第96話 北方魔族領の黄金期
三国の戦争危機が去ってから数年。
北方魔族領。
アカシアント公国。
クロード王国。
三国の代表者たちは、一つの机を囲んでいた。
「……これで、いいよね?」
魔王が確認する。
三国間の関税。
交易路。
商人の往来。
互いの国で使用する貨幣。
長い交渉の末、ようやく全ての条件がまとまった。
「アカシアント公国は同意する」
「クロード王国も異存ない」
「じゃあ――」
魔王は羽ペンを取った。
「これからは、戦争じゃなくて商売しようよ」
三人が署名する。
後世まで続く――。
三国自由貿易条約が締結された瞬間だった。
◇◇◇
そこから北方は変わった。
「魔王様! 南方から商人が!」
「また?」
「今月だけで百を超えております!」
「そんなに!?」
北方で採れる資源が南へ。
アカシアント公国の魔導技術が北へ。
クロード王国の豊富な農産物も運び込まれる。
物が動く。
人が動く。
そして――金が動いた。
「国庫収入が、昨年を大幅に上回りました」
「じゃあ道路を作ろう」
「はい」
「交易所も足りないよね?」
「増設が必要かと」
「じゃあ、それも」
金を使う。
しかし。
「魔王様」
「今度は何?」
「……国庫が増えております」
「使ったのに?」
「はい」
さらに使う。
それ以上に入ってくる。
北方魔族領は、空前の好景気へ突入していた。
◇◇◇
数百年後。
「…………」
魔王は高台から街を見下ろしていた。
かつて小さな集落しかなかった土地。
そこには今、巨大な城下町が広がっている。
「すごいな……」
道路には馬車が行き交い。
商店が並び。
夜になっても街の灯りは消えない。
「魔王様」
建築官が巨大な図面を広げた。
「新たな魔王城の設計案でございます」
「……これ、城?」
「はい」
「大きすぎない?」
「現在の国力を考えれば、この程度は必要かと」
「僕、今の家でもいいんだけどな……」
「雨漏りしております」
「…………」
「建て替えましょう」
「はい」
◇◇◇
巨大な魔王城。
四十種族の子供たちが暮らす館。
道路。
広場。
商業区。
次々と巨大事業が始まった。
そして――。
「ここにお風呂作りたい」
「……はい?」
建築官が図面を見る。
「最上階に?」
「うん」
「この規模の浴槽を?」
「うん」
「中央には噴水?」
「欲しい」
「大理石と金装飾も?」
「綺麗じゃない?」
「…………」
建築官は頭を抱えた。
「先代様」
「何?」
「ここに作るとなると、下の方をガチガチにしないと崩れますぞ」
「じゃあ補強しよう」
「簡単に仰いますが!」
建築官が立ち上がる。
「浴槽だけでも相当な重量です! さらに噴水、大理石、防魔ガラスまで!」
「ガラス?」
「両側をガラス張りにされたいと仰ったでしょう!」
「あ、そうだった」
「星空とオーロラが見たいと!」
「それは絶対欲しい」
「…………」
建築官が財務官を見る。
「精金貨五百枚ほど必要になる可能性がございます」
「えっ」
魔王がさすがに驚く。
「そんなに?」
財務官が帳簿を確認する。
「問題ございません」
「…………」
「現在の財政ならば十分可能です」
「じゃあ作ろう」
「財務官殿!?」
◇◇◇
さらに数十年後。
完成した大浴場。
金と大理石。
中央には巨大噴水。
両側には丸みを帯びた防魔ガラス。
その向こうには――満天の星空とオーロラ。
「…………」
魔王は湯に浸かりながら空を見上げた。
「作ってよかった……」
建築官が聞けば怒りそうな一言だった。
その背後。
魔王本人を模した像の口から、大量のお湯が流れている。
◇◇◇
魔王は千歳に近づいていた。
ある夜。
彼は城の窓から城下町を眺める。
遠くまで続く灯り。
「……昔はさ」
傍らには、息子であるガルドとレイグがいた。
「この辺、本当に何もなかったんだよ」
「聞いております」
「家だって、掘っ建て小屋で」
魔王は笑う。
「雨の日なんて大変だったなぁ」
そして。
窓へ手を添えた。
「僕……強くなれなかったな」
ガルドが父を見る。
「今でも喧嘩したら、たぶん負ける」
「父上」
「でも」
魔王は城下町を見つめる。
かつて自分を弱虫と笑った者たちは、もういない。
それでも。
彼らの子孫たちは、この国で暮らしている。
「これだけ作れたなら」
穏やかに笑った。
「弱いままでも……悪くなかったのかもね」
剣ではなく。
言葉で国をまとめた魔王。
彼が築いた北方魔族領の黄金時代は――。
やがて静かに、最後の日を迎えようとしていた。




