第87話 魔王、湯当たりする
翌朝
「…………」
アレンはゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。
自分の寝室だった。
「……あれ?」
身体を起こそうとした瞬間。
「寝ていろ」
「うわっ」
ベッドの横にガルドが座っていた。
「ガルド……?」
「覚えていないのか?」
「昨日……みんなで庭園に行って、お風呂に入って……」
そこから記憶が曖昧だった。
「お前はのぼせて倒れた」
「…………」
「俺がここまで運んだ」
「…………恥ずかしい」
「自業自得だ」
◇◇◇
しばらくして、ノエルが水を持ってきた。
「魔王様」
「はい……」
「医師によれば、単なる湯あたりとのことです」
「よかった」
「よくありません」
「え?」
「一時間以上も入浴されていたそうですが?」
「…………そんなに?」
「オーロラをご覧になっていたとか」
「綺麗だったから……」
「十五歳で湯船から救出される魔王など、聞いたことがございません」
「もう言わないで……」
アレンは布団へ潜った。
◇◇◇
「そういえば」
アレンが布団から顔を出す。
「昨日、僕なんか言ってた?」
「何かとは?」
「いや……」
兄のこと。
あの言葉を誰かに聞かれていたのか。
ガルドは少し黙った。
「……平和だ、と」
「そこ聞いてたんだ」
「ああ」
「その後は?」
「さあな」
「ならいいけど」
ガルドはそれ以上何も言わなかった。
だが――。
聞いていた。
兄との約束を果たせなかった。
これでいいよね。
あの言葉を。
◇◇◇
「アレン」
「ん?」
ガルドが珍しく名前で呼んだ。
「父上もな」
「先代?」
「ああ」
「争いをなくしたかった」
アレンは黙って聞く。
「だが、父上とて全てを成し遂げたわけではない」
「…………」
「アカシアント公国とクロード王国の戦争を止め、自由貿易の仕組みを作った。それでも争いそのものが世界から消えたわけではなかった」
「うん」
「それでも、父上がやったことに意味がなかったと思うか?」
「そんなことない」
アレンは即答した。
「この国をここまで豊かにしたんだから」
「なら、お前も同じだ」
「……僕も?」
「約束を全て果たせなかったとしても、お前がやってきたことまで消えるわけではない」
アレンは目を丸くする。
「……やっぱり聞いてたじゃん」
「…………」
「ガルド」
「寝ろ」
「誤魔化した!」
◇◇◇
昼過ぎ。
体調が戻ったアレンは、ベランダへ出た。
眼下には、自分が造らせた大庭園。
今日から再び一般開放されている。
子供たちが走り回り。
様々な種族が同じ道を歩き。
噴水の周囲には多くの人が集まっていた。
「…………」
勇者になる。
かつて、そう決めた。
兄との約束もあった。
けれど。
今の自分は――魔王だった。
「これでも……いいのかな」
アレンは小さく笑った。
そのとき。
「魔王様」
「ん?」
「本日の執務ですが」
ノエルが大量の書類を抱えて立っていた。
「…………」
「昨日お休みになった分がございます」
「病人だよ、僕!?」
「既に回復されております」
「もう一日くらい休ませてよ!」
「駄目です」
「平和なのに僕だけ平和じゃない!」
アレンの叫び声が、魔王城最上階に響いた。
北方魔族領は今日も――。
平和だった。




