第60話 魔王と王女の婚約
人間と魔族。
両者の代表による会談は――その後、驚くほど穏やかに進んだ。
国境付近での軍事行動の制限。
互いの民間人に対する無差別な攻撃の禁止。
行商人や旅人の安全確保。
そして将来的な交易路の再開。
「まずは、この辺りかな」
アレンは書面を確認する。
「いきなり全部変えるのは無理だと思う」
「うむ」
国王も頷いた。
「余も同意する」
「人間側にも魔族を憎む者は多い」
「魔族側も同じです」
「ならば。」
国王は書面へ署名した。
「時間をかけるしかあるまい」
「はい」
続いてアレンも署名する。
――魔王アレン。
二つの名が並んだ。
正式な和平条約ではない。
だが。
何百年と争い続けてきた人間と魔族にとって。
これは確かな――最初の一歩だった。
◇◇◇
「では。」
国王が書面を閉じた。
「公的な話は以上だ」
「はい」
「ここからは。」
国王の視線がアレンへ向く。
「父親として話をしよう」
「…………」
アレンの翼がピクリと動いた。
「ノエル」
「頑張ってくださいませ」
「まだ何も言ってない」
「逃亡は認められないかと」
「……」
なぜ分かった。
アレンは王女を見る。
「……」
王女は笑顔だった。
逃げ道はない。
「……はい」
アレンは大人しく椅子へ座った。
◇◇◇
「まず確認する」
「はい」
「そなたの本当の名はアレン」
「はい」
「元は人間」
「はい」
「現在は魔族」
「はい」
「北方魔族領の領主」
「はい」
「魔王」
「……はい」
「年齢は?」
「十五です」
「……」
国王が眉間を押さえた。
「十五歳で魔王か……」
「七歳からやってます」
「七歳!?」
「はい」
「……それは後で聞こう」
「はい」
「そして。」
国王の目がさらに鋭くなる。
「そなたは余の娘と婚約した」
「……はい」
「勇者ビーストとして」
「…………はい」
「実際は魔王アレンだった」
「…………はい」
「余を騙して」
「…………ごめんなさい」
アレンはどんどん小さくなっていった。
つい数日前。
三千五百の反乱軍を前にしても平然としていた魔王が。
今は一人の父親を前に縮こまっている。
ガルドが小声で呟く。
「魔王様が押されている……」
「黙って」
「聞こえておりましたか」
「全部聞こえてるよ」
◇◇◇
「父上」
王女が口を開く。
「私も。」
「そなたは黙っておれ」
「ですが――」
「そなたにも後で話がある」
「……はい」
王女まで大人しくなった。
アレンは少しだけ嬉しくなった。
(仲間ができた。)
そんな場合ではない。
「アレン」
「はい」
「なぜ娘との婚約を受け入れた?」
「……」
アレンは考える。
最初は。
勇者ビーストとして王国へ戻った。
英雄として迎えられ。
王女との婚約話が出た。
本来なら。
断るべきだったのかもしれない。
「最初は……」
「断ったら。」
「僕が兄さんじゃないって疑われるかもしれないと思って」
国王の眉が動く。
「つまり。」
「娘との婚約まで、偽装のためだったと?」
「最初は!」
アレンが慌てて立ち上がった。
「最初はです!」
「……最初は?」
「……」
しまった。
アレンの顔が固まる。
王女の頬が僅かに赤くなった。
ノエルが微笑む。
「ほう」
国王が腕を組む。
「続きを聞こう」
「……」
「最初は?」
「……その。」
アレンは王女を見る。
王女もこちらを見ている。
「今は。」
言葉に詰まる。
「嫌じゃ……ないです」
「……!」
王女の顔がさらに赤くなる。
「嫌ではない?」
「はい……」
「では娘を好いていると?」
「…………」
アレンの顔まで赤くなった。
「それ今ここで言わないと駄目ですか!?」
「重要なことだ」
「魔王様」
ガルドが真剣な顔をする。
「ここは男として――」
「ガルドは黙ってて!」
「御意!」
◇◇◇
「アレン様」
王女が口を開いた。
「……何?」
「私は。」
王女は立ち上がる。
そして。
国王の前へ進んだ。
「婚約を解消するつもりはありません」
「……!」
アレンが目を見開く。
「娘よ」
「私は。」
「アレン様の正体を知った後も。」
「自分の意思で魔族領へ同行しました」
「魔王城でのアレン様も見ました」
「民から慕われ。」
「反乱を起こした者たちにも、可能な限り命を奪わない道を選ばれました」
「そして。」
王女はアレンを見る。
「人間も魔族も守りたいと。」
「本気で考えておられます」
「……」
「私は。」
「勇者ビースト様だから婚約したのではありません」
王女は微笑んだ。
「アレン様だから。」
「この方の隣にいたいと思っています」
「……」
アレンは完全に固まった。
白い頬が真っ赤になっている。
「……アレン」
国王が呼ぶ。
「……」
「アレン?」
「……はい」
「聞いているか?」
「聞いてます……」
「顔が赤いぞ」
「言わないでください!」
◇◇◇
国王は長く息を吐いた。
「娘よ」
「はい」
「本当に。」
「この男でよいのだな?」
「はい」
即答。
アレンが小さく呟く。
「この男って……」
「黙っておれ」
「はい」
「……」
国王はしばらく考える。
そして。
「アレン」
「はい」
「一つ確認する」
「何でしょう」
「そなた。」
「娘を妃に迎えるということが。」
「何を意味するか分かっているか?」
「……結婚する?」
「それだけではない」
国王は真剣な表情になる。
「そなたは魔王だ」
「北方魔族領を治める王」
「娘は人間王国の王女」
「この婚姻は。」
「ただの男女の結婚では済まぬ」
アレンの表情も変わる。
「……人間王国と魔族領の関係に関わる」
「そうだ」
国王が頷く。
「人間の王女が魔王へ嫁ぐ」
「それだけで。」
「和平を望む者には希望となる」
「だが。」
「魔族を憎む人間。」
「人間を憎む魔族。」
「双方から反発を受けるだろう」
「……」
「場合によっては。」
「娘が狙われる」
アレンの瞳が僅かに細くなる。
「それでも。」
「婚約を続けるか?」
今度は。
アレンはすぐに答えなかった。
王女を見る。
彼女は何も言わない。
アレン自身の答えを待っている。
「……僕は。」
アレンは立ち上がった。
「魔王になってから。」
「たくさん失いました」
「人間だった頃の家族も。」
「普通に暮らす未来も。」
「そして。」
「兄さんも」
アルベルトが静かに聞いている。
「だから。」
アレンは王女の隣へ立った。
「もう。」
「僕のせいで誰かが死ぬのは嫌です」
「……」
「王女が僕の隣にいることで狙われるなら。」
「守ります」
「人間からでも。」
「魔族からでも。」
「僕自身の命を使ってでも」
王女の瞳が揺れる。
「それと。」
アレンは少し照れながら続ける。
「僕も。」
「婚約を続けたいです」
「……アレン様」
「だから。」
アレンは国王へ頭を下げた。
「改めて。」
「お願いします」
「王女との婚約を。」
「魔王アレンとして――認めてください」
◇◇◇
国王は。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……条件がある」
「条件?」
「三つだ」
アレンの背筋が伸びる。
「一つ。」
「娘を泣かせるな」
「はい」
「二つ。」
「妃となった後も、人間王国への帰国を妨げるな」
「もちろんです」
「そして三つ」
国王がアレンを睨む。
「二度と。」
「娘に重大な嘘をつくな」
「……!」
アレンは王女を見る。
「分かりました」
そして。
深く頭を下げた。
「約束します」
「ならば。」
国王は腕を組んだまま。
少しだけ笑った。
「婚約を認めよう」
「……!」
王女の顔が明るくなる。
「お父様!」
「ありがとうございます!」
アレンも頭を上げる。
「ありがとう……ございます」
「ただし」
「まだあるんですか!?」
「結婚はすぐには認めん」
「……え?」
「そなた十五だろう」
「はい」
「娘もまだ若い」
「正式な婚姻時期については改めて話し合う」
「分かりました」
国王がさらに続ける。
「それと。」
「?」
「婚約中に妙なことをするなよ」
「妙なこと?」
「……」
「?」
アレンは本気で分かっていない。
王女の顔が一気に赤くなる。
「お、お父様!」
「大切なことだ!」
「何の話?」
「アレン様は知らなくて結構です!」
「なんで!?」
ノエルは口元を隠して笑っていた。
「ノエル?」
「魔王様はそのままでよろしいかと」
「だから何!?」
◇◇◇
こうして。
勇者ビーストと王女の婚約は。
一度、その意味を失い――。
新たに。
魔王アレンと人間王国の王女との婚約として結び直された。
人間と魔族。
本来なら敵同士だった二つの種族。
その未来を繋ぐ婚約。
だが――。
まだ大きな問題が残っていた。
「……王様」
「何だ?」
「僕が勇者じゃなくて魔王だってこと。」
「国民にはどうするんです?」
「……」
国王の動きが止まった。
王女も止まった。
宰相も。
アルベルトも。
「……」
全員が顔を見合わせる。
アレンが恐る恐る尋ねた。
「まさか。」
「何も考えてない?」
「…………」
「王様?」
「……これから考える」
「僕と同じじゃん!」
国王が咳払いした。
「と、とにかく!」
「この件は国家の根幹に関わる!」
「すぐ公表するわけにはいかん!」
「じゃあ僕は王都に戻ったら?」
「……」
「勇者?」
「……当面は」
「結局まだ勇者やるの!?」
魔王アレンの正体は。
国王たちへ明かされた。
しかし――。
王国の民は、まだ何も知らない。
魔王にして勇者。
アレンの奇妙な二重生活は。
もう少しだけ続くことになった。
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