第93話 弱虫の次期魔王
今から、遥か昔。
北方魔族領が、まだ現在のような大国ではなかった時代。
魔王城と呼ばれる場所さえ、粗末な木造の建物に過ぎなかった。
その近くで――。
「おい、聞いたか?」
「こいつが次の魔王らしいぞ」
「……こいつが?」
数人の少年たちが、一人の少年を取り囲んでいた。
「…………」
少年は俯きながら、後ずさる。
「こんな弱いやつが魔王でいいのかよ」
「魔王なら強いんだろ?」
「ち、違うよ……」
「あ?」
「僕は……別に……」
次の瞬間。
腹に拳が入った。
「うっ……!」
少年の身体が地面へ倒れる。
「弱っ!」
「本当に次の魔王なのかよ!」
「お前の父ちゃんは古龍と契約したんだろ?」
「なのに息子がこれかよ!」
笑い声が響く。
「やめてよ……」
少年は腹を押さえながら呟いた。
「僕……喧嘩したくないんだ」
「はぁ?」
「痛いし……」
「魔王が喧嘩嫌いだってよ!」
再び笑い声が上がった。
少年は反撃しない。
いや――。
できなかった。
剣術は苦手。
魔法も平凡。
腕力もない。
父のように古龍と契約しているわけでもない。
次期魔王。
そう呼ばれていることだけが、彼を特別にしていた。
◇◇◇
「ただいま……」
少年が家へ戻る。
家といっても、小さな掘っ建て小屋だった。
屋根は古く、強い風が吹けば壁まで軋む。
「またやられたのか?」
父――先々代魔王が息子を見る。
「……転んだだけ」
「嘘をつけ」
「…………」
少年は黙り込んだ。
「やり返さなかったのか?」
「無理だよ」
「無理?」
「僕、弱いもん」
そして、小さく続ける。
「それに……」
「喧嘩したくない」
先々代は何も言わなかった。
古龍と契約し、仮とはいえ魔王の称号を得た自分。
その後継者が、争いそのものを嫌っている。
「僕……魔王に向いてないよ」
◇◇◇
数日後。
少年は集落を歩いていた。
「返せ!」
「これは俺たちの食料だ!」
二つの家族が言い争っている。
原因は、僅かな保存食だった。
北方では食料が貴重だった。
冬が長く。
土地も痩せている。
小さな争いなど珍しくない。
「やめなよ……」
少年が間へ入った。
「なんだ?」
「弱虫は引っ込んでろ!」
「でも、それ……」
少年は食料を見る。
「半分にすればいいんじゃない?」
「足りるわけないだろ!」
「だったら――」
少年は少し考えた。
「こっちの家には狩りができる人がいるよね?」
「……ああ」
「もう一方には、保存食を作るのが上手な人がいる」
「だから?」
「一緒にやればいいじゃん」
「…………」
「狩ったものを渡して、長く保存できるようにしてもらう」
「その代わり、出来上がった食料を分ける」
二つの家族が顔を見合わせた。
「それなら……」
「冬を越せる量が増えるかもしれない」
「でしょ?」
少年は笑った。
「奪い合うより、その方がいいよ」
◇◇◇
少し離れた場所から。
先々代魔王は、その様子を見ていた。
「…………」
息子は弱い。
自分とは違う。
戦えば、簡単に負ける。
古龍にも選ばれていない。
だが――。
「そういうことか……」
先々代は小さく呟いた。
息子には、自分にはないものがある。
まだ小さな才能。
誰も気づいていない才能。
本人ですら、それを才能だとは思っていない。
そしてこの時代。
誰一人として想像していなかった。
いじめられ、
「やめてよ……」
と泣いていた、この弱い少年が。
いつの日か二つの大国の戦争を止め。
三国を結び。
北方魔族領に空前の繁栄をもたらすことを。
そして――。
千年にわたって魔王として君臨することを。




