第43話 勇者様がいない
深夜。
王城は静まり返っていた。
廊下を照らす燭台の炎だけが、ゆらゆらと揺れている。
アレンの部屋から一度離れた王女は――まだ自室へ戻っていなかった。
「……。」
どうしても気になる。
先ほど聞こえた声。
ビーストとは明らかに違う、幼い声だった。
そして、女性の声も聞こえた。
(誰かがいる。)
それだけは間違いない。
王女は再び、アレンの部屋へ向かった。
◇◇◇
一方。
アレンは完全に油断していた。
「……もう来ないよね。」
「おそらくは。」
ノエルが答える。
「じゃあ、今日はこのままでいいや。」
《幻影の首飾り》は机の上。
アレンは本来の姿のままベッドへ座っていた。
白髪。
蒼い瞳。
背中には漆黒の翼。
足は人間のものではなく、鷹のような鋭い爪を持っている。
ベッドの横には魔王の杖。
壁際には龍皇剣。
どう見ても――勇者の部屋ではない。
「魔王様、翼を。」
「ん。」
ノエルがアレンの翼を軽く拭いていく。
「少々、埃が付いております。」
「今日、訓練場にいたからかな。」
「人間の騎士と戦われたので?」
「うん。」
「かなり手加減した。」
「どの程度でしょう?」
「本気の……千分の一くらい?」
「それは手加減しすぎでは?」
「だって壊れちゃうし。」
ノエルは苦笑した。
「それより。」
アレンがベッドへ倒れ込む。
「王女、絶対に疑ってるよね。」
「はい。」
「やっぱり?」
「かなり。」
「……。」
アレンは枕へ顔を埋める。
「どうしよう。」
「お話しになられてはいかがです?」
「……怖い。」
「王女殿下が?」
「違う。」
アレンは顔を上げる。
「僕が兄さんを殺したって言うのが。」
ノエルは黙った。
「魔王なのは……まだいいんだ。」
「元は人間だし。」
「でも。」
「勇者ビーストを殺したのは、紛れもなく僕だから。」
アレンは自分の手を見る。
あの日。
龍皇剣でビーストの胸を貫いた。
その感触は今でも覚えている。
「それなのに。」
「兄さんの姿を借りて。」
「王女と婚約までして。」
「……最低だよね。」
「魔王様。」
「分かってる。」
アレンは小さく笑った。
「兄さんの遺言を守りたかっただけ。」
「最初は、それだけだったんだけどな……。」
◇◇◇
その頃。
王女は部屋の前まで戻ってきていた。
中から話し声が聞こえる。
王女は扉を叩こうとして――。
「……。」
止めた。
(また隠される。)
今度は、自分の目で確かめたい。
王女はそっとドアノブへ手を掛ける。
カチャ。
「……え?」
開いた。
先ほどアレンが慌てて王女へ返事をした際、確認するため一度開けた扉。
その後――鍵を掛け直すのを忘れていた。
王女は迷う。
勝手に入ってはいけない。
分かっている。
それでも。
扉の向こうから聞こえた。
「では魔王様、明日のお召し物はこちらで。」
「うん。」
王女の身体が固まる。
(また……。)
今度は聞き間違いではない。
はっきりと。
魔王様。
そう聞こえた。
王女はゆっくりと扉を開く。
ほんの少しだけ。
中を見る。
「……。」
そして。
息を呑んだ。
知らない女性がいる。
ノエル。
その女性が誰かの世話をしている。
だが――。
勇者ビーストがいない。
(え……?)
王女は目を凝らす。
ベッドに座っているのは、小柄な白髪の少年。
背中には――。
「……翼?」
漆黒の翼。
さらに。
ベッドから伸びる足を見た瞬間、王女は口元を押さえた。
人間の足ではない。
猛禽類のような鋭い爪。
そして、少年の周囲から漂う黒紫色の瘴気。
人間ではない。
絶対に。
少年のすぐ近くには、見覚えのない禍々しい杖と龍皇剣が置かれている。
(誰……?)
(ビースト様は?)
その時。
ノエルが少年の前へ片膝をついた。
「魔王様。」
「明日は王女殿下とのご予定がございます。」
「ああ……。」
アレンは頭を抱える。
「分かってる。」
「朝になったら、また兄さんの姿になるよ。」
王女の瞳が大きく見開かれる。
(兄さんの……姿?)
アレンは机の上に置かれた《幻影の首飾り》を手に取った。
「これで勇者ビーストになればいいんでしょ。」
「はい。」
「……。」
王女の頭の中で。
これまでの違和感が、一気に繋がった。
昔のことを知らない。
性格が違う。
魔族に詳しい。
魔王を悪く言わない。
深夜に女性から「魔王様」と呼ばれている。
そして。
勇者ビーストの姿になる魔導具。
(そんな……。)
王女は一歩後ろへ下がった。
カタン。
「……!」
廊下に置かれていた小さな飾り台へ身体が当たった。
音が響く。
アレンの耳が動いた。
「……誰?」
ノエルも立ち上がる。
「何者です!」
アレンが扉を見る。
わずかに開いている。
「……。」
ゆっくり立ち上がった。
漆黒の翼が広がる。
王女は逃げられなかった。
アレンが扉を開く。
そして――。
「…………。」
「…………。」
二人の視線が重なった。
王女は震えていた。
アレンも完全に固まっていた。
「……王女、殿下?」
王女の唇が震える。
「ビースト様……は?」
「……。」
「どこに……いるのですか?」
アレンは答えられない。
王女はアレンを見る。
白髪。
翼。
異形の足。
そして、尋常ではない魔力。
「あなたは……。」
「誰なのですか?」
沈黙。
もう隠せない。
アレンはゆっくりと目を閉じた。
「……入って。」
「全部、話す。」
王女は動かない。
アレンは少しだけ悲しそうに笑った。
「安心して。」
「危害は加えない。」
「……。」
「それと。」
アレンは王女を真っ直ぐ見つめた。
「先に、一つだけ謝らせて。」
そして。
静かに頭を下げる。
「……すまない。」
「勇者ビーストは――」
一瞬、声が詰まる。
「俺が殺してしまった。」
王女の瞳が見開かれた。
長い沈黙の後。
アレンは顔を上げる。
「俺は――北方魔族領領主。」
「魔王アレンだ。」
勇者の仮面が。
ついに剥がれ落ちた。




