第97話 千年の魔王
北方魔族領に黄金時代をもたらした魔王。
その治世も――千年を迎えようとしていた。
◇◇◇
「父上」
「ん?」
「本日の政務は我々が引き受けます」
ガルドがそう言うと、魔王は困ったように笑った。
「まだできるよ」
「最近、同じことを何度も仰っております」
「そうだっけ?」
「……はい」
レイグも心配そうに父を見る。
昔と比べ、随分と痩せた。
歩く速度も遅くなった。
それでも魔王は、毎日のように執務室へ向かっていた。
「もう少しだけ」
「父上」
「大丈夫」
そう言って、また笑った。
◇◇◇
その日の夕方。
魔王は一人で城内を歩いていた。
長い廊下。
大理石の柱。
金の装飾。
「…………」
昔は何もなかった。
魔王城どころか。
雨漏りする掘っ建て小屋しかなかった。
窓の外を見る。
巨大な城下町。
多くの商人。
様々な種族。
遠くには南方へ続く交易路。
「……賑やかだなぁ」
魔王は嬉しそうに呟いた。
◇◇◇
やがて、玉座の間へ辿り着く。
巨大な扉が開く。
その奥には――長年、自分が座り続けてきた玉座。
「よいしょ……」
ゆっくりと腰を下ろした。
「…………」
静かだった。
魔王は目を閉じる。
昔のことを思い出す。
『こいつが次の魔王らしいぞ』
『こんな弱いやつが魔王でいいのかよ』
『弱っ!』
『魔王が喧嘩嫌いだってよ!』
「……懐かしいな」
確かに弱かった。
いや。
最後まで強くはなれなかった。
◇◇◇
それでも。
食料を奪い合う者たちを仲裁した。
四十種族をまとめた。
二つの大国の戦争を止めた。
三国自由貿易条約を結んだ。
城下町を造った。
魔王城を建てた。
そして――。
「お風呂も……作ったなぁ」
魔王は小さく笑った。
あれは少し金を使いすぎたかもしれない。
「でも……綺麗だったから」
◇◇◇
夜。
ガルドとレイグが玉座の間へ入った。
「父上?」
魔王は玉座に座っていた。
「こんなところにおられたのですか」
「……うん」
「お身体に障ります。お部屋へ戻りましょう」
「もう少しだけ」
魔王は窓の向こうを見る。
城下町の明かりが、夜の北方を照らしていた。
「昔はね」
「はい」
「雨が降ると……屋根から水が落ちてきたんだ」
「聞いております」
「食べ物も少なくて」
「みんな……よく喧嘩してた」
少し間を置いて。
「僕も、よく殴られたなぁ……」
ガルドは黙って父の言葉を聞いていた。
「それが……」
魔王は城下町を眺める。
「こんなに明るくなった」
◇◇◇
「父上」
「……」
「父上?」
返事がない。
ガルドが近づく。
「…………」
魔王の表情は穏やかだった。
眠っているように目を閉じている。
「父上……?」
肩へ触れる。
動かない。
「…………父上」
レイグも、すべてを察した。
長い沈黙。
やがてガルドは、父の前に膝をついた。
「……お疲れ様でした」
その夜。
北方魔族領を千年にわたって治めた魔王は――。
玉座に座ったまま、静かに崩御した。
遺言は、なかった。
次の魔王を指名することもなかった。
◇◇◇
翌朝。
北方全土に弔鐘が鳴り響いた。
四十種族。
貴族。
商人。
兵士。
城下町の人々。
多くの者が、その死を悼んだ。
かつて――。
『こんな弱いやつが魔王でいいのかよ』
そう笑われた少年。
その少年が千年後。
北方史上最大の繁栄を築いた魔王として、生涯を終えた。
そして。
魔王を失った北方を、ガルドとレイグが支えることになる。
一年。
十年。
百年。
そして――五百年。
玉座に、新たな主は現れなかった。
だが。
先代魔王の死から五百年後。
その長い空白を終わらせる者が現れる。
まだ七歳の――。
白髪の少年。
その名は。
アレン。
先代が築いた国を受け継ぐ、新たな魔王だった。
――先代魔王過去編・完。




