第9話 古龍
乾いた風が森を吹き抜ける。
冷たい地面に倒れたアレンは、もう指一本動かす力も残っていなかった。
肩から流れ続ける血。
六年間蓄積された疲労。
何日も満足な食事を取っていない身体は、限界を迎えていた。
「……もう……だめか。」
薄れゆく意識の中、巨大な足音だけが近づいてくる。
ズシン……
ズシン……
木々が揺れ、小鳥たちが一斉に飛び立った。
やがて、一体の巨大な存在が姿を現す。
黄金の瞳。
漆黒の鱗。
天を覆うほどの巨体。
――古龍。
大陸最古にして最強と謳われる存在だった。
古龍は小さなアレンを静かに見つめる。
「……ほう。」
低く響く声が森に広がる。
「人間の子か。」
アレンは声のする方へ視線を向ける。
巨大な龍を見ても、不思議と恐怖はなかった。
恐怖を感じる力すら残っていなかったからだ。
「……殺すなら、早くしてくれ。」
古龍は少し目を細める。
「余は人を喰らわぬ。」
「ましてや、死にかけた子供をな。」
古龍は鼻先を近づける。
その瞬間だった。
黒い靄のようなものが、アレンの身体からゆっくりと立ち上る。
「これは……。」
古龍の表情が変わる。
「瘴気だと……?」
人間から瘴気が漏れるなど、本来あり得ない。
古龍は目を閉じ、静かに魔力を探る。
「なるほど。」
「人体実験か。」
身体は人間。
しかし中身は、すでに魔族へ変わり始めている。
このままでは、あと数時間も生きられない。
古龍は静かに息を吐いた。
「哀れな子よ。」
「お前は生きたいか。」
アレンはかすかに笑う。
「……生きたい。」
「自由に……生きたい。」
その一言だけだった。
古龍はゆっくり頷く。
「ならば余が救おう。」
「だが、代償がある。」
アレンは首を動かすこともできない。
「……なんでも。」
古龍は静かに言った。
「二度と、完全な人間には戻れぬ。」
「それでも構わぬか。」
アレンは迷わなかった。
ここで死ぬくらいなら。
人間でなくなっても、生きたい。
「……構わない。」
その答えを聞いた古龍は、小さく微笑む。
「良かろう。」
「ノエル。」
森の奥から、一人の美しい女性が姿を現した。
長い銀髪。
透き通るような蒼い瞳。
優しげな微笑みを浮かべながら、アレンのそばへ膝をつく。
「この子が……。」
古龍は静かに命じた。
「余の秘薬を持ってこい。」
ノエルは一瞬だけアレンを見つめ、小さく頷いた。
「承知しました。」
その秘薬が、後に一人の少年を――
魔王アレンへと変えることになる。




