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第65話 勇者と暗殺者

 王都郊外。


 朽ち果てた廃教会。


 割れた窓から月明かりが差し込み、床に二人の影を映している。


 一人は――聖剣同盟盟主、グレイヴ。


 そしてもう一人は。


 勇者ビースト。


 その姿をした――魔王アレン。


「それで。」


 アレンはグレイヴを見る。


「話って何?」


「……」


 グレイヴはしばらく何も言わなかった。


 やがて。


「まず。」


「礼を言わせてほしい」


「礼?」


「来てくれたことにだ」


「一人で来いなどという。」


「明らかに怪しい要求をしたにもかかわらずな」


「まあ。」


 アレンは肩をすくめる。


「話したいって言ったのはそっちだから」


「……やはり。」


 グレイヴは僅かに笑う。


「噂通りだな」


「何が?」


「勇者ビースト。」


「あなたは甘すぎる」


「……よく言われる」


 正確には。


 魔王になってから言われることの方が多かった。


 ◇◇◇


「単刀直入に聞こう」


 グレイヴの顔から笑みが消える。


「なぜ。」


「魔王を殺さない?」


「……」


「あなたは勇者だ」


「魔王を討つために選ばれた人間」


「一度は。」


「魔王アレンを討ったと報告した」


「それなのに。」


「奴が生きていると判明した途端。」


「あなたは魔族との和平を訴え始めた」


「……」


「理解できない」


 グレイヴが一歩前へ出る。


「魔王に。」


「何をされた?」


「何も」


「脅されているのか?」


「違う」


「王女を人質に?」


「違うよ」


「なら!」


 グレイヴの声が大きくなる。


「なぜ魔王を庇う!!」


 廃教会に声が響く。


 アレンはしばらく黙っていた。


「……魔王と。」


「話したから」


「何?」


「戦う前に。」


「ちゃんと話した」


「それで分かった」


「魔族にも。」


「戦いたくない人たちがいる」


「……くだらん」


 グレイヴは吐き捨てた。


「魔族の言葉など信用するのか?」


「するよ」


「なぜ!」


「嘘じゃなかったから」


 自分自身のことなのだから。


 当然だった。


 ◇◇◇


「勇者殿」


 グレイヴは拳を握る。


「あなたは知らないのだ」


「何を?」


「魔族というものを」


 アレンの眉が僅かに動く。


「……」


「奴らが。」


「どれだけ多くの人間を殺してきたか」


「どれだけ村を焼いたか」


「どれだけ子供を殺したか」


「あなたは知らない」


「……知ってるよ」


「分かるはずがない!」


「分かるよ」


 アレンの声が低くなる。


「僕は――」


 言いかけて。


 止まった。


 今は勇者ビースト。


 正体を明かすわけにはいかない。


「……勇者として。」


「いろんな場所を見てきたから」


 グレイヴが睨む。


「ならばなぜ。」


「奴らを許せる?」


「許してない」


「……何?」


「人間を殺した魔族は。」


「ちゃんと裁かれるべきだと思う」


「村を焼いた奴も。」


「子供を殺した奴も」


「でも。」


 アレンはグレイヴを見る。


「何もしてない魔族まで。」


「同じだからって殺すのは違う」


「同じだ!」


「違うよ」


「同じだ!!」


 グレイヴが叫ぶ。


「奴らは魔族だ!」


「人間の敵だ!」


「昔から!」


「ずっとそうだった!」


「……じゃあ。」


 アレンが尋ねる。


「人間は?」


「何?」


「人間も魔族を殺してるよ」


「それは奴らが――」


「魔族の村を焼いたことは?」


「……」


「魔族の子供を殺したことは?」


「……」


「あるよ」


 アレンは知っている。


 魔王領の記録に。


 いくらでも残っていた。


「じゃあ。」


「魔族から見たら。」


「人間も同じじゃない?」


「……」


「お互いに。」


「相手が悪いって言いながら。」


「ずっと殺してる」


「それを。」


「どこかでやめたいだけだよ」


 ◇◇◇


「……理想論だ」


「うん」


「……」


 グレイヴが一瞬、言葉を失う。


「否定しないのか?」


「理想だと思うよ」


「人間と魔族が。」


「いきなり仲良くできるなんて思ってない」


「僕だって。」


「魔族全員が良い人だなんて思ってない」


「でも。」


「理想を目指す人が一人もいなかったら。」


「ずっと今のままでしょ?」


「……」


「だったら。」


 アレンは少し笑った。


「一人くらい馬鹿がいてもいいんじゃない?」


 グレイヴは何も言わなかった。


 ◇◇◇


「……勇者ビースト」


「何?」


「我々へ来ないか?」


「……え?」


「聖剣同盟へ。」


「……」


 予想外だった。


「僕を勧誘してるの?」


「そうだ」


「魔王を殺そうとしてる組織が?」


「だからこそだ」


 グレイヴが手を差し出す。


「我々には。」


「人々を導く象徴が必要だ」


「魔族との和平などではない」


「魔族の脅威から。」


「人類を守る英雄が」


「……」


「あなたが聖剣同盟に加われば。」


「多くの民が我々を支持する」


「王国も。」


「魔族との和平を続けることはできなくなる」


「そして。」


「今度こそ。」


 グレイヴの目に憎悪が宿る。


「魔王アレンを殺す」


「……」


 本人を目の前に。


 堂々と暗殺計画を語っている。


(僕なんだけどな……。)


 少しだけ変な気分だった。


「どうだ?」


「……ごめん」


 アレンは首を横に振る。


「入らない」


「なぜ!」


「魔王を殺したくないから」


「……!」


「少なくとも。」


「今の魔王アレンを殺す理由はない」


「奴は魔王だぞ!」


「それだけ?」


「十分だ!」


「僕には。」


「十分じゃない」


 ◇◇◇


「……そうか」


 グレイヴが手を下ろす。


「残念だ」


「……」


「本当に。」


「残念だよ」


 その瞬間。


 カチッ――。


 小さな音。


「……?」


 アレンが床を見る。


 魔法陣。


 いつの間にか。


 勇者姿のアレンを中心として、巨大な術式が浮かび上がっていた。


「これは?」


「封魔結界だ」


 グレイヴが後ろへ下がる。


「……」


 アレンは首を傾げた。


「なんで?」


「あなたには。」


「しばらく眠ってもらう」


「僕を殺すの?」


「違う」


 グレイヴは首を横に振った。


「我々は。」


「勇者を殺すつもりはない」


「あなたは人類の英雄だ」


「ただ。」


「魔王との和平を邪魔できない場所にいてもらう」


「……監禁?」


「そう思ってもらって構わない」


「なるほど」


 アレンは足元を見る。


 確かに。


 魔力が抑えられている。


「かなり強いね」


「当然だ」


「魔族を捕らえるために作られた結界だからな」


「……魔族用?」


「そうだ」


 アレンの顔が少し引きつった。


(それ。)


(僕にめちゃくちゃ効くやつじゃん。)


 ◇◇◇


「出ろ!」


 グレイヴが叫ぶ。


 すると。


 廃教会の奥。


 左右の扉。


 地下。


 壊れた礼拝席の裏。


 次々と人間が姿を現した。


「……」


 十人。


 二十人。


 三十人。


 さらに。


 四十。


 五十。


「多いね」


「勇者を相手にするのだ」


「当然だ」


 全員が武器を持っている。


 だが。


 剣ではない。


 鎖。


 網。


 拘束用の魔導具。


 本当に。


 殺す気はないらしい。


「勇者ビースト」


 グレイヴが告げる。


「抵抗しないでほしい」


「我々は。」


「あなたを傷つけたくない」


「……」


 アレンは少し困った顔をした。


「困ったな」


「諦めろ」


「そうじゃなくて。」


「?」


「僕。」


 アレンは自分の影を見る。


「一人で来いって言われたから。」


「一応。」


「一人で来たつもりなんだけど」


「何を言って――」


 ズズズズズ――。


 アレンの影から。


 黒紫色の瘴気が溢れ出した。


「なっ……!」


 グレイヴが目を見開く。


「なんだ!?」


 瘴気が人の形になる。


 黒衣。


 長い髪。


 そして。


 冷たい笑み。


「こんばんは」


 ノエルが姿を現した。


「……魔族!?」


「一人で来いと言われたので。」


 アレンが言う。


「ノエルは影の中にいただけ」


「それを一人とは言わん!!」


「やっぱり?」


「当たり前だ!!」


 ◇◇◇


「ノエル」


「はい」


「殺さないで」


「承知しております」


「できれば怪我も少なめで」


「努力いたします」


「お願いね」


「御意」


 グレイヴが叫ぶ。


「捕らえろ!!」


 五十人が一斉に動く。


 その瞬間。


 ノエルが片手を上げた。


「――影縛」


 ドンッ!!


 床から無数の黒い腕が伸びる。


「なっ!?」


「動けない!」


「足が!」


 次々と聖剣同盟の構成員が拘束される。


「くそ!」


 一人が魔法を放つ。


「炎よ――!」


 ノエルが指を動かす。


 黒い影が壁となり。


 ボッ!!


 炎が消える。


「……強い」


 アレンが呟く。


「魔王様をお守りする者ですので」


「…………」


 グレイヴの動きが止まった。


 アレンも止まった。


 ノエルも止まった。


「……」


「……」


「……」


 沈黙。


「今。」


 グレイヴがゆっくり口を開く。


「何と言った?」


「……」


 ノエルの表情が僅かに固まった。


「魔王……様?」


「ノエル」


「はい」


「言ったよね?」


「……申し訳ございません」


「なんでここで!?」


「戦闘中でしたので、つい」


「ついじゃないよ!」


 ◇◇◇


 グレイヴは。


 勇者ビーストを見る。


「魔王様……?」


「……」


「なぜ。」


「魔族がお前を。」


「魔王様と呼ぶ?」


「……」


 アレンは目を逸らした。


「聞き間違いじゃない?」


「聞き間違えるか!!」


「ですよね……」


 グレイヴが剣を抜く。


「貴様……!」


 その表情が。


 徐々に変わっていく。


「まさか。」


「……」


「いや。」


「そんなはずは……」


 グレイヴの視線が。


 アレンの首元へ向いた。


 《幻影の首飾り》。


「……その首飾り」


「……」


「魔導具か?」


「……」


「勇者ビースト」


 グレイヴの声が震える。


「貴様。」


「本当に――。」


「勇者なのか?」


 アレンは。


 何も答えなかった。


 だが。


 その沈黙が。


 答えになってしまった。


「……外せ」


「え?」


「その首飾りを。」


「外せ!!」


「……」


 アレンは困ったように笑う。


「嫌だって言ったら?」


「外せぇぇぇ!!」


 グレイヴが突進する。


「危険です!」


 ノエルが影を伸ばす。


「待って!」


 アレンが止めた。


 グレイヴの手が。


 首飾りへ伸びる。


「貴様は何者だ!!」


 そして――。


 ブチッ!!


「あ」


 鎖が切れた。


 《幻影の首飾り》が。


 床へ落ちる。


 カラン――。


「……」


 アレンの身体を。


 淡い光が包んだ。


 黒髪が。


 白へ。


 人間の身体から。


 漆黒の翼が広がる。


 足が異形へ変わる。


 そして。


 勇者ビーストの姿は――。


 完全に消えた。


「……」


 グレイヴは動かなかった。


 いや。


 動けなかった。


 目の前に立っているのは。


 自分たちが最も憎み。


 最も殺したかった存在。


 北方魔族領領主。


 魔王アレン。


「……嘘だ」


 グレイヴの剣が震える。


「勇者は……?」


「……」


「ビーストはどこだ」


 アレンは俯いた。


「死んだよ」


「……何?」


「僕が。」


 静かに。


 答える。


「殺した」


「……」


 グレイヴの顔から。


 全ての感情が消えた。


「そして。」


 アレンは彼を見る。


「兄さんの遺言で。」


「僕が勇者になった」


 数秒。


 完全な静寂。


 そして。


「……貴様」


 グレイヴの身体が震え始める。


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 怒号が。


 廃教会全体を震わせた。


 魔王を殺すために作られた聖剣同盟。


 その彼らが。


 人類の象徴として信じていた勇者。


 その二人が――。


 最初から、同じ存在だった。

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