第44話 偽りの勇者様
「俺は――北方魔族領領主。」
「魔王アレンだ。」
静まり返った部屋。
王女は言葉を失っていた。
目の前にいる白髪の少年。
漆黒の翼。
鷹のような鋭い爪を持つ足。
身体から微かに溢れる黒紫色の瘴気。
どう見ても人間ではない。
そして何より――。
「勇者ビーストは……俺が殺してしまった。」
その言葉だけが、王女の頭の中を何度も巡っていた。
「……嘘。」
ようやく声が出る。
「嘘……ですよね?」
「……。」
「ビースト様は……。」
王女はアレンの後ろを見る。
誰もいない。
「では……。」
「今まで私がお話ししていた方は……。」
アレンは静かに答える。
「全部、俺だ。」
「王都へ帰ってきた時から。」
「ずっと。」
王女の身体が震える。
「そんな……。」
アレンは何も言わない。
言い訳する資格などないと思っていた。
◇◇◇
「では……。」
王女は机の上を見る。
そこには《幻影の首飾り》が置かれている。
「あれを使って……。」
「ああ。」
「ビースト様の姿に?」
「そうだ。」
「どうして……。」
王女の声が強くなる。
「どうしてそんなことをしたのですか!」
アレンは俯いた。
「……遺言だ。」
「え?」
「兄さんの。」
王女が止まる。
「兄……さん?」
「ビーストは俺の従兄弟だった。」
「戦いの最後に知った。」
アレンは静かに話し始める。
「勇者一行は、俺を討つために魔族領へ来た。」
「俺も魔王として迎え撃った。」
「最初は……殺すつもりなんてなかった。」
龍皇剣へ視線を向ける。
「でも。」
「最後に兄さんと一対一になって。」
「俺の龍皇剣が……胸を貫いた。」
王女は口元を押さえた。
「……。」
「死ぬ直前。」
「兄さんは俺に言った。」
アレンは目を閉じる。
あの日の声が蘇る。
『俺の代わりに、勇者になってくれ。』
「俺には意味が分からなかった。」
「守る義理なんてない。」
「そもそも俺は魔王だ。」
「人間たちからすれば、倒すべき敵だ。」
アレンは自嘲するように笑った。
「なのに。」
「なぜか……断れなかった。」
王女は黙って聞いている。
「兄さんの遺言を守った。」
「ただ、それだけだ。」
◇◇◇
王女は震える声で尋ねた。
「ビースト様の……お身体は?」
「魔王城にある。」
「……!」
「棺に納めて、丁重に保管している。」
「状態が崩れないよう処置もしてある。」
「いつか必ず、王国へ返すつもりだった。」
「……では。」
「本当に……。」
「ああ。」
アレンは真っ直ぐ王女を見る。
「兄さんは死んだ。」
「俺が殺した。」
王女の瞳から涙が零れ落ちた。
「……っ。」
アレンは一歩近づこうとして――止まった。
今の自分が慰めるのは違う。
殺した本人なのだから。
「……ごめん。」
それしか言えなかった。
◇◇◇
しばらくして。
王女が顔を上げる。
「あなたは……。」
「本当に魔王なのですか?」
「ああ。」
「北方魔族領を治めている。」
「では……人間ではない?」
アレンは少しだけ迷った。
「今は、な。」
「今は?」
アレンは自分の手を見る。
「元々は人間だ。」
王女が目を見開く。
「……え?」
「生まれた時は普通の人間だった。」
「子爵家の三男として生まれた。」
「一歳の頃に家を離れて……いろいろあった。」
アレンは詳しくは話さなかった。
まだ。
あの頃のことをすべて話すには、時間が必要だった。
「七歳の時。」
「死にかけていた俺は、あるものを飲まされた。」
「それで命は助かった。」
「でも――。」
アレンは翼を少し広げる。
「人間ではなくなった。」
「身体には瘴気が流れ。」
「少しずつ魔族へ変わっていった。」
王女はアレンの足を見る。
「その足も……?」
「これも、その影響。」
「龍皇剣を初めて人間へ使った時、身体がさらに変化した。」
「吐血して。」
「落ち着いた頃には……こうなってた。」
鋭い爪が床へ触れる。
「翼も。」
「白い髪も。」
「今の俺の姿は、全部……人間だった頃とは違う。」
王女は呆然としていた。
「七歳から……。」
アレンは静かに続ける。
「魔王をやってる。」
「……七歳?」
「ああ。」
「今は十五歳。」
王女はアレンの身体を見る。
どう見ても十五歳には見えない。
「成長も……止まってる。」
アレンは苦笑した。
「だから、こんな姿なんだ。」
◇◇◇
長い沈黙。
王女はようやく尋ねた。
「では……。」
「私との婚約は?」
アレンの表情が変わる。
「……。」
「それも。」
「ビースト様の代わりとして?」
「最初は……そうだった。」
「最初は?」
アレンは言葉に詰まる。
「婚約の話をされた時。」
「正直、困った。」
「兄さんの人生まで奪っているみたいで。」
「断った方がいいと思った。」
「でも。」
アレンは王女から目を逸らす。
「君と話すのは……嫌じゃなかった。」
「庭園を歩いたのも。」
「一緒に本を読んだのも。」
「楽しかった。」
「……。」
「そこだけは。」
アレンは王女を見る。
「兄さんの真似じゃない。」
「俺自身の気持ちだ。」
王女は何も答えない。
アレンも、それ以上は求めなかった。
「婚約を解消したいなら。」
「受け入れる。」
「王様に全部話したいなら、それも止めない。」
「俺を捕まえたいなら……。」
アレンは少しだけ笑う。
「たぶん、普通の牢屋じゃ無理だけど。」
「魔王様。」
ノエルが呆れたように呼ぶ。
「……ごめん。」
こんな時まで余計なことを言ってしまった。
アレンは改めて王女へ頭を下げる。
「騙していたことは謝る。」
「本当に、ごめん。」
王女は涙を拭った。
「……今夜は。」
「一人にしてください。」
「分かった。」
アレンは道を空ける。
王女は扉へ向かう。
しかし。
扉を開く直前。
「アレン……様。」
「……!」
初めて。
王女がその名を呼んだ。
アレンが振り返る。
「一つだけ。」
「はい。」
王女は背中を向けたまま尋ねる。
「ビースト様を殺したことを。」
「後悔していますか?」
アレンは少し考えた。
そして。
「……してる。」
「でも。」
「あの時の俺には、魔族を守る責任があった。」
「兄さんにも、人間を守る責任があった。」
「だから。」
「戦ったことそのものを否定するつもりはない。」
王女は静かに目を閉じた。
「……そうですか。」
扉が閉まる。
アレンはその場に立ち尽くした。
「……嫌われたかな。」
ノエルは静かに答える。
「今は、お時間を差し上げましょう。」
「うん。」
アレンは机の上に置かれた《幻影の首飾り》を見る。
勇者ビーストの姿になるための魔導具。
だが――。
少なくとも一人の前では。
もう勇者を演じる必要はなくなった。
王女は知った。
勇者は死んだ。
魔王が殺した。
そして――。
その魔王が、勇者の遺志を継いでいたことを。




