第69話 北方魔族領への帰還
北方魔族領。
巨大な岩山を中心に築かれた城塞都市。
その頂には、空へ突き刺さるかのような巨大な城がそびえている。
魔王城。
七歳の頃から。
アレンが暮らしてきた場所。
「帰ってきたぁ……」
馬車の窓から城を見上げながら、アレンが呟いた。
「やっぱり。」
「自分の家が一番落ち着く」
「……」
向かいに座るグレイヴは無言だった。
「どうしたの?」
「まだ。」
「アレを『家』と呼ぶことに慣れん」
「家だよ?」
「城だ」
「魔王の家だから魔王城」
「そういう問題ではない」
◇◇◇
城下町へ入る。
「魔王様だ!」
「魔王様がお帰りになられたぞ!」
アレンの帰還に気づいた住民たちが、次々と集まってくる。
獣人。
ゴブリン。
オーク。
リザードマン。
様々な種族。
「お帰りなさいませ!」
「魔王様!」
「勇者のお仕事は終わったんですか!?」
「とりあえずね!」
アレンが馬車の窓から手を振る。
子供たちも走ってくる。
「魔王様ー!」
「おかえりー!」
「ただいま!」
グレイヴは。
その光景を黙って見ていた。
「……」
「どうしたの?」
「いや」
「魔族は。」
「魔王を恐れて従っているものだと思っていた」
「僕、怖い?」
「……見た目だけならな」
「ひどい」
「事実だ」
◇◇◇
やがて。
馬車は魔王城正門へ到着した。
巨大な門が開く。
その先。
数百人の兵士と使用人たちが整列していた。
「「「お帰りなさいませ、魔王様!!」」」
「ただいま」
アレンは慣れた様子で答える。
グレイヴは横を見る。
「……これ。」
「毎回やるのか?」
「帰ってきた時は大体」
「慣れないな」
「僕は七歳からだから」
「お前。」
「本当に感覚がおかしくなってないか?」
「?」
「その顔を見る限り手遅れだな」
◇◇◇
城内。
グレイヴは歩きながら周囲を見る。
天井は高く。
巨大な柱が並び。
壁には北方魔族領の歴代の歴史を描いた絵画。
騎士。
使用人。
文官。
様々な魔族が行き交っている。
しかし。
グレイヴが想像していたような。
血と恐怖に満ちた魔王城ではない。
「お疲れ様です!」
「お疲れー」
「魔王様、お帰りなさいませ」
「ただいま」
「魔王様!」
「ん?」
「先日の街道整備の件ですが――」
「あとで執務室行くね」
「ありがとうございます!」
普通だった。
あまりにも。
普通だった。
「……」
「グレイヴ?」
「何だ」
「さっきから静かだけど」
「魔族が。」
「普通に働いている」
「そりゃ働くよ」
「……そうだな」
当たり前のことなのに。
グレイヴには。
その当たり前が新しかった。
◇◇◇
「ところで。」
グレイヴが尋ねる。
「俺はどこで寝る?」
「あ」
アレンが止まる。
「……考えてなかった?」
「うん」
「お前な」
「ノエル」
「既に客室をご用意しております」
「さすが!」
「魔王様が何もお考えにならず連れてこられる可能性は想定しておりました」
「なんか馬鹿にされてない?」
「気のせいでございます」
ノエルがグレイヴを見る。
「グレイヴ様」
「様はいらない」
「ではグレイヴ殿」
「それでいい」
「お部屋へご案内いたします」
「頼む」
数歩進んだところで。
グレイヴが振り返る。
「魔王」
「何?」
「お前は?」
「僕?」
アレンは上を指差した。
「最上階」
「……最上階?」
「うん」
「そこに僕の部屋がある」
「一人で一部屋か?」
「もちろん」
「どのくらいの広さだ」
「……普通?」
ノエルが静かに顔を逸らした。
「その反応なんだよ」
◇◇◇
そして。
アレンは久しぶりに自室へ戻った。
魔王城最上階。
黄金色の巨大な扉。
ギィィ――。
「ただいま」
広大な部屋。
高い天井。
金の装飾。
大きな暖炉。
巨大な天蓋付きベッド。
書斎。
応接空間。
そして。
北方魔族領を一望できる巨大な窓。
アレンにとっては。
七歳から使っている。
ただの自分の部屋。
「……やっぱり落ち着く」
ベッドへ飛び込む。
ボフッ。
「んー……」
翼を広げたまま。
枕へ顔を埋める。
「今日はもう寝よ」
コンコン。
「魔王様」
「……」
「魔王様?」
「寝ました」
「まだ三秒でございます」
「寝た」
「残念ながら。」
扉が開く。
ノエルが入ってきた。
その手には。
大量の書類。
「…………」
アレンが顔を上げる。
「何それ?」
「魔王様がお留守の間に溜まりました政務でございます」
「……」
ドサッ。
机へ置かれる。
「…………」
「こちらが街道整備」
ドサッ。
「こちらが税収報告」
ドサッ。
「こちらが人間王国との交易再開について」
ドサッ。
「こちらが各貴族からの陳情」
ドサッ。
「待って」
「はい」
「まだあるの?」
「ございます」
「……」
「そして。」
ノエルの表情が少し険しくなる。
「最も重要なものが。」
最後の書類が置かれた。
「北方魔族領で発生した。」
「反乱に関する報告書でございます」
「……」
アレンの表情が変わった。
◇◇◇
「首謀者は?」
「既に拘束しております」
「生きてる?」
「はい」
「怪我は?」
「捕縛時に多少」
「そっか」
アレンはベッドから降りる。
さっきまでの眠そうな少年の顔は消えていた。
「被害は?」
「死者十二名」
「負傷者四十七名」
「……」
アレンの足が止まる。
「十二人」
「はい」
「民間人は?」
「死者のうち三名が民間人でございます」
「……」
アレンは黙った。
少しして。
「何が目的だったの?」
「人間王国との和平への反対」
「それだけ?」
「そして。」
「魔王様が。」
「人間に屈したと主張しております」
「……」
「人間王国の王女との婚約。」
「和平交渉。」
「さらに勇者として王国へ滞在していたこと。」
「それらを。」
「魔族への裏切りと主張しております」
アレンは書類を手に取った。
「……そっか」
◇◇◇
その日の夜。
魔王城地下。
牢獄。
石造りの廊下を。
アレン。
ノエル。
ガルド。
レイグ。
そしてグレイヴが歩いていた。
「なぜ俺まで?」
グレイヴが尋ねる。
「見てほしいから」
「何を?」
「魔族にも。」
「君たちと同じ人がいるってこと」
「……」
牢の前で止まる。
その中。
一人の魔族が座っていた。
角を持つ。
壮年の男。
元は北方魔族領の貴族。
男爵――ヴァルガス。
「……」
男が顔を上げる。
「これはこれは。」
「魔王陛下」
「久しぶり」
「人間王国は。」
「楽しかったですかな?」
「……」
アレンは牢の前へ座った。
「ヴァルガス」
「何でしょう?」
「なんで。」
「反乱なんて起こしたの?」
「決まっている」
ヴァルガスの目に憎悪が宿る。
「貴様が。」
「魔族を裏切ったからだ」
◇◇◇
「僕が?」
「人間と和平?」
「人間の王女と婚約?」
「勇者として。」
「人間どもの英雄を演じる?」
「笑わせるな!」
ヴァルガスが鉄格子を掴む。
「我々は魔族だ!」
「人間とは違う!」
「奴らは敵だ!」
「何百年も!」
「我々を殺してきた!」
「……」
グレイヴの表情が変わった。
聞いたことがある。
いや。
つい最近まで。
自分自身が言っていた言葉だった。
「魔王よ!」
「なぜ人間を滅ぼさない!」
「なぜ!」
「奴らと手を取り合う!」
「……」
アレンは答えなかった。
代わりに。
グレイヴが口を開いた。
「……同じだ」
「何?」
ヴァルガスがグレイヴを見る。
「貴様は誰だ?」
「元聖剣同盟盟主。」
「グレイヴ」
「聖剣同盟……?」
「魔族を滅ぼすために。」
「動いていた人間側の組織だ」
「……!」
ヴァルガスが立ち上がる。
「人間だと!?」
「なぜ人間がここにいる!」
「魔王が連れてきた」
「貴様……!」
グレイヴは鉄格子越しに。
ヴァルガスを見る。
「お前の言っていること。」
「少し前まで。」
「俺も同じことを言っていた」
「……何?」
「魔族は敵。」
「魔族は人間を殺した。」
「だから滅ぼせ。」
「俺はそう言った」
「……」
「そしてお前は。」
「人間は敵。」
「人間は魔族を殺した。」
「だから滅ぼせ。」
「そう言っている」
グレイヴは自嘲するように笑う。
「笑えるな」
「人間と魔族。」
「まったく同じじゃないか」
◇◇◇
「黙れ!」
ヴァルガスが叫ぶ。
「人間と我々を同じにするな!」
「俺もそう言った」
「……!」
「魔王に。」
「同じだと言われた時。」
「俺も否定した」
「……」
アレンは二人を見ていた。
人間を憎む魔族。
魔族を憎んでいた人間。
鏡のようだった。
「ヴァルガス」
アレンが立ち上がる。
「君が。」
「人間を嫌うことは止めない」
「……」
「でも。」
「反乱で十二人死んだ」
「それは――」
「三人は。」
「戦ってすらいない民間人だった」
「……」
アレンの蒼い瞳が。
ヴァルガスを真っ直ぐ見る。
「それは。」
「人間への復讐でも。」
「魔族を守るためでもない」
「……」
「ただの犯罪だよ」
◇◇◇
「裁判をする」
アレンが告げる。
「僕一人では決めない」
「法に従って。」
「君と。」
「反乱に参加した人たちを裁く」
「……魔王が。」
「法だと?」
「うん」
「貴様が命令すれば!」
「俺の首など今すぐ落とせるだろう!」
「できるよ」
「……!」
「でも。」
「やらない」
「なぜだ!」
「僕が嫌いだからって。」
「僕の気分で殺したら。」
「それこそ暴君でしょ?」
「……」
「だから。」
「ちゃんと裁く」
アレンは背を向ける。
「ヴァルガス」
「……」
「僕は。」
「魔族を捨てたつもりはないよ」
足を止める。
「人間を守りたいのと同じくらい。」
「魔族も守りたい」
「……」
「だから。」
「十二人を死なせたことだけは。」
「見過ごせない」
◇◇◇
牢獄を出る。
グレイヴが隣を歩いていた。
「魔王」
「何?」
「……奇妙なものだな」
「何が?」
「俺は魔族を滅ぼそうとして。」
「奴は人間を滅ぼそうとした」
「うん」
「そして。」
「どちらも。」
「お前を殺そうとした」
「そうだね」
「……お前。」
「敵作りすぎじゃないか?」
「…………」
アレンが止まった。
「僕も。」
「最近そう思ってた」
「今更か」
ノエルが後ろから静かに言った。
「魔王様」
「何?」
「その敵を増やす原因の一つが。」
「ご自分で危険な場所へ赴かれることでございます」
「それ関係ある?」
「ございます」
「ないと思う」
「ございます」
「……はい」
グレイヴが初めて。
少しだけ笑った。
◇◇◇
そして翌朝。
魔王城最上階。
「……ん」
アレンが目を覚ます。
巨大なベッドから起き上がり。
伸びをする。
「んー……!」
コンコン。
「魔王様」
「起きてるよ」
「失礼いたします」
ノエルが入ってくる。
その手には。
昨日よりさらに増えた書類。
「…………」
「おはようございます」
「ノエル」
「はい」
「それ。」
「増えてない?」
「増えております」
「なんで!?」
「魔王様が眠っておられる間にも。」
「北方魔族領は動いておりますので」
「……」
「本日は。」
「午前に反乱関係者の取り調べ。」
「正午から貴族会議。」
「午後は復旧予算の確認。」
「その後、交易関連の書類。」
「夕刻よりガルド様、レイグ様との軍議。」
「夜には――」
「待って」
「はい」
「僕。」
「いつ休むの?」
「……」
ノエルが予定表を見る。
「深夜でございますね」
「それ休みじゃなくて睡眠だよ!」
「左様でございますか」
「左様だよ!」
こうして。
人間王国での騒動を終えた魔王を待っていたのは。
平穏ではなく。
魔王としての、山のような仕事だった。
聖剣同盟。
北方魔族領の反乱。
二つの憎しみを巡る事件は。
まだ完全には終わっていない。
そして。
アレン自身もまだ知らなかった。
この先。
すべてを終えた十五歳の自分が。
魔王でも勇者でもない――。
ごく普通の願いを口にすることを。




