勇者になれなかった
先代魔王の記録を読み終えてから、数日。
アレンは再び、いつもの日々を送っていた。
「魔王様、こちらにご署名を」
「うん」
「次はこちらです」
「はいはい」
「こちらも」
「……多くない?」
「通常通りでございます」
「これが通常なの……?」
アレンはため息をつきながら羽ペンを走らせる。
戦争はない。
反乱もない。
勇者が攻めてくることもない。
それでも、魔王の仕事は続いていた。
◇◇◇
昼過ぎ。
ようやく休憩をもらったアレンは、一人で魔王城を歩いていた。
廊下の壁には、歴代の記録が残されている。
その中に――先代魔王の肖像画があった。
「…………」
アレンは足を止める。
「千年か……」
自分とは比べものにならないほど長い治世。
それでも最初は、ただの弱い少年だった。
「僕も十五歳だもんな」
まだ。
魔王になって八年しか経っていない。
「……これからか」
アレンは再び歩き出した。
◇◇◇
その日の夕方。
アレンは大庭園へ向かった。
普段通り一般開放されている。
子供たちが走り回り。
商人が売店を開き。
四十種族の者たちも普通に歩いている。
「あ、レン!」
「ガッシュ」
ガッシュが駆け寄ってきた。
「何してんだ?」
「散歩」
「暇なのか?」
「休憩中!」
「じゃあ遊ぼうぜ」
「もうすぐ戻らないと」
「魔王って面倒だな」
「本当にね」
二人は笑った。
「じゃあまたな、レン!」
「うん。またね」
走り去っていくガッシュを、アレンはしばらく眺めていた。
友達。
魔王になってから初めてできた、普通の友達だった。
◇◇◇
夜。
アレンは魔王城の自室にいた。
机の引き出しを開ける。
その奥に、大切にしまってある古い品。
「…………兄さん」
アレンは静かに目を閉じた。
ずっと昔。
自分は勇者になろうとした。
勇者ビーストが死んだ。
自分が殺した勇者だった。
その最期の願いを聞いて。
代わりに勇者になろうとした。
兄との約束もあった。
けれど――。
「結局、なれなかったな」
勇者にはなれなかった。
◇◇◇
翌朝。
アレンは玉座に座っていた。
四十種族からの報告。
城下町の整備。
三国間の交易。
大庭園の管理。
次々と報告を受け、判断を下していく。
「次は?」
「以上でございます」
「……終わった?」
「はい」
「やった!」
玉座から飛び降りる。
「魔王様」
「今日はもういいでしょ!?」
「午後から会議がございます」
「…………」
ガルドが横で笑った。
「諦めろ」
「先代、これ千年やったの……?」
「そうだ」
「化け物じゃん……」
◇◇◇
会議へ向かう途中。
アレンは窓から城下町を見た。
多くの人々が暮らしている。
先代が作った街。
自分が作った大庭園。
その全てが、今日も当たり前のように動いていた。
「…………」
アレンはふと思う。
勇者とは、何なのだろう。
剣を持つことなのか。
魔王を倒すことなのか。
人々を救うことなのか。
自分には、もう分からない。
ただ――。
「僕は魔王なんだよな」
今度は、その言葉を嫌だとは思わなかった。
七歳の頃とは違う。
勇者になろうとしていた頃とも違う。
「……うん」
アレンは小さく笑う。
「それでいいや」
勇者になれなかった。
でも。
守るものは見つけた。
友達もできた。
家族と呼べる者たちもいる。
そして――。
自分を必要としてくれる国がある。
◇◇◇
「魔王様?」
廊下の先からノエルが呼んでいる。
「会議に遅れますよ」
「今行く!」
アレンは走り出した。
「廊下を走らないでください!」
「間に合わないじゃん!」
「でしたら立ち止まらないでください!」
「ちょっと考え事してたの!」
騒がしい声が、魔王城に響く。
アレンは勇者にはなれなかった。
けれど。
それを悔やむ日々は――もう終わりつつあった。
彼はようやく。
魔王アレンとして生きる自分を、受け入れ始めていた。




