第48話 魔王の死が生んだ反乱
北方国境。
アレンは再び《幻影の首飾り》を身につけていた。
白髪も。
漆黒の翼も。
鳥のような足も消えている。
そこに立っているのは――勇者ビースト。
「……行って。」
アレンが静かに告げる。
魔族たちは深く頭を下げた。
「魔王様。」
「必ず……お戻りください。」
「うん。」
「魔王城には帰る。」
アレンは小さく笑った。
「僕の家だから。」
その言葉を聞き、魔族たちは安心したように頷いた。
怪我人。
老人。
子供。
彼らを守りながら、一行は北方の森へ消えていく。
アレンは最後の一人が見えなくなるまで、その背中を見送っていた。
「……。」
拳を握る。
(僕が死んだことになったから。)
(反乱が起きた。)
勇者になるためについた嘘。
その代償が、自分の民へ向かっていた。
◇◇◇
「勇者様!」
森から戻ってきたアレンへ、騎士隊長が駆け寄る。
「魔族たちは!?」
「帰りました。」
「……帰った?」
「はい。」
「話し合いで解決しました。」
騎士たちは顔を見合わせる。
「しかし、武装した魔族です。」
「追撃すべきでは?」
「必要ありません。」
アレンは即答した。
「彼らは侵略者ではありませんでした。」
「では、なぜ国境へ?」
「……避難民です。」
「避難民?」
「魔族領内部で争いが起きているようです。」
騎士たちがざわめく。
「内乱か?」
「魔王を失った影響だろう。」
「ならば今こそ攻め込めば――」
「駄目です。」
低い声だった。
騎士が言葉を止める。
アレンは真っ直ぐ騎士たちを見る。
「民間人が巻き込まれている。」
「今攻め込めば、さらに犠牲者が増えます。」
「ですが――」
「僕は。」
アレンの瞳が一瞬だけ鋭くなる。
「それを望みません。」
「……。」
誰も反論できなかった。
魔王を倒したと信じられている勇者本人の言葉。
その重みは大きかった。
「王都へ戻りましょう。」
「陛下へ報告します。」
◇◇◇
その日の夕方。
王城。
「魔族領で反乱だと?」
国王の声が謁見の間へ響く。
「はい。」
アレンは片膝をついていた。
「国境へ現れた者たちは、戦闘を目的としておりませんでした。」
「内乱から逃れてきた避難民と思われます。」
宰相が眉をひそめる。
「しかし、勇者殿。」
「魔王亡き今こそ、北方魔族領を制圧する好機では?」
「……。」
アレンはゆっくり顔を上げた。
(亡き今、か。)
目の前にいる。
その魔王本人が。
「反対です。」
広間がざわついた。
「なぜだ?」
国王が尋ねる。
「魔王を失った魔族領は、現在混乱しているのであろう?」
「だからです。」
アレンは答える。
「戦える者だけが暮らしているわけではありません。」
「子供も。」
「老人も。」
「普通に暮らしている者たちもいる。」
宰相が口を開く。
「相手は魔族ですぞ。」
「だから何です?」
「……!」
アレンの言葉に空気が変わる。
「魔族なら。」
「子供まで殺していいんですか?」
「それは……。」
「人間と同じです。」
アレンは続ける。
「家族がいて。」
「家があって。」
「腹が減れば食べる。」
「眠くなれば眠る。」
「怖ければ逃げる。」
「僕は、それを見ました。」
誰も言葉を発しない。
王女だけが静かにアレンを見つめていた。
彼の言葉が。
勇者として見聞きしたものではないことを知っている。
八年間。
魔族たちと共に暮らしてきた――魔王自身の言葉だった。
国王はしばらく考えた。
「……分かった。」
「陛下!」
「今は軍を動かさぬ。」
宰相が驚く。
「しかし――」
「勇者ビーストは、実際に魔族領を見てきた。」
「その者が不要と言うのであれば、今は様子を見る。」
アレンは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
◇◇◇
深夜。
自室へ戻ったアレンは扉を閉めた。
そして――。
「ノエル。」
影が揺れる。
ブワッ――!
黒紫色の瘴気が溢れ、ノエルが姿を現した。
「お呼びでしょうか、魔王様。」
「状況を教えて。」
いつもの甘えた声ではない。
魔王としての声だった。
ノエルの表情も変わる。
「反乱勢力は北東部を中心に拡大しております。」
「数は?」
「現時点で、およそ三千。」
「……三千。」
「はい。」
「ガルド様とレイグ様が進軍を抑えておりますが、問題がございます。」
「何?」
ノエルは一瞬迷う。
「反乱勢力は。」
「魔王様に反対していた者たちだけではございません。」
アレンの眉が動く。
「どういうこと?」
「魔王様がお亡くなりになったと信じ。」
「次の魔王を決めようとしている者たちが合流しております。」
「……。」
「彼らの主張は一つ。」
ノエルが静かに告げる。
「――人間との全面戦争です。」
アレンの表情から幼さが消えた。
「人間を滅ぼし。」
「北方から南へ進軍するべきだと。」
「……馬鹿な。」
アレンは拳を握る。
「そんなことしたら。」
「何万人死ぬと思ってる。」
「はい。」
「さらに。」
ノエルが続ける。
「彼らは魔王様の政策を『人間への弱腰』と批判しております。」
「……。」
アレンは目を閉じた。
思い当たる者たちはいる。
以前から。
人間との共存を嫌い。
アレンの方針へ反対していた勢力。
魔王城にもいた。
アレンが冷たい視線を向けるだけで黙っていた者たち。
しかし――。
「僕がいなくなった瞬間。」
「好き勝手始めたってことか。」
「そのようです。」
アレンが立ち上がる。
「ノエル。」
「はい。」
「明日。」
「魔王城へ帰る。」
ノエルが目を見開いた。
「しかし、王国側は?」
「勇者として理由を作る。」
「魔族領の反乱を調査するって言えばいい。」
アレンは《幻影の首飾り》を外した。
シュゥゥゥ――。
勇者ビーストの姿が消える。
白髪。
漆黒の翼。
鳥のような足。
そして。
黒紫色の瘴気が部屋を満たしていく。
「僕が始めた嘘だ。」
「だったら。」
「僕が終わらせる。」
ノエルが片膝をつく。
「御意。」
その時。
コンコン。
「……。」
アレンとノエルが扉を見る。
「アレン様。」
王女の声だった。
「入っていいよ。」
扉が開く。
王女は魔王姿のアレンを見ても、もう驚かなかった。
「やはり。」
「魔王城へ戻られるのですね。」
「聞いてた?」
「少しだけ。」
「……そっか。」
王女はアレンへ近づく。
「私も連れて行ってください。」
「…………え?」
アレンが固まった。
「魔王城へ。」
「いやいやいや。」
「約束してくださいましたよね?」
「いつかって言った。」
「その『いつか』が明日です。」
「違うよ!」
王女は真剣だった。
「人間と魔族の戦争になる可能性があるのでしょう?」
「だから危ないんだよ。」
「だからこそです。」
王女はアレンを真っ直ぐ見る。
「私は、この国の王女です。」
「そしてあなたは――魔族を治める魔王。」
「……。」
「もし本当に、人間と魔族が共に生きる道を望むのであれば。」
「私も、自分の目で魔族の国を見なければならないと思います。」
アレンは頭を抱えた。
「王様が許すわけない……。」
「説得します。」
「危ないよ。」
「アレン様が守ってください。」
「簡単に言うなぁ……。」
ノエルは二人を見ながら、小さく笑っていた。
アレンは長い長いため息をつく。
「……分かった。」
「本当ですか?」
「ただし。」
アレンの瞳が真剣になる。
「絶対に僕から離れないこと。」
「勝手に行動しないこと。」
「危険だと思ったら、すぐ逃げること。」
王女は微笑む。
「はい。」
「約束します。」
こうして。
人間の王女が――。
ついに魔王の国へ足を踏み入れることになった。
そしてそこで彼女は知る。
人間たちが恐れてきた『魔王』が。
魔族たちから、どのような存在として見られていたのかを。




