第98話 五百年の先に
「…………」
アレンは静かに本を閉じた。
魔王城の書庫。
目の前に置かれているのは、先代魔王の生涯について記された古い記録だった。
「読み終わった?」
隣にいたガルドが尋ねる。
「うん」
アレンは表紙を見つめる。
「……千年か」
弱虫と呼ばれ。
喧嘩も弱く。
争うことを嫌った少年。
それでも千年かけて、この国を作った。
「すごい人だったんだね」
「父上か?」
「うん」
アレンは少し笑う。
「お風呂に精金貨五百枚も使った変な人だけど」
「そこは忘れろ」
「無理だよ。毎日使ってるもん」
◇◇◇
二人は書庫を出た。
長い廊下を歩く。
大理石の床。
巨大な柱。
金の装飾。
その全てが、先代の時代に造られたものだった。
「ガルド」
「なんだ」
「先代が死んだあと、五百年間どうだった?」
「……長かったな」
ガルドは静かに答えた。
「父上は後継者を残さなかった」
「うん」
「だからといって、俺たち兄弟で争う理由もなかった」
父が何も言わなかったのなら。
自分たちで国を支えればいい。
それだけだった。
「魔王になろうとは思わなかったの?」
「ない」
「レイグも?」
「ああ」
「なんで?」
ガルドは少し考える。
「俺たちは――父上の代わりにはなれないと思っていたのかもしれん」
「…………」
「それに」
ガルドがアレンを見る。
「魔王というものは、欲しがってなるものでもない」
◇◇◇
二人は玉座の間へ入った。
アレンが玉座を見る。
「ここで亡くなったんだよね」
「ああ」
「ガルドが最初に見つけた?」
「……そうだ」
五百年前。
何度呼んでも返事をしなかった父。
肩に触れた時には、もう――。
「悲しかった?」
「当然だ」
「そっか……」
アレンは玉座へ近づいた。
そして、ゆっくり腰を下ろす。
「…………」
七歳の時。
何も知らずに座った玉座。
今は少しだけ、その重さが違って感じられた。
◇◇◇
「五百年間」
アレンが呟く。
「ここ、空いてたんだ」
「ああ」
「それで僕が来た」
「ああ」
「……変なの」
「何がだ?」
「僕、人間だったのに」
子爵家の三男。
兄と約束をして。
裏競技へ参加して。
古龍の薬を飲み。
白髪になり。
成長まで止まった。
そして――魔王になった。
「勇者にもなろうとした」
「そうだったな」
「結局、なれなかったけど」
アレンは自分の手を見る。
◇◇◇
「でもさ」
アレンは顔を上げる。
「先代だって、最初から立派な魔王じゃなかったんだよね」
「当然だ」
「だったら僕も……」
少し考えて。
「まだ途中なのかな」
ガルドは答えなかった。
ただ、僅かに笑った。
「何?」
「いや」
「なんなの?」
「父上も昔、似たことを言っていた」
「また!?」
玉座の間にアレンの声が響く。
◇◇◇
その日の夕方。
アレンは魔王城のベランダに立っていた。
眼下には城下町。
先代が築いた街。
そして、その向こうには――。
アレン自身が造った大庭園。
今日も多くの人々が歩いている。
「…………」
五百年。
先代がいなくなってからも、この国は続いた。
なら。
いつか自分がいなくなっても。
この国は続いていく。
「僕もちゃんと残さないとな」
アレンは小さく呟く。
勇者になれなかった。
兄との約束も、思い描いていた形では果たせなかった。
それでも――。
自分には魔王としてできることがある。
先々代から先代へ。
先代から五百年の時を越えて、自分へ。
受け継いだものを、さらに次へ。
「……よし」
アレンは城内へ戻る。
「もう少し頑張ろう」
物語は――。
ゆっくりと、その終わりへ向かい始めていた。




