第37話 勇者としての日々
王都での生活が始まって、数日が経った。
アレンは少しずつ「勇者ビースト」として振る舞うことに慣れ始めていた。
朝。
王城の客室。
「……ん。」
大きなベッドの上で、アレンはゆっくり目を開ける。
昨夜はノエルに寝支度をしてもらったあと、そのまま眠ってしまった。
「朝か……。」
本当なら、ここでノエルが起こしてくれる。
しかし今は王城。
さすがに毎朝、影から呼び出すわけにもいかない。
「起きたくない……。」
布団を頭まで被る。
魔王城なら許された。
だが――。
コンコン。
「勇者様。」
「朝のお時間でございます。」
王城の使用人の声だった。
「…………。」
アレンは仕方なく身体を起こした。
「はい。今行きます。」
返事だけは勇者らしくする。
扉の向こうから足音が遠ざかる。
それを確認すると、アレンはため息をついた。
「勇者って大変だな……。」
魔王の方が、よほど自由だった。
◇◇◇
朝食を終えると、すぐに王から呼び出された。
謁見の間。
「ビーストよ。」
「はい、陛下。」
「魔王討伐によって北方の脅威は消えた。」
「今後、国境付近の村々も安心して暮らせるであろう。」
「……。」
アレンは少しだけ複雑な表情になる。
(脅威……か。)
自分は人間の村を襲った覚えなどない。
むしろ、魔族領へ侵入してきた者たちを追い返していただけだった。
だが人間側から見れば、魔王が存在するだけで脅威なのだろう。
「ビースト?」
「……失礼しました。」
アレンは頭を下げる。
「陛下。」
「一つ、お願いがございます。」
「申してみよ。」
「今後は……魔族領への軍事行動を控えていただけませんか?」
謁見の間がざわめいた。
「何?」
「勇者殿は何を……。」
王も眉をひそめる。
「理由を聞こう。」
アレンは少し考えてから答えた。
「魔王との戦いで分かったことがあります。」
「魔族すべてが、人間との争いを望んでいるわけではありません。」
嘘ではない。
むしろ、誰よりも知っている。
「こちらから攻め込めば、新しい争いが生まれます。」
「ならば、互いに干渉しない方がよろしいかと。」
王はしばらく黙っていた。
「……なるほど。」
「魔王を討ったそなたが言うのであれば、重く受け止めよう。」
「ありがとうございます。」
アレンは深く頭を下げた。
(よし。)
魔王としてではない。
勇者として魔族を守る。
それもまた、ビーストとの約束を果たすことになるのかもしれない。
◇◇◇
謁見を終え、廊下を歩いていると――。
「ビースト様。」
聞き覚えのある声に足を止めた。
王女だった。
「王女殿下。」
「そのように堅苦しくなさらないでください。」
「以前は、もっと気軽に話してくださったでしょう?」
「……。」
(以前を知らないんだよな……。)
アレンは困った。
「長旅で少し……。」
「ふふっ。またそれですか?」
王女が笑う。
「最近のビースト様は、そればかりですね。」
「……すみません。」
「責めているわけではありません。」
王女はアレンの隣へ並ぶ。
「むしろ、今のビースト様も素敵だと思います。」
「え?」
「以前より優しくなられました。」
アレンは思わず足を止めた。
「僕が?」
「はい。」
王女は微笑む。
「以前のビースト様は、もっと勇者としての使命に一直線な方でした。」
「今は……いろいろな立場の方を考えているように見えます。」
「魔族のことまで心配されるなんて。」
「……。」
アレンは答えられなかった。
当然だった。
自分自身が、その魔族を治める王なのだから。
「変……ですか?」
王女が尋ねる。
アレンは首を横に振った。
「いえ。」
「ただ……。」
少しだけ笑う。
「平和なら、その方がいいと思っているだけです。」
王女はその横顔を見つめていた。
やはり違う。
姿も声もビーストそのもの。
なのに。
(どうしてだろう……。)
(以前より、この方のことを知りたいと思ってしまう。)
◇◇◇
夜。
今日の仕事をすべて終えたアレンは、自室の鍵を掛けた。
「……終わったぁ。」
勇者らしい表情は一瞬で消える。
ベッドへ飛び込む。
「疲れた。」
しばらく枕へ顔を埋めたあと、床へ手を伸ばす。
「ノエル。」
影が揺れる。
黒紫色の瘴気が静かに立ち昇った。
その中からノエルが姿を現す。
「お呼びでしょうか、魔王様。」
「うん。」
アレンはベッドから起き上がる。
「今日もお願い。」
「かしこまりました。」
《幻影の首飾り》を外す。
勇者ビーストの姿が消え、白髪の小柄な少年へ戻る。
背中には漆黒の翼。
足には鋭い爪。
アレンは翼を大きく伸ばした。
「はぁ……。」
「やっぱり、この姿が一番落ち着く。」
ノエルが勇者の服を丁寧に脱がせていく。
「本日はどうでしたか?」
「王様に、魔族領へ攻めないでってお願いしてきた。」
「まあ。」
「たぶん、しばらくは大丈夫。」
ノエルは嬉しそうに微笑んだ。
「さすが魔王様でございます。」
「今は勇者だけどね。」
「私にとっては、いつまでも魔王様です。」
アレンは少し照れたように笑った。
寝間着へ着替え、大きなベッドへ潜り込む。
「ノエル。」
「はい。」
「勇者になるって……。」
「思ってたより大変だね。」
「後悔されていますか?」
アレンは少し考えた。
「……してない。」
天井を見上げる。
「兄さんとの約束だから。」
「それに。」
「勇者だからできることも、あるみたいだし。」
魔王では、人間の王へ直接言葉を届けられない。
だが勇者ならできる。
人間と魔族。
二つの世界を知る自分だからこそ、できることがある。
「もう少し、頑張ってみる。」
「はい。」
「ですが、ご無理だけはなさらないでください。」
「分かってる。」
そう答えた直後。
「……ノエル。」
「はい?」
「明日の朝も起こしに来て。」
「ご自分で起きられるのでは?」
「起きられる。」
「では――」
「起きられるけど、起きたくない。」
「……。」
ノエルは呆れたように笑った。
「承知いたしました。」
「えへへ。」
大陸最強の魔王。
王国を救ったと称えられる勇者。
そのどちらも、アレンだった。
そして――。
この二つの顔を持つ生活は、まだ始まったばかりだった。




