第53話 魔王は生きている
反乱鎮圧から二日後。
北方魔族領。
魔王アレン生存の知らせは、凄まじい勢いで広がっていた。
「聞いたか!?」
「魔王様が生きておられた!」
「勇者に討たれたというのは嘘だったらしい!」
「反乱軍三千五百を鎮めたって!」
「やっぱり魔王様だ!」
町でも。
村でも。
魔王城でも。
話題はそればかりだった。
だが――。
噂というものは。
国境で止まってはくれない。
◇◇◇
人間王国・北方国境都市。
「……魔王が?」
一人の商人が眉をひそめる。
「ああ」
酒場の男が声を潜めた。
「生きてるらしい」
「馬鹿な」
「魔王は勇者ビースト様が倒したはずだ」
「俺もそう思ってた」
男は酒を一口飲む。
「だが、北から来た行商人が言ってた」
「魔族領で反乱が起きただろ?」
「ああ」
「それを鎮めたのが――魔王アレン本人らしい」
「……」
「しかも。」
男はさらに声を小さくする。
「三千を超える反乱軍の前に、たった一人で出たそうだ」
「嘘だろ……」
「魔王だぞ?」
「それくらいやるだろ」
別の男が口を挟む。
「じゃあ勇者様は何を倒したんだ?」
「……さあな」
その疑問は。
数日もしないうちに王都へ届くことになる。
◇◇◇
魔王城。
「……まずい」
アレンは執務机に突っ伏していた。
目の前には大量の書類。
反乱後の被害報告。
復旧費用。
捕虜の処遇。
食料支援。
破壊された街道の修復。
「多すぎる……」
「魔王様」
ノエルが書類を追加する。
「こちらもお願いいたします」
「増やさないで」
「増やしているのは私ではございません」
「じゃあ誰」
「魔王様の国でございます」
「……」
正論だった。
「勇者の方が楽だったかも」
「つい先日まで、勇者は面倒だと仰っておりましたが」
「魔王も面倒」
「では何になりたいのです?」
「何もしたくない」
「魔王様」
「冗談だよ……」
アレンは渋々、羽根ペンを取った。
その向かい側では王女が書類を読んでいる。
「アレン様」
「ん?」
「こちらの村への食料支援、量が足りないのでは?」
「どれ?」
王女が書類を差し出す。
アレンは内容を見る。
「……本当だ」
「避難民が戻ってくる分を計算してない」
「でしたら、こちらの備蓄から――」
「うん」
アレンが書き直す。
ノエルがその様子を見て微笑んだ。
「随分と馴染まれましたね、王女殿下」
「そうでしょうか?」
「魔王城へ来られて、まだ数日とは思えません」
「書類仕事でしたら王城でもしておりますので」
「助かる」
アレンが即答する。
「王女、ここに住まない?」
「魔王様」
「冗談」
「半分ほど本気のお顔でしたが」
「……半分は本気」
王女が思わず笑った。
◇◇◇
しばらくして。
ガルドとレイグが執務室へ入ってきた。
「魔王様」
「どうしたの?」
「ヴァルガスの取り調べについてです」
アレンの表情が変わる。
「分かったことは?」
レイグが報告書を開く。
「反乱開始以前より、人間領への侵攻計画を進めていたようです」
「……やっぱり」
「さらに。」
「複数の村への襲撃命令も、ヴァルガス本人が出していたことが確認されました」
アレンの顔から笑みが消える。
「死者は?」
「現時点で百二十七名」
「……」
「うち、非戦闘員が四十一名です」
アレンは目を閉じた。
しばらく沈黙したあと。
「裁判にかけて」
「御意」
「僕が直接裁く」
王女がアレンを見る。
先ほどまで書類仕事を嫌がっていた少年とは、まるで別人だった。
これもまた。
魔王アレンなのだ。
◇◇◇
「それと、もう一点ございます」
ガルドが言う。
「何?」
「……少々、厄介です」
「また?」
「人間領へ。」
ガルドが一瞬、王女を見る。
「魔王様が生存しているという噂が流れております」
「……」
アレンの動きが止まった。
「え?」
「国境付近では、すでにかなり広まっているようです」
「…………」
アレンはゆっくり机へ突っ伏した。
「終わった」
「アレン様?」
「終わったよ……」
「まだ何も終わっておりません」
ノエルが冷静に返す。
「だって。」
アレンが顔を上げる。
「人間側では勇者ビーストが魔王を倒したことになってるんだよ?」
「なのに魔王が生きてる」
「そしたら絶対――」
王女も気付いた。
「勇者ビースト様への疑いが……」
「出る」
アレンは頭を抱えた。
「絶対出る」
◇◇◇
そして。
その予想は正しかった。
同日。
人間王国・王都。
国王の前へ、一人の騎士が跪いていた。
「陛下!」
「北方より急報でございます!」
「申せ」
「魔族領にて――」
騎士は一瞬ためらう。
「死んだはずの魔王アレンが目撃されたとの噂が広がっております!」
謁見の間がざわめいた。
「何だと!?」
「馬鹿な!」
「勇者ビーストが討ったはずだ!」
国王の表情が険しくなる。
「情報の確度は?」
「不明です」
「ですが複数の商人、旅人から同様の証言が」
宰相が前へ出る。
「陛下」
「これは看過できませぬ」
「うむ……」
「もし魔王が生きているのであれば。」
宰相は続ける。
「勇者ビースト殿の報告と矛盾いたします」
国王は黙った。
「それだけではございません」
「現在、勇者殿は王女殿下と共に魔族領へ赴いている」
「そして、その直後に魔王生存の噂」
「……何が言いたい?」
「偶然にしては。」
「出来すぎております」
謁見の間が静まり返った。
国王の指が玉座を叩く。
「……ビースト」
娘の婚約者。
王国を救った勇者。
国王はまだ疑いたくなかった。
しかし――。
「二人が戻り次第。」
「ビースト本人から話を聞く」
「はっ」
◇◇◇
魔王城。
アレンは《幻影の首飾り》を眺めていた。
「……どうしよう」
王女が向かいに座る。
「いつかは、知られることです」
「でも今は早いよ」
「そうでしょうか?」
「だって。」
アレンは首飾りを握る。
「僕はまだ。」
「勇者として何もできてない」
王女は黙って聞いている。
「兄さんの遺言を受けて。」
「姿だけ借りて。」
「王国へ帰った」
「でも、それだけ」
アレンは自分の胸へ手を当てる。
「僕自身が勇者だって。」
「まだ誰にも認めてもらってない」
「……アレン様」
「だから。」
アレンは立ち上がる。
「まだ正体は明かさない」
「魔王も続ける」
「勇者も続ける」
「両方?」
「うん」
アレンは少し笑った。
「欲張りだから」
王女も小さく微笑む。
「では。」
「どうやって国王陛下へ説明されるのです?」
「……」
アレンの笑顔が消えた。
「それなんだよね」
「考えていなかったのですか?」
「今から考える」
「アレン様……」
ノエルがため息をついた。
その時。
バンッ!
執務室の扉が開いた。
「魔王様!」
ガルドが駆け込んでくる。
「今度は何!?」
「人間王国より使者です!」
「……え?」
「国王から。」
「勇者ビースト様と王女殿下へ――」
ガルドが書状を差し出す。
「直ちに王都へ帰還せよとの王命です」
「…………」
アレンは書状を見る。
王女も黙った。
ノエルだけが静かに微笑んでいる。
「魔王様」
「なに?」
「勇者のお仕事でございますね」
「……帰りたくない」
「なりません」
「魔王命令で――」
「ここでは通用いたしますが、人間王国では通用いたしません」
「……」
逃げ道はなかった。
魔王として反乱を鎮めたアレンは。
今度は勇者として――。
自分自身が生きている理由を説明しなければならなくなった。




