第59話 勇者ビーストの最期
迎賓館の中庭。
誰も言葉を発することができなかった。
白髪。
漆黒の翼。
異形の足。
肩から血を流しながら立つ少年――魔王アレン。
その足元には《幻影の首飾り》が置かれている。
つい先ほどまで。
その首飾り一つで、アレンは勇者ビーストになっていた。
「……」
国王は言葉を失っていた。
騎士たちも。
宰相も。
誰もが同じだった。
そして――。
「……ビースト」
アルベルトだけが。
地面へ落とした剣を見つめながら、かつての教え子の名を呟いていた。
アレンは静かに口を開く。
「全部。」
「話します」
◇◇◇
勇者一行が魔王城へ到着した日。
アレンは彼らを敵として迎えた。
「僕は北方魔族領の領主」
「兄さんは人間王国の勇者」
「お互い。」
「退くことはできませんでした」
アルベルトが尋ねる。
「……ビーストは。」
「お前が従兄弟だと知っていたのか?」
「最初は。」
「お互い知りませんでした」
「……」
「僕も。」
「兄さんの顔なんて覚えてなかったから」
一歳で家を離れたアレンに。
親族の記憶など、ほとんど残っていない。
「戦って。」
「最後に分かりました」
アレンは自分の胸元へ手を当てた。
「僕たちは。」
「最後に一対一で戦いました」
◇◇◇
――魔王城。
崩れた玉座の間。
「はぁ……!」
「はぁ……!」
二人は満身創痍だった。
魔王アレン。
勇者ビースト。
床には何本もの剣痕。
壁は崩れ。
天井の一部まで落ちている。
「……強いな」
ビーストが笑った。
「そっちも」
アレンは龍皇剣を握り直す。
「もう。」
「やめない?」
「それは無理だ」
「……だよね」
「俺には。」
ビーストが剣を構える。
「帰りを待っている奴らがいる」
「僕にもいるよ」
「……そうか」
「うん」
二人は互いに笑った。
そして。
同時に地面を蹴った。
◇◇◇
キィィン!!
剣が激突する。
一撃。
二撃。
三撃。
何度も刃が交差する。
「うおおおお!!」
ビーストが踏み込む。
「っ!」
アレンが受け流す。
そして――。
一瞬。
ビーストの身体が崩れた。
「……!」
アレンの身体が反応した。
龍皇剣を突き出す。
ズブッ――。
「……え?」
時間が止まった。
龍皇剣が。
ビーストの胸を貫いていた。
「……兄さん?」
なぜ。
その言葉が出たのか。
アレン自身にも分からなかった。
ビーストの瞳が大きくなる。
「……今。」
「なんて……?」
「……え?」
「兄さんって……」
アレンの頭の奥で。
遠い記憶が蘇った。
顔すら覚えていなかった。
声も。
名前も。
だが。
家族から聞いたことがあった。
自分には――。
年上の従兄弟がいた。
「……ビースト」
アレンの声が震える。
「まさか……」
ビーストも何かに気付いた。
「お前……。」
「アレン……なのか?」
「……!」
その名前。
魔王としてではない。
もっと昔。
人間として生まれた時の名前を。
ビーストは知っていた。
「……そうだよ」
アレンの手から龍皇剣が離れる。
「僕……。」
「アレンだよ」
「……はは」
ビーストが小さく笑った。
「そうか……」
「お前だったのか……」
身体から力が抜ける。
「兄さん!」
アレンが抱き止めた。
「待って!」
「ノエル!」
「治癒魔法を!」
「早く!」
だが。
ビーストは首を横へ振った。
「無理だ」
「無理じゃない!」
「僕なら――」
「アレン」
「……」
「聞け」
◇◇◇
現在。
アルベルトは拳を握っていた。
「……あの馬鹿が」
アレンは話を続ける。
「兄さんは。」
「自分が助からないことを分かっていました」
「そして。」
「僕に頼んだんです」
◇◇◇
『アレン』
「喋らないで!」
『頼みが……ある』
「嫌だ!」
「治してから聞く!」
『俺の代わりに――』
「やめて!」
『勇者に……なってくれ』
「……え?」
アレンの動きが止まった。
「何……言ってるの?」
『お前が……』
ビーストは血を吐きながら、それでも笑った。
『勇者に……なるんだ』
「僕は魔王だよ!?」
『知ってる……』
「今、兄さんを殺したんだよ!?」
『……戦った結果だ』
「そんな……」
『お前は……』
ビーストの手が。
アレンの白い髪へ触れた。
『悪い奴じゃ……ないんだろ?』
「……」
『さっきから……分かってた』
『本当に人間を滅ぼしたい奴なら……』
『何度も俺たちを逃がそうとは……しない』
「兄さん……」
『人間も……』
『魔族も……』
『守ってくれ』
「そんなの……」
『できるさ』
ビーストは微笑んだ。
『だって……』
『俺の弟みたいなもんだからな』
「……!」
『頼んだぞ……』
「待って」
『アレン』
「待ってよ」
『生きろ』
「兄さん!」
ビーストの手が。
ゆっくりと落ちた。
「……兄さん?」
返事はない。
「ねえ」
アレンが肩を揺らす。
「勇者になるから」
「分かったから」
「なるよ」
「だから……」
返事はない。
「起きてよ……」
勇者ビーストは。
もう。
二度と目を開けなかった。
◇◇◇
「……それが。」
アレンは現在へ戻る。
「兄さんの最期です」
中庭は静まり返っていた。
アルベルトは俯いている。
「……そうか」
掠れた声。
「あいつ。」
「最後まで……」
アルベルトが目元を押さえた。
「馬鹿な奴だ」
アレンは何も言えなかった。
◇◇◇
「では。」
国王が尋ねる。
「そなたは。」
「その遺言を守るために?」
「はい」
「ビーストの姿となり。」
「王国へ戻った?」
「はい」
「……なぜ。」
国王の声が少し強くなる。
「最初から真実を話さなかった」
「……怖かったからです」
「何がだ?」
「僕が魔王だと知られれば。」
アレンは人間側と魔族側を見る。
「また戦争になると思った」
「魔族は僕を守ろうとする」
「人間は僕を討とうとする」
「そうなったら。」
「兄さんの遺言を守れない」
「だから。」
「勇者ビーストが帰ってきたことにした」
「……」
アレンは深く頭を下げる。
「でも。」
「それで、たくさんの人を騙しました」
「王様も。」
「王妃様も。」
「騎士たちも。」
「国民も。」
「……ごめんなさい」
◇◇◇
「アレン」
アルベルトだった。
初めて。
魔王ではなく。
名前で呼んだ。
「はい」
「顔を上げろ」
アレンが恐る恐る顔を上げる。
アルベルトはアレンへ近づく。
先ほど斬った肩を見る。
血はまだ流れている。
「……すまなかった」
「え?」
「事情も聞かずに斬った」
「でも。」
「僕が兄さんを殺したのは――」
「戦場だったんだろう」
「……」
「ビーストも剣を持っていた」
「はい」
「お前も民を守るために戦っていた」
「……はい」
「なら。」
アルベルトは目を閉じる。
「儂がお前を斬る理由にはならん」
「……」
「それに。」
アルベルトは少しだけ笑った。
「あの馬鹿が。」
「最後にお前を選んだんだろう?」
アレンの瞳が揺れる。
「だったら。」
「少しくらいは。」
「信じてやらんとな」
「……はい」
アレンは俯いた。
「ありがとう……ございます」
◇◇◇
国王は。
長い間、黙っていた。
「魔王アレン」
「はい」
「いや。」
国王は言い直す。
「アレン」
「……はい」
「余は。」
「そなたを許したわけではない」
「分かっています」
「国王を騙し。」
「勇者を偽り。」
「さらには娘との婚約まで。」
「……」
アレンの翼が縮こまる。
「ごめんなさい……」
「だが。」
国王は王女を見る。
そして。
魔族側を見る。
「そなたが人間との戦争を止めようとしていたことも。」
「娘を守って帰したことも。」
「事実なのだな?」
「はい」
「……」
国王はゆっくり椅子へ座った。
「ならば。」
「会談を続けよう」
「……え?」
アレンが目を見開く。
「陛下!?」
宰相も驚く。
「我々は何のためにここへ来た?」
「魔王が人間との戦争を望んでいるのか。」
「それを確かめるためだ」
国王はアレンを見る。
「そして今。」
「その魔王本人が目の前にいる」
「ならば。」
「話せばよい」
アレンは呆然としていた。
「……いいんですか?」
「ただし。」
「はい」
「もう。」
国王の目が鋭くなる。
「嘘はつくな」
「……!」
アレンは強く頷いた。
「はい!」
◇◇◇
その時。
王女がアレンへ近づく。
「アレン様」
「何?」
「肩を」
「あ」
すっかり忘れていた。
服が血で赤く染まっている。
「治療を受けてください」
「これくらいなら――」
「駄目です」
「でも。」
「駄目です」
「……はい」
ノエルが笑う。
「魔王様」
「何?」
「王女殿下には逆らえなくなっておりますね」
「うるさい」
ガルドも頷く。
「将来が楽しみですな!」
「ガルドまで!」
重かった空気が。
ほんの少しだけ和らいだ。
だが。
国王がふと王女を見る。
「……待て」
「はい?」
「婚約」
王女の動きが止まる。
アレンも固まった。
「……」
「……」
国王の顔が。
徐々に険しくなっていく。
「余は。」
「勇者ビーストとの婚約を認めたはずだ」
「……はい」
「だが。」
国王がアレンを見る。
「実際に娘と婚約したのは。」
「魔王アレン?」
「…………はい」
「しかも。」
「元は人間とはいえ。」
「現在は魔族の王?」
「…………はい」
沈黙。
アレンは嫌な予感がした。
「アレン」
「はい……」
「その話。」
「会談の後に――。」
国王は笑っていなかった。
「じっくり聞かせてもらおうか」
「…………」
アレンの翼が完全に縮こまった。
「……逃げてもいい?」
「駄目です」
王女が即答した。
「ノエル」
「駄目でございます」
「ガルド」
「頑張ってくださいませ!」
「誰も助けてくれない!」
勇者ビーストの最期が語られ。
魔王と勇者を巡る最大の嘘は、終わった。
しかし――。
アレンにはまだ。
国王の娘と婚約してしまったという、とんでもなく大きな問題が残されていた。
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