第95話 戦争を止めろ!
魔王となってから、数百年。
北方魔族領は少しずつ豊かになっていた。
それでも。
南に存在する二つの大国――。
アカシアント公国。
クロード王国。
その国力には、まだ遠く及ばなかった。
そんなある日。
「魔王様!」
家臣が勢いよく扉を開けた。
「どうしたの?」
「アカシアント公国とクロード王国が、国境へ軍を集結させています!」
「…………え?」
魔王の表情が変わった。
◇◇◇
すぐに会議が開かれた。
「両国合わせて、相当な兵力となります」
「小規模な衝突も既に発生しているとのこと」
「このままでは、全面戦争になる可能性が高いかと」
「…………」
魔王は黙って地図を見つめる。
すると、一人の家臣が口を開いた。
「ですが――これは好機でもございます」
「好機?」
「はい」
両国が戦えば、互いに国力を消耗する。
北方魔族領は参戦せず、弱ったところで交易や領土交渉を行えばいい。
「我々は何もせず、見ていればよろしいのです」
「……」
「場合によっては、漁夫の利を得られます」
魔王はしばらく黙っていた。
合理的だった。
北方だけを考えるなら――。
「……嫌だ」
「は?」
「僕は嫌だよ」
魔王は顔を上げた。
「そんな儲け方」
◇◇◇
「両国へ使者を送って」
「魔王様?」
「戦争をやめるように呼びかける」
「お待ちください!」
家臣たちが慌てる。
「これは二国間の問題です!」
「北方が介入すれば、敵視される可能性もございます!」
「分かってる」
「ならば――」
「でもさ」
魔王は静かに言った。
「戦争が始まったら、死ぬんでしょ?」
「…………」
「兵士だけじゃない」
「村も焼ける。商人も来なくなる。食べ物も届かなくなる」
北方は長い時間をかけて、ようやく貧しさから抜け出し始めた。
だからこそ分かる。
食べるものがない苦しさを。
「止められるかもしれないなら」
「僕は止めたい」
◇◇◇
数日後。
魔王は自ら両国の国境へ向かった。
「魔王様!」
「危険です!」
「知ってるよ……!」
怖くないわけではない。
むしろ――怖かった。
彼は今でも戦いが苦手だった。
もし剣を向けられれば。
まともに戦うことさえできない。
「……帰りたいな」
小さく呟く。
それでも歩いた。
◇◇◇
両軍が睨み合う国境。
その間へ。
一人の魔王が姿を現した。
「北方魔族領の魔王だ!」
「なぜここに!?」
兵士たちがざわめく。
魔王は震える手を握り締めた。
「アカシアント公国!」
「クロード王国!」
声を張る。
「話をさせてください!」
返ってきたのは冷たい視線だった。
「北方には関係ない」
「帰られよ、魔王殿」
「関係あるよ!」
珍しく。
魔王が大声を出した。
「あなたたちが戦えば、僕たちにも影響が出る!」
「それに――」
魔王は両軍を見る。
「こんなにたくさんの人が死ぬ必要、本当にあるの?」
◇◇◇
その日から。
長い交渉が始まった。
一日。
二日。
一週間。
何度追い返されても、魔王は戻ってきた。
「もう一度だけ話そうよ」
「条件を変えればいい」
「それなら、こっちはどう?」
「お互いが納得できるところを探そう」
怒鳴られても。
馬鹿にされても。
彼は剣を抜かなかった。
ただ――話し続けた。
そして。
数か月後。
国境から、両国の軍隊が撤退した。
◇◇◇
「……終わった」
魔王は椅子へ座り込んだ。
「戦争は……起きない?」
「はい」
家臣が答える。
「両国より正式に軍の撤収が確認されました」
「…………よかったぁ」
魔王は机へ突っ伏した。
「もう二度とやりたくない……」
「魔王様」
「何?」
「まだ終わっておりません」
「……え?」
家臣は二通の書状を差し出した。
「両国より、今後の交易について協議したいとの申し出が」
「…………」
「魔王様?」
「少し休ませてよ……」
だが。
この交渉こそが――。
後に三国を大きく変えることになる。
アカシアント公国。
クロード王国。
北方魔族領。
三国を結ぶ――。
三国自由貿易条約。
北方魔族領の黄金時代は、ここから始まろうとしていた。




