第62話 魔王を殺せ
王都の地下。
陽の光が決して届かない、古い地下水路のさらに奥。
かつて王都の防衛施設として造られ、今ではほとんど使われていない一室に――十数人の男たちが集まっていた。
中央には大きな机。
その上には王都周辺の地図。
そして。
一枚の紙が置かれている。
『勇者ビースト、人間王国と北方魔族領の和平実現を最後の任務とする』
「……和平」
一人の男が紙を握り潰した。
「魔族と和平だと?」
男の名は――グレイヴ。
四十代ほどの大柄な男。
左頬には魔物につけられた古い傷が残っている。
そして胸元には。
剣を模した紋章。
人間至上を掲げる秘密結社――。
《聖剣同盟》。
その王都支部を率いる男だった。
「魔族に。」
「家族を殺された者はいるか?」
グレイヴが尋ねる。
数人が手を挙げる。
「村を焼かれた者」
また数人。
「友を殺された者」
さらに。
「魔族に。」
「人生を奪われた者」
ほぼ全員だった。
「ならば。」
グレイヴは机へ拳を叩きつけた。
「我々が答えを出そう」
「和平など必要ない」
「魔王を殺せ」
◇◇◇
「しかし。」
一人の男が口を開いた。
「魔王アレンは勇者ビーストと互角に戦った存在」
「我々だけで討てるのでしょうか?」
「正面から戦えば無理だ」
グレイヴは即答した。
「だから。」
「正面から戦わない」
地図を指差す。
「魔王は近いうちに。」
「和平交渉のため、人間領へ入る」
「そこで殺す」
「……暗殺?」
「そうだ」
「毒。」
「魔法。」
「罠。」
「方法など何でもよい」
グレイヴの目が細くなる。
「我々は勇者ではない」
「魔王と正々堂々戦う必要などない」
◇◇◇
翌朝。
王城。
「ふぁぁ……」
アレンは大きな欠伸をした。
まだ勇者ビーストの姿。
「眠い……」
「アレン様」
隣を歩く王女が呆れたように見る。
「昨夜は何時にお休みになられたのです?」
「分かんない」
「何をされていたのです?」
「魔王城の書類」
「……こちらにいながら?」
「ノエルが影から持ってくるんだよ」
「便利ですね……」
「便利じゃないよ」
「どこに逃げても仕事が追ってくるんだから」
王女が小さく笑う。
「魔王も大変なのですね」
「本当にね」
アレンは再び欠伸をした。
「勇者の仕事もあるし。」
「魔王の仕事もあるし。」
「婚約者として王様にも呼ばれるし……」
「最後のものは嫌なのですか?」
「そういう意味じゃないよ!」
王女が楽しそうに笑った。
◇◇◇
その日の午後。
王城の会議室。
国王。
宰相。
騎士団長。
王女。
そしてアレン。
「和平へ向けた第一段階として。」
宰相が地図を広げる。
「国境付近に共同交易区域を設けたいと考えております」
「交易?」
アレンが地図を見る。
「はい」
「いきなり人間が魔王領へ。」
「魔族が王国領へ。」
「自由に出入りするのは危険です」
「うん」
「なので。」
「この中立都市を使います」
先日の会談が行われた場所だった。
「ここなら人間側、魔族側。」
「双方が管理できる」
「いいと思う」
「問題は――」
騎士団長が口を開く。
「警備です」
「警備?」
「人間と魔族の和平を快く思わない者は。」
「双方におります」
アレンの表情が少しだけ真剣になる。
「魔族側にもいるよ」
「反乱軍の残党もいる」
「ならば。」
国王が言った。
「双方から兵を出そう」
「人間王国から百」
「魔族領から百」
「共同で警備する」
「……」
アレンが少し驚く。
「人間と魔族が一緒に?」
「そうだ」
「問題か?」
「逆」
アレンは笑った。
「やってみたい」
◇◇◇
会議が終わった後。
アレンは王城の庭園を歩いていた。
勇者の姿のまま。
「……」
ふと。
足が止まる。
「アレン様?」
王女が振り返る。
「どうされました?」
「……誰かいる」
「え?」
アレンが周囲を見る。
庭園。
木々。
城壁。
使用人。
騎士。
特に不審な者はいない。
「気のせいでは?」
「……かな」
再び歩き始める。
だが。
アレンは一度だけ。
王城の屋根へ視線を向けた。
そこには――。
誰もいなかった。
◇◇◇
「……気付かれたか」
王城から離れた建物の屋根。
一人の男が息を潜めていた。
「恐ろしいな」
遠くから観察していただけ。
殺気すら出していない。
それでも。
勇者ビーストは一瞬、こちらを見た。
「さすが勇者……」
男は知らない。
あれが。
勇者ではなく――。
暗殺対象である魔王本人だということを。
「報告しなければ」
男は静かに姿を消した。
◇◇◇
夜。
王城。
「……」
アレンはベッドへ腰掛けていた。
寝る前。
《幻影の首飾り》を外す。
シュゥゥゥ――。
勇者ビーストの姿が消え。
本来のアレンへ戻る。
「はぁ……」
翼を伸ばす。
「やっぱりこっちの方が楽」
足元の影から。
黒紫色の瘴気が溢れる。
「お疲れ様でございます」
ノエルが姿を現した。
「ノエル」
「はい」
「今日。」
「誰かに見られてた気がする」
「……」
ノエルの表情が変わった。
「どちらで?」
「庭園」
「魔力は?」
「分からなかった」
「殺気もなかった」
「でも。」
アレンは窓を見る。
「なんとなく。」
「嫌な感じだった」
ノエルは少し考える。
「護衛を増やしますか?」
「僕に?」
「はい」
「いらないよ」
「魔王様」
「僕を殺せる人なんて。」
アレンは少し笑った。
「そんなにいないでしょ?」
「……」
ノエルは答えなかった。
「何?」
「魔王様」
「強者ほど。」
「正面から狙われるとは限りません」
「……」
「毒。」
「呪い。」
「人質。」
「罠。」
「眠っている時を狙う者もおります」
「なるほど」
「ですから。」
ノエルはアレンの前へ跪く。
「王都におられる間だけでも。」
「私を常にお側へ」
「でもノエル。」
「影の中にいるじゃん」
「……」
「ずっと」
「……はい」
「じゃあ大丈夫でしょ?」
「そういう問題ではございません」
「?」
ノエルはため息をついた。
◇◇◇
同じ夜。
地下水路。
「報告します」
偵察を終えた男がグレイヴの前へ跪いた。
「勇者ビーストは現在も王城におります」
「魔王は?」
「まだ魔族領にいるものと思われます」
「そうか」
グレイヴは地図を見る。
「ならば好都合だ」
「勇者が王都にいる間に。」
「準備を進める」
「魔王が来た瞬間。」
「殺す」
一人が尋ねる。
「方法は?」
グレイヴは小さな箱を机へ置いた。
カチャ。
蓋を開ける。
中には。
透明な小瓶。
黒い液体が入っていた。
「これは?」
「魔族殺し」
周囲が静まり返る。
「かつて。」
「魔族との戦争で使われた毒だ」
「人間には?」
「ほとんど効かない」
「だが魔族が摂取すれば。」
「魔力の循環そのものを破壊する」
グレイヴが小瓶を持ち上げる。
「魔王とて。」
「身体の中から壊されれば。」
「無事では済まない」
◇◇◇
三日後。
王都。
北方魔族領との和平交渉を記念した、小規模な晩餐会が開かれることになった。
王族。
貴族。
王国騎士。
そして――。
北方魔族領からの使節団。
もちろん。
その代表者は。
魔王アレン。
「……また僕?」
王城の自室。
勇者姿のアレンが招待状を見ていた。
「当然でございます」
ノエルが答える。
「魔王領の代表者ですので」
「でも。」
アレンは自分を指差す。
「僕、今ここにいるよ?」
「勇者として」
「なのに三日後。」
「魔王として王都に来るの?」
「はい」
「じゃあ勇者の僕は?」
「体調不良ということにされてはいかがでしょう」
「……」
アレンが遠い目をした。
「また?」
「またでございます」
「もう勇者やめたい……」
◇◇◇
三日後。
王城。
夜。
大広間には豪華な料理が並んでいた。
人間の貴族。
魔族の使節。
初めて同じ場所で食卓を囲む。
そして。
「北方魔族領領主。」
「魔王アレン様、ご入場!」
扉が開く。
白髪。
漆黒の翼。
魔王の正装。
アレンが歩いてくる。
人間の貴族たちが緊張した顔で見つめる。
「……あれが魔王」
「まだ子供ではないか」
「本当に?」
アレンは聞こえないふりをする。
(聞こえてるけど。)
国王の前へ。
「本日はお招きいただき。」
「ありがとうございます」
「よく来た、魔王アレン」
国王は自然に応じた。
事情を知らない者から見れば。
二人が会うのはまだ数回目。
だが。
国王の心の中には。
(娘の婚約者……。)
別の感情もある。
「……」
国王の視線が少し怖い。
(なんで睨んでるの?)
アレンは目を逸らした。
◇◇◇
晩餐が始まる。
人間。
魔族。
最初は誰も話そうとしない。
だが。
一人の人間貴族が。
恐る恐る魔族の使節へ尋ねた。
「その……。」
「魔族領では。」
「どのような酒を飲むのですかな?」
「酒?」
「はい」
「我々の地域では果実酒が多い」
「ほう……」
別の場所では。
「その角。」
「触ると痛いのですか?」
「なぜ触る前提なのだ?」
「い、いや!」
少しずつ。
本当に少しずつ。
会話が生まれていく。
アレンはその光景を見ながら。
小さく笑った。
(兄さん。)
(見てる?)
(まだ全然だけど。)
(少しだけ。)
(進んだよ。)
◇◇◇
「魔王様」
一人の給仕が近づいてきた。
「お飲み物を」
「ありがとう」
グラスへ赤い果実酒が注がれる。
アレンは何気なく手を伸ばした。
その瞬間。
「魔王様」
「ん?」
影から。
ほんの僅かに。
ノエルの声がした。
「お待ちください」
アレンの指が止まる。
「……?」
給仕の男の額に。
一筋の汗。
アレンの蒼い瞳が。
グラスへ向く。
「これ。」
給仕が僅かに震えた。
「何が入ってるの?」
「……!」
次の瞬間。
男が走り出した。
「捕らえろ!!」
騎士団長の声。
しかし。
給仕は懐から短剣を抜く。
「魔王を殺せぇぇぇ!!」
アレンへ突進した。
「……」
アレンは椅子に座ったまま。
動かない。
「死ねぇぇぇ!!」
短剣が迫る。
その瞬間。
アレンの影が――。
笑ったように揺れた。
「魔王様に。」
黒紫色の瘴気が噴き出す。
「触れないでいただけますか?」
ドンッ!!
「ぐあっ!?」
男の身体が吹き飛んだ。
壁へ叩きつけられる。
そして。
アレンの前に。
ノエルが立っていた。
「ノエル」
「はい」
「これ。」
アレンがグラスを見る。
ノエルは僅かに匂いを確認し。
表情を消した。
「……毒です」
広間が凍りつく。
国王が立ち上がる。
「何だと!?」
魔族の使節たちも一斉に立つ。
「魔王様を毒殺しようとしただと!?」
「人間ども!」
「待って!」
アレンの声が響いた。
魔族たちが止まる。
「まだ。」
「人間王国がやったって決まったわけじゃない」
アレンは倒れた男を見る。
「捕まえて」
「誰に命令されたのか。」
「全部聞く」
騎士たちが男を拘束する。
だが。
男は笑っていた。
「……魔王」
「何?」
「これは。」
「始まりにすぎない」
「……」
「我々は。」
胸元から。
剣を象った紋章が落ちる。
カラン――。
「人間と魔族の和平など。」
「絶対に認めない」
アレンの目が細くなる。
「魔王アレン。」
男は叫んだ。
「貴様を殺すまで!」
「我々《聖剣同盟》は止まらない!!」
晩餐会場に。
その名が響き渡った。
人間と魔族の和平を望む魔王。
それを許さない人間たち。
今度の敵は――。
魔族ではない。
勇者が守ろうとしていたはずの、人間だった。
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