9.貴族の暮らし
思ったよりもさらりとした対応に戸惑っていると、横にいたエドの方がふぅと小さく息を吐くのが聞こえた。やはり、父親に恋人を紹介するというミッションはこの冷酷そうな男にもハードルの高いものなのだろうか。
エドはマーサと執事に声をかける。
「父上の許しも出た。マーサ、セバスチャン。任せるよ。俺の大切な人だ。丁重に対応してくれ」
「もちろん、もちろんでございます」
何やらマーサが涙ぐみながら、何度も頷いている。
今までの場面のどこに涙ぐむタイミングがあったのだろうか、貴族のことはよくわからん。
私がぽけーっとしていると、最後にエドが私を強く抱きしめた。
「本当はそばにいてあげたいんだけど、すまない。ようやく捕まった犯罪集団なんだ。すぐに終わらせて帰ってくるから、自分の家のように過ごしていて。そのうち、本当に自分の家になるんだし」
「……はい?」
今何か恐ろしい言葉が聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。気のせいだ、きっと。気のせいに違いない。気のせいであってくれ。
動揺する私の事なんて気にする事なく、エドは力強く抱擁した。
どうしよう、こんな大勢のメイド達の前でこんな態度を取られたら催眠術を解くどころの手間じゃ済まない。マーサと執事のセバスチャンなんて、いよいよ泣き出してハンカチで目頭を押さえている。
恋人に抱きしめられている、という状況だが、あまりに想定外に面倒な方向に進んでいく為に冷や汗が止まらない。やばい、本当に面倒くさい事態になってきた。
しばらく抱きしめられていたが、エドは惜しむように額にキスを落として颯爽と屋鋪から出て行った。
すぐに私はマーサやメイド達に取り囲まれる。
「さぁ! まずはご入浴ですね。こんなに血がついて……恐ろしかったでしょう、こんなにぐっしょりと汗までかいて」
汗をかいたのは、危機的な状況におかれた今のこの状況のせいだけど、私はとりあえず気まずそうに微笑んで小さく頷く。
マーサは可哀想に、といった表情で労わりながら、方々に指示を出し、私を屋敷の奥に案内する。
まずは入浴をさせてもらうらしい。
いよいよ、私は本当にどうなるのだろうか。
***
貴族って、本当にこんな暮らしをしているんだ。
入浴は浴場に案内されるだけなのかと思いきや、数人のメイドがかりで私の身体や頭を洗い上げ、ピカピカにし、すぐに手配してくれたというワンピースを着させてくれて、更には軽く化粧まで施してくれた。
体を洗う、着替える、化粧をする。
この工程が全て人の手で行われる。
長らく一人でさすらいの占い師かつ催眠術師をしていた私には、考えられない生活だ。
母が貴族からの依頼しか受けなかったのも少し分かる気がする、こんなに高待遇でお金も払ってくれる上客を一度相手にしたら、朝のあんなクソみたいな男の顔すら見たくなくなるかもしれない。
医者がまもなく来るからそれまで休んでいて、とふかふかのベッドの上で横にならせてもらう。
貴族くらいになると、雲を引きちぎってベッドにでもできるのかと疑いたくなる程の気持ちの良い寝心地だった。
程なくして医者がきて、診察を受ける。
脈が早いから気の落ち着けるような薬と、傷に塗る軟骨や打撲に使う貼り薬を処方された。
医者すらも丁寧だ。
貴族の日常、庶民には眩し過ぎるなと呆然とベッドに横になる。
マーサはそばについて、色々と世話をしてくれた。この人も騙してしまっているんだよな、と思うと申し訳ない気持ちになる。
せかせかと忙しなく動く祖母くらいの年齢の女性。
小さい頃風邪を引いた時に看病してくれた祖母の姿を思い出して、切なくなる。
私は小さくマーサに声をかけた。
「あの、マーサさん」
「マーサでよろしいですよ、若奥様。あら、若奥様はまだ早いかしら!」
浮かれきっている。
嬉しそうに口に手を当てておちゃめに笑いながら、そんな事を言っているマーサを見ると罪悪感でまた脈が乱れそうだ。
切ないあの昔を懐かしむ空気も吹き飛んでしまった。
かと言って、おたくのおぼっちゃんに催眠術かけちゃってなんて正直に白状したら違法薬物の奴らと同じようにかそれ以上に処罰されそうで何とも言う事はできないのだが。
とにかく、情報を集めなければ。
「あの、すみません。エド……エドワード様とはお祭りで出会いまして。私もこの王国に来るのが初めてでよく分からないのですが、こちらの家についても教えていただけませんか」
私が困ったような表情でそう言うと、マーサは少し驚いたような顔をしながらも嬉しそうに話を始めた。
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