせず、熱い手が体に触れるのを素直に受け入れていたような気がする。

 男を受け入れた時だって、あまりの痛みに涙をこぼしながらも、すがるように男の背に腕をまわして。

『――大丈夫だ』

「……っ!!」

 男の低い声と、宥めるように背を撫でる熱い手をはっきりと思い出して、葛葉は赤い顔を枕に埋めた。甦った男の声を振り払うように、ぐりぐりと顔を枕に押しつける。心臓がどきどきと逸って落ち着かない。

 枕に顔を埋めたまま、殊更ゆっくりと深呼吸をする。何も考えるな、と自身に言い聞かせながら。

 何度も何度も深呼吸を繰り返してようやく落ち着いてきた時、突然ノックも無しに扉が開かれた。

「……なんだ、目が覚めたの」

 湯気の立つトレイを手に入ってきた長身の人間が、嫌なものを見たかのように眉間に皺を寄せながら呟く。そのまま扉近くにあったテーブルへトレイを置く人間を、葛葉はついまじまじと見つめてしまった。

 きらきらしいネックレスやブレスレットをいくつも連ね、纏っているのは複雑な紋様の描かれた床まで届く白のワンピースドレス。澄んだ青空色の目は冷たく涼やかで、艶やかな銀髪の一筋一筋を細かく編み上げ、頭の高い位置で一つにまとめて背に流している様は上品で優美なのに、発した声は――驚くほど低い。

 聞き間違えたかと首を捻ると、人間はあからさまな嫌悪を湛えた視線をよこした。

「アタシが綺麗だからってじろじろ見てんじゃないわよ、小汚ない野良狐風情が。ランドがアンタを抱いたのは魔力を回復させるためなんだから、調子に乗らないでよね。わかったらさっさと餌食べなさい」

 まるで人間の男のような低く野太い声で吐き捨て、乱暴に扉を閉めて出て行った。ばたんと大きな音が室内に響く。

 言われた言葉の内容が理解できなくてぽかんとしたまま人間がいなくなるのを見ていたが、ようやく動き出した頭が先ほどの言葉をじわじわと解読する。

「……なんっなんだアイツ……ッ!」

 ようやく暴言を吐かれたことを理解し、込み上げる怒りのまま柔らかい枕を叩いた。ぎりっと音が鳴るほど歯を噛み締める。

 ひどい暴言だ。誰が、小汚ない野良狐だと? そんなひどい事、初めて言われた。

 けれど、狐という言葉にはっとした。頭に手をやると、柔らかい感触とともに耳に何かが触れた感覚。さあっと音をたてて血の気が引いた。

 耳を、隠していなかった。軽い音をたててベッドへ落ちた尻尾さえ、出ていることに今気づく。いつもなら完璧に隠している葛葉の秘密が、取り繕う余地もなく晒されていた。

 明らかに葛葉の失敗だ。こんな見たこともない部屋で目覚めたのなら尚更警戒し、一番に気づくべきだった。昨日あんなことがあったから注意力が散漫になっていたなんて、人間に見つかってしまった今となっては後悔してももう遅い。

 さっと室内に目を走らせる。窓には分厚いカーテンがかかっていて外の様子はわからない。室内にあるのは葛葉が座っているベッドと、人間が何かを置いていった古びた木のテーブル、それと一対の椅子。テーブルに置かれた小さなランプだけ。

 改めて、寝ていたベッドを見る。体にかけていたシーツをめくっても、枕元にも愛用の帽子はない。着ている服は葛葉のものだが、ズボンは違う。隠した尻尾が目立たないゆったりとしたものではなく、尻尾をちゃんと外に出せるよう切り込みの入ったぴったりとしたもの。おそらく獣人専用のものだろう。

 ということは、身を隠す術が無いということだ。さっきの人間以外にも、この姿を見られるかもしれないということだ。

 小汚ない野良狐。呆然とシーツに広がる金茶色の尻尾を見つめながら、人間の言葉を思い出す。あれがこの国では普通の反応なんだろう。暴言が突き刺さって痛む胸元を握りしめながら、ぎゅっと目を閉じる。

 やはりあの時、男に声をかけるのではなかった。傷を負っていたからと、能力を見せるのではなかった。姿を晒すのではなかった。――そうしたら、いつも通りの日々を送れたのに。

 先ほどの人間の態度からして、葛葉は昨日の男に連れ去られたと考えるのが妥当だろう。そういえば能力を見て何かよくわからないことを言っていた気がする。その時から狙われていたのだと思う、人買いに。

 聞いたことがある、獣人は見た目の愛らしさや能力の高さから売買の対象になっていると。腐るほどの金を持つ貴族達がこぞって買い求め、特殊な鎖で繋ぎ、死ぬまでペットとして可愛がるのだと。

 可愛がり方も人それぞれで、犬猫のように可愛がる普通の人間もいれば、獣人に恨みを持ち、死なない程度に暴行し、傷を癒し、また暴行を繰り返す者や、獣人同士を戦わせ、どちらが強いのかを競う者もいるそうだ。

 葛葉もきっと、能力を見たあの男に人買いに売られたのだろう。いや、先ほどの人間の話だと、男が人買いだという可能性の方が高そうだ。どちらにしても、葛葉に未来はない。

 そこまで考えて、ライム色の目に強い光が戻った。

 売られてたまるか。葛葉には、一人前の料理人になったら旅をして様々な国を巡り、自分の店を持つという夢がある。そのためにはまだまだ親父や女将さんに学ばなければいけないこともたくさんある。

 こんなところで売られてたまるか。絶対に逃げ出してやる。

 幸い、鎖などで繋がれてはいないようだ。手も足も自由に動く。ならば、まずは体の痛みが取れるまで体力を温存しておかなければならない。その次に情報を集める。下半身の痛みが消えたらすぐにこの場を脱出して、必ずそよ風亭へ帰ってみせる。

 よし、と決意を固めてぐっと両手を握り締めた、その時。

「あっれー? なになに、まだメシ食ってねーじゃん狐!」

 突然かけられた声に飛び上がって驚いた。勢いよく声の主に視線を向けると、音もなく開かれていた扉と、一人の少年がテーブルに乗ったまま手つかずのトレイを覗き込んでいた。

 ふわふわと揺れるうねりのある黒髪に、葛葉のものと似た丸い吊り目。同じ葡萄色のスカーフを首に巻き、大きめのシャツを淡い色の腰布で縛っている。紺色の細身のズボンに仕立ての良い濃茶のブーツがよく似合っていた。

「な、い、いつ、」

 驚きで逸る胸を押さえ、どもりながらも少年へと尋ねる。

「んーと、オカマが出てった後すぐ?」

「え、おか、ええ?」

「さっきのだってば。え、まさか狐、さっきの女だと思ってたワケ? バッカじゃねーの、あの声聞いたらすぐわかるじゃん!」

 けたけたと笑う少年に、葛葉は一気に力が抜けた。気合いを入れた直後の少年の出現に驚きすぎて、固めた決意が流されていきそうだ。少なくとも、入れた気合いは流れていってしまった。

 ふう、と深くため息をついてそっと目を閉じる。まずは体力温存、情報を手に入れてから脱出。何度も頭で繰り返し、再び気合いを入れ直して目を開け、強く少年を睨みつけた――はずが、少年が見当たらない。

 きょとんとして、まさか部屋から出て行ったのかと思った瞬間、耳の内側にふうっと息が吹きかけられて背中がぞわぞわっとした。

「ぅやああ!」

「うはっ何その声おもしれーの! なになに、耳弱いの狐? うっわ、しっぽ超がびがびだし!」

 いつの間にかベッドのすぐ側へ近寄ってきていた少年がにやにや笑いながら尻尾の先をわし掴む。尻辺りにむず痒いような刺激が伝わってきて、慌てて尻尾を引き寄せながら少年の手を引き剥がそうとした。

「ちょ、やめ、やめろよお前!!」

「お前じゃねーし。ファイだし」

「何でもいいからやめろって言ってるだろ!!」

「ファイって呼ばなきゃ止めてやんない」

「わか、わかったから、やめてよファイ!!」

「いーよ!」

 名前を呼ぶと、満足そうに歯を出して笑ったファイはようやく手を引っ込め、葛葉は深く深く息を吐く。取り合ったためにぼさぼさになってしまった尻尾を、今度は優しい手つきでファイが毛並みを整えてくれた。

「ほらほら狐、さっさとメシ食ってまた遊ぼーぜ!」

 脱力し反論する気も失せたまま、ファイに手を引かれて慎重に立ち上がり、テーブルへと向かう。葛葉の肩と同じくらいの高さのファイの頭を見下ろしながら、どっと疲れを感じた。

 もう、何なんだこの少年は。獣の感覚で人間の気配がわかる葛葉に、気配を読ませない。いつの間にか部屋に入り込み、足音も無く葛葉のそばへ寄ってきて、葛葉の思考をかき乱す。こういう人間に今まで出会ったことがない葛葉は、少年にどう対応すればいいのかさっぱりわからなかった。

 ただ、これだけは言っておきたい。

「君と遊んでたつもりはないけど、遊ぶのはもういやだ!」

「君じゃねーって、ファイ!」

「ファイと遊ぶのいやだ……」

「オレは狐と遊ぶの、超楽しい! 狐、狐なんてーの?」

 痛む箇所に障らないようゆっくりと椅子に腰かけた。向かいの椅子をわざわざ葛葉の隣へ移動させて腰かけるファイの質問の意味がわからなくて、眉間に皺を寄せる。

「何がだい?」

「狐の名前! ランドがさー狐拾ったってしか言わないから、みんな狐の名前知らねーんだよねー」

「その前に色々聞きたいことがあるんだけど」

「めんどくさいからランドに聞いてー。風呂入ったら来るって言ってたし」

「……わかった」

「で、狐、名前は?」

「葛葉」

「クズハ? 違うな。クズハクズハ」

 くずはくずはと発音を確認するファイを横目に、トレイを見る。具無しの透明なスープとパンと、サラダと呼べるか怪しい野菜のぶつ切りドレッシング無し。そっとパンへ触れると、まるで石のように固かった。

「……何だこれ」

「くず、葉……葛葉! 合ってる?」

「うん、合ってる……けど……」

「へっへー! 葛葉な! 葛葉葛葉!」

 きちんと発音できたことに喜ぶファイよりも、葛葉は目の前のものが気になって仕方がない。

 食事……なのだろうかこれは。先ほど現れた人間は、確か餌だと言っていなかったか。ならばこれは獣人、いや、獣用の餌なのだろうか。

 無言でトレイを凝視する葛葉にようやく気づいたファイが、同じくトレイを見て肩を竦める。

「パンはちょっと固いけど、まあ、慣れたら美味いよ。歯ー欠けるやつもいるけどねー」

 驚く様子のないファイの態度に、この食事が日常茶飯事なのだと気づく。この、食事が。

 食べればー? とわざわざファイが声をかけてきたので、恐る恐るスープを口に入れる。途端、舌を突き刺すような刺激にむせた。

「っ、げほっ! げっほげほ、げほんっ」

「うはは、辛そー!」

 塩水だ。それも、かなり濃度の高い塩水だ。塩分補給のためなのだろうが、これは過剰接種に当たる、というかそれ以前に塩辛くて一口も飲めない。

 まさか、とファイを見れば、にやにやしながら頷かれる。

「慣れる慣れる!」

 無理無理と首を振ってスープは諦めて、パンを手に取る。口に運び、牙で削ぐようにかじってみる。石をかじっているようながりがりという音が不快だ。だが口に広がるパン屑は普通の、葛葉の知っている柔らかいパンと同じ味がして心の底から安心した。

 石、ではなくパンを置いて、野菜に手をつける。明らかに火を通した方が美味いだろう、というか生で食べる場合はすりおろしか千切りにする根菜類が、大きなぶつ切りにされて圧倒的な存在感を放っていた。口に運ぶと。

「……うん、根菜だな」

 野菜そのものの味がした。確かに素材そのものの味を楽しむことは必要だろうが、これは違う、絶対に火を通した方が美味いに決まっている。

 考えていたら段々と腹が立ってきた。なぜこんなものを食事として食べさせているのか。栄養バランスが悪いし、素材を活かせていない。何より、食事を楽しいと思えない。

 生きる上で欠かせないことは睡眠と食事だ。その食事をこんなもので摂取しているなんてふざけている。金が無くてどうしても、というのならば納得はできるが、ファイの服装や清潔さからしてそれはないだろう。ならばなぜ、こんなものを食事としているのか。

 野菜を握り締め無言のまま俯いたとき、こつんと扉が叩かれた。

「おっそいよ、ランド!」

「うるせえな、風呂くらいゆっくり入らせろ」

 聞き覚えのある低い声に、葛葉は勢い良く顔を上げ、飛び込んできた深紅の髪に怯むことなく男を睨みつける。葛葉の強い視線を面白そうに口元を引き上げて受け止めた男は、わざわざ葛葉のそばへ寄ってきて言い捨てた。

「お前は俺様のペットだ。逃げられると思うなよ?」

「言いたいことはいっぱいあるがそれよりも、この激マズな食事はどーゆー事だ!」

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