第57話 勇者を知る者
会談まで――あと一日。
「もう一回」
「はい!」
魔王城の大広間。
玉座には、魔王アレン。
その正面には――勇者ビースト。
正確には。
幻影魔法で勇者ビーストの姿となった魔族、ザックが立っていた。
「魔王アレン」
「うん」
「我々人間王国は、魔族との無用な争いを望んでいない」
「僕も同じだよ」
「ならば――」
ザックが一歩前へ出る。
「双方の国境において、互いの軍を一定距離まで後退させることを提案する」
「……」
アレンが目を細める。
「いいね」
「ただし、魔族側にも条件がある」
「聞こう」
「国境を越えて魔族領へ入った人間を。」
「理由なく討伐しない」
「代わりに人間側も。」
「国境を越えた魔族を、見つけただけで殺さないこと」
「承知した」
「……」
沈黙。
アレンがノエルを見る。
「どう?」
「かなり自然になられましたね」
「でしょ!?」
アレンの顔が明るくなる。
「ザック!」
「はい!」
「もう一回!」
「はい、魔王様!」
「……」
「……」
アレンの笑顔が消えた。
「なんで最後に戻るの?」
「申し訳ございません……」
◇◇◇
ガルドが腕を組む。
「しかし。」
「ここまでできれば、問題ないのでは?」
「僕もそう思う」
アレンは玉座から降りる。
「王様と話すのは基本的に僕。」
「ザックは勇者として隣に立ってればいい」
「質問されたら最低限答える」
「余計なことは言わない」
ザックが頷く。
「承知いたしました」
「絶対に。」
アレンはザックの肩を掴む。
「僕を魔王様って呼ばないでね?」
「……はい」
「絶対だよ?」
「はい」
「命令だからね?」
「御意!」
「その返事も駄目!」
「……はい」
ノエルが小さく笑った。
◇◇◇
同じ頃。
人間王国。
王城。
「陛下」
宰相が国王の前に立っていた。
「会談へ同行する者についてですが。」
「決めた」
「どなたを?」
国王は一枚の書類を置く。
「アルベルトを連れていく」
宰相が目を見開いた。
「……アルベルト殿を?」
「うむ」
「しかし彼は現在、王都騎士団の指南役を――」
「だからこそだ」
国王の表情は真剣だった。
「アルベルトは。」
「ビーストが勇者になる以前から、あやつを知っている」
「……」
「剣術指南もしたことがある」
「歩き方。」
「剣の構え。」
「戦い方。」
「そして。」
「ビースト本人しか知らぬ昔の出来事まで知っている」
宰相は国王の意図を理解した。
「勇者ビースト殿を……疑っておられるのですか?」
「疑いたくはない」
国王は静かに答える。
「だが。」
「魔王を討ったと報告した勇者が。」
「魔王生存後、突然その魔王との和平を訴え始めた」
「さらに娘まで魔王を擁護している」
「偶然で片付けるには。」
「妙なことが多すぎる」
「……」
「何か隠している」
国王は確信していた。
「それが何なのか。」
「確かめる」
◇◇◇
翌朝。
会談当日。
北方国境・中立都市。
かつて人間と魔族が交易に使用していた都市だった。
現在はどちらの国にも正式には属していない。
その中央。
古い迎賓館が、今回の会談場所となった。
人間側の旗。
魔族側の旗。
二つが並べて掲げられている。
「……」
迎賓館の一室。
アレンは鏡の前に立っていた。
今日は幻影を使っていない。
白髪。
漆黒の翼。
鋭い爪を持つ足。
そして魔王としての正装。
「……変じゃない?」
ノエルが服の襟を直す。
「問題ございません」
「髪は?」
「いつも通りでございます」
「翼は?」
「いつも通りでございます」
「顔は?」
「魔王様でございます」
「それ答えになってないよ」
「緊張なさっているのですか?」
「してるよ!」
アレンが小声で叫ぶ。
「敵の軍隊に一人で行くより緊張する!」
ノエルが微笑む。
「魔王様にも苦手なものがあるのですね」
「政治」
「魔王でいらっしゃるのに?」
「仕方ないでしょ!」
「七歳からやってるんだから!」
◇◇◇
隣室。
「……」
ザックは勇者ビーストの姿で椅子に座っていた。
その膝が。
ガクガク震えている。
「大丈夫?」
王女が尋ねる。
「だ、大丈夫でございます!」
「勇者ビースト様は、私にそのような話し方はされません」
「……大丈夫だ」
「はい」
「……」
「……」
「王女殿下」
「何でしょう?」
「逃げてよろしいでしょうか」
「駄目です」
「ですよね……」
ザックは顔を覆った。
「魔王様の前で戦う方が百倍楽だ……」
「それほどですか?」
「私は魔族ですよ?」
「人間の国王を騙すんですよ?」
「バレたらどうなるのです?」
「……」
王女も答えられなかった。
「怖いこと考えるのやめましょう」
「王女殿下も怖いのですね!?」
◇◇◇
「人間王国国王陛下、ご到着!」
声が響いた。
馬車が迎賓館前へ止まる。
国王。
宰相。
騎士団長。
護衛騎士たち。
そして――。
一人の老騎士が馬車から降りた。
白髪交じりの髪。
左目に古い傷。
腰には使い込まれた長剣。
「久しいな」
老騎士――アルベルトが迎賓館を見上げる。
「ビーストに会うのも。」
「数年ぶりか」
国王が尋ねる。
「頼めるか?」
「もちろんです」
アルベルトは笑った。
「もし本当にあの小僧なら。」
「顔を見れば分かりますよ」
◇◇◇
会談室。
長い机。
片側に人間側。
反対側に魔族側。
先に入ったアレンは魔王側中央の席へ座った。
右にノエル。
左にガルド。
「……」
アレンは平静を装っている。
(大丈夫。)
(ザックは昨日かなり上手くなってた。)
(王様との話は僕が中心になる。)
(兄さんの昔のことなんて聞かれない。)
扉が開く。
「人間王国国王陛下!」
国王が入ってくる。
アレンは立ち上がった。
「初めまして。」
魔王として。
人間の王へ頭を下げる。
「北方魔族領領主。」
「魔王アレンです」
国王は目の前の少年を見て、一瞬驚いた。
「……そなたが?」
「はい」
「想像していたより、随分と若い」
「よく言われます」
国王はアレンの翼を見る。
その身体から漏れる濃密な瘴気。
間違いなく。
人間ではない。
「人間王国国王だ」
「此度は会談を受けてくれたこと、感謝する」
「こちらこそ」
最初は順調だった。
そして。
「勇者ビースト様、ご入室!」
(来た。)
アレンの心臓が跳ねる。
扉が開く。
勇者ビーストが入ってきた。
もちろん――ザックだ。
歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
(普通。)
(普通に歩けてる!)
アレンは内心で喜ぶ。
ザックが国王へ頭を下げる。
「陛下」
「ビースト」
次に。
ザックがアレンを見る。
「……魔王アレン」
「勇者ビースト」
二人が向かい合う。
魔王と勇者。
本来ならば。
絶対に成立しない光景。
(できた……!)
アレンは感動していた。
(僕と僕が同じ場所にいる!)
正確には違う。
だが。
誰も疑っていない。
――その時までは。
「ビースト」
聞き覚えのない声がした。
「……?」
ザックが振り返る。
老騎士が立っていた。
「久しいな」
「……」
ザックが固まる。
アレンも首を傾げた。
(誰?)
王女の表情も変わった。
(あの方……。)
アルベルトは勇者へ近づく。
「どうした?」
「儂の顔を忘れたか?」
「……」
ザックの額から汗が流れる。
「お、お久しぶりです」
アルベルトの眉が僅かに動いた。
「ほう」
ザックは笑顔を作る。
「お元気そうで」
「……」
「……」
アルベルトが目を細めた。
「ビースト」
「はい?」
「お前。」
「儂に敬語など使ったことがあったか?」
「…………」
ザックの顔が固まった。
アレンも固まった。
(まずい。)
「それに。」
アルベルトがザックの周囲をゆっくり歩く。
「妙だな」
「な、何が?」
「お前は立っている時。」
老騎士がザックの足元を見る。
「必ず左足を半歩前へ出す癖があった」
「……!」
「剣をすぐ抜けるようにな」
ザックは慌てて左足を出す。
「今やるな」
「……」
(ザックぅぅぅ!!)
アレンは心の中で絶叫した。
アルベルトはさらにザックを見る。
「それから。」
「昔。」
「儂がお前に初めて剣を教えた日。」
「お前は儂に何と言った?」
「……」
ザック。
沈黙。
アレン。
当然知らない。
王女も知らない。
ノエルも知らない。
ガルドに至っては、何の話かすら分からない。
「……覚えていないのか?」
「昔のことですから」
ザックが必死に答える。
「忘れました」
「そうか」
アルベルトは笑った。
「では。」
腰の剣へ手を置く。
「これなら覚えているだろう」
「……?」
「ビースト」
老騎士の目から笑みが消えた。
「お前の剣を見せろ」
「…………」
ザックの顔が青ざめた。
アレンも。
(終わった。)
ビーストの剣技。
そんなものをザックが再現できるはずがない。
アルベルトは静かに告げた。
「少し。」
「儂と手合わせをしよう」
会談開始から――わずか数分。
アレンたちが二日かけて準備した影武者作戦は。
早くも――。
最大の危機を迎えていた。
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