第94話 僕にできること
あれから数十年。
少年は成長し、父である先々代魔王の政務を手伝うようになっていた。
とはいえ――。
「よし、模擬戦を始めるぞ!」
「…………」
「次期魔王様、前へ!」
「嫌だなぁ……」
戦いだけは、相変わらずだった。
◇◇◇
「始め!」
「うおおおっ!」
「ちょ、待って――」
ドンッ!
「ぐえっ!」
開始から、わずか数秒。
次期魔王は地面に転がっていた。
「…………」
「…………」
兵士たちが気まずそうに黙る。
「次期魔王様……」
「大丈夫……」
ふらふらと立ち上がる。
「やっぱり僕、戦うの向いてないよ……」
剣術。
魔法。
体術。
どれも大した才能はなかった。
昔より多少は強くなった。
それでも、魔王の後継者として見れば落第点だった。
◇◇◇
だが。
政務室へ入れば、話は変わる。
「次期魔王様! 犬族と猫族の間で問題が!」
「今度は何?」
「狩猟地を巡って対立しております!」
「分かった。両方の代表を呼んで」
数時間後。
「この森は我々のものだ!」
「先に使っていたのはこちらだ!」
二人の代表が怒鳴り合う。
彼は黙って話を聞いていた。
「……なるほど」
地図を広げる。
「二人とも欲しいのは、森そのものじゃないよね?」
「何?」
「食料でしょ?」
二人が黙る。
「だったら、森を奪い合わなくてもいい」
狩猟区域を分ける。
繁殖期には一部を禁猟とする。
獲物が少ない年には備蓄食料を融通する。
「これなら?」
「……我々としては問題ない」
「こちらもだ」
「じゃあ決まり」
あれほど怒鳴り合っていた二人が、静かに部屋を出ていった。
◇◇◇
「…………」
父はその様子を見ていた。
「お前は不思議な奴だな」
「何が?」
「剣を持てば、そこらの兵士にも負ける」
「言わないでよ……」
「だが、何十年も争っていた者たちを、一日で同じ机につかせる」
「だって」
彼は少し困ったように笑った。
「喧嘩しても、お腹はいっぱいにならないでしょ?」
先々代は目を細めた。
◇◇◇
それから。
次期魔王は、北方各地を回るようになった。
食料が足りない集落。
種族同士で争う村。
交易路を巡って対立する商人。
そのたびに話を聞いた。
時には何日も。
時には何か月も。
「次期魔王様!」
「こちらにも来てください!」
「分かった、順番ね!」
昔は。
『こんな弱いやつが魔王でいいのかよ』
そう笑われていた。
今では少しずつ。
「次期魔王様なら、何とかしてくれる」
そう言われるようになっていた。
◇◇◇
ある夜。
彼は掘っ建て小屋の屋根に座っていた。
遠くには、小さな集落の明かりが見える。
「父さん」
「なんだ」
「僕さ」
自分の手を見る。
「やっぱり強くなれないと思う」
「そうだろうな」
「即答しないでよ」
「事実だ」
「もう……」
少し笑ってから。
彼は夜空を見上げた。
「でも」
「僕にできること、分かった気がする」
「ほう」
「僕は戦えない」
剣を握っても弱い。
誰かを力で従わせることもできない。
「だったら――」
少年だった頃と変わらない、穏やかな声で言った。
「戦わなくても済む方法を考えるよ」
先々代は何も答えなかった。
ただ。
ほんの少しだけ笑った。
それからさらに年月が流れ――。
弱虫と呼ばれた少年は、父から魔王位を受け継いだ。
まだ貧しく。
まだ小さく。
現在のような巨大な城さえ存在しない北方魔族領。
その玉座――と呼ぶにはあまりにも粗末な椅子へ、新たな魔王は腰掛けた。
「…………」
集まった者たちを前に。
彼は少し緊張しながら言った。
「えっと……」
「強い魔王には、なれないと思う」
ざわめきが起こる。
「でも」
新たな魔王は顔を上げた。
「みんなが争わなくても生きていける国にはしたい」
それが――。
後に北方魔族領の黄金時代を築く魔王の、最初の言葉だった。




