第40話 婚約者の違和感
婚約が決まってから、数日。
王女とアレンが共に過ごす時間は、以前より明らかに増えていた。
食事。
庭園の散歩。
王城で開かれる小さな茶会。
時には、アレンが王女の公務に付き添うこともある。
そのたびに王女は思う。
(やっぱり……違う。)
姿は間違いなくビーストだ。
声も同じ。
顔も同じ。
だが――中身が違う。
◇◇◇
昼過ぎ。
二人は王城の図書室にいた。
アレンは大きな机へ座り、一冊の本を読んでいる。
王女は向かい側から、その様子を眺めていた。
「ビースト様。」
「はい?」
「以前、こちらの本を読まれましたよね?」
一冊の本を差し出す。
「……。」
アレンは表紙を見る。
知らない。
当然だった。
ここへ来たのは、つい最近なのだから。
「……そうでしたっけ?」
「はい。出征される前に。」
「……。」
(まずい。)
「長い旅で、少し忘れてしまったようです。」
王女は微笑む。
「そうですか。」
「はい。」
アレンも笑う。
だが。
王女の瞳は、ほんの少しだけ曇っていた。
◇◇◇
その日の夕方。
王女は一人で廊下を歩いていた。
(記憶が曖昧になっているだけ?)
長い旅だった。
命を懸けて魔王と戦ったのだ。
人が変わることだってある。
そう考えれば、説明はつく。
だが――。
「魔王……。」
王女は足を止める。
アレンは魔王のことを悪く言わない。
それどころか。
魔族への軍事行動まで止めようとしている。
まるで――。
(魔族側の事情を、実際に知っているみたい。)
そして、もう一つ。
王女には気になることがあった。
アレンは毎晩、自室へ戻ると必ず鍵を掛ける。
使用人すら入れようとしない。
朝になれば、何事もなかったように出てくる。
「何をされているのでしょう……。」
◇◇◇
夜。
アレンの部屋。
「ノエルー。」
床へ伸びた影から、黒紫色の瘴気が立ち昇る。
ブワッ――。
「お呼びでしょうか、魔王様。」
「今日も疲れた。」
「お疲れ様でございます。」
アレンは《幻影の首飾り》を外す。
勇者ビーストの姿が消えていく。
白髪。
幼さの残る顔。
漆黒の翼。
そして鋭い爪を持つ、鷹のような足。
本来の魔王アレンへ戻った。
「やっぱり楽だなぁ。」
翼を大きく広げる。
「ずっと幻影を維持していると肩が凝る。」
「魔王様の場合、翼まで隠しておられますからね。」
ノエルはアレンの上着を脱がせる。
「腕を。」
「ん。」
「反対側も。」
「ん。」
「……魔王様。」
「なに?」
「ご自分でなさる気は?」
「今日はない。」
「昨日もそう仰っておりました。」
「明日はあるかも。」
「昨日もそう仰っておりました。」
「……。」
アレンは目を逸らした。
その時だった。
コンコン。
「――!」
アレンとノエルが同時に扉を見る。
「ビースト様?」
王女の声。
アレンの顔から血の気が引いた。
「……まずい。」
ノエルが小声で尋ねる。
「どうなさいます?」
「出ない。」
「ですが、明かりが。」
「……寝たふり。」
「先ほど物音もしておりますが。」
「…………。」
コンコン。
「ビースト様?」
「起きていらっしゃいますか?」
アレンは慌てて《幻影の首飾り》を探す。
「あれ?」
「魔王様?」
「首飾りどこ!?」
「先ほど、そちらへ置かれて――」
ない。
布団の下。
机。
床。
「どこいった!?」
「落ち着いてくださいませ!」
二人で慌てて探し始める。
その頃。
扉の向こう。
王女は眉をひそめていた。
(……話し声?)
しかも。
女性の声がする。
「……。」
婚約者の部屋。
深夜。
中から知らない女性の声。
王女の表情が変わった。
「ビースト様?」
返事がない。
「……失礼します。」
ドアノブへ手を掛ける。
だが、鍵が掛かっている。
「……。」
王女はしばらく扉を見つめる。
その時。
部屋の中から、ノエルの声が微かに聞こえた。
「魔王様、こちらでは?」
王女の動きが止まる。
「……え?」
今。
何と言った?
(魔王……様?)
聞き間違いだろうか。
王女は扉へ耳を近づける。
中ではアレンがようやく首飾りを発見していた。
「あった!」
「ベッドの下に落ちてた!」
「早くお着けくださいませ。」
「分かってる!」
アレンが《幻影の首飾り》を身につける。
光が身体を包み――。
再び勇者ビーストの姿へ戻った。
「ノエル、影に戻って。」
「承知いたしました。」
ノエルが瘴気へ変わり、影へ沈んでいく。
アレンは服を整える。
「……よし。」
深呼吸。
そして扉を開けた。
「王女殿下。」
そこには王女が立っていた。
「どうされました?」
完璧な勇者ビーストの姿。
王女は何も言わず、アレンを見つめる。
「……?」
「王女殿下?」
「先ほど。」
王女が口を開く。
「どなたかと、お話しされていました?」
アレンの心臓が跳ねる。
「……いえ。」
「一人ですが。」
「そう……ですか。」
王女は部屋の奥を見る。
誰もいない。
それでも。
確かに聞こえた。
女の声。
そして――。
『魔王様』。
「夜分に申し訳ありませんでした。」
王女は微笑む。
「おやすみなさい、ビースト様。」
「……おやすみなさい。」
扉を閉める。
アレンはその場へ座り込んだ。
「……危なかった。」
影からノエルの声だけが聞こえる。
「魔王様。」
「うん?」
「おそらく……。」
「聞かれております。」
「…………。」
アレンの表情が固まった。
一方。
廊下を歩く王女は、胸元へ手を当てていた。
(ビースト様。)
(あなたは……。)
(本当に、誰なのですか?)
これまで感じていた小さな違和感。
その一つ一つが――。
今、一本の線として繋がり始めていた。




