第36話 祝勝の宴
その日の夜。
王城では、勇者一行の帰還を祝う盛大な宴が開かれていた。
巨大な大広間には無数の燭台が灯され、長机には豪華な料理が並んでいる。
「勇者様!」
「魔王討伐、おめでとうございます!」
「王国の英雄に乾杯を!」
その中心にいるのは――勇者ビースト。
正確には、《幻影の首飾り》によってビーストの姿となった魔王アレンだった。
「ありがとうございます。」
「皆様のおかげです。」
笑顔で答えながら、アレンは心の中でため息をつく。
(……疲れる。)
魔王城で何時間も会議するより疲れる。
次から次へと知らない貴族がやって来るのだ。
しかも、全員がビーストの知り合いである可能性がある。
「勇者殿! 覚えておられるかな!」
「……もちろん。」
(誰だ、この人。)
少し離れた場所では、戦士と魔法使いがその様子を眺めていた。
「今の絶対知らなかっただろ。」
「でしょうね。」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないわよ。」
◇◇◇
やがて王が立ち上がった。
「皆の者!」
大広間が静まり返る。
「勇者ビーストと、その仲間たちは魔王との戦いに勝利し、無事この王国へ帰還した!」
「彼らこそ、我らが英雄である!」
歓声が爆発する。
「勇者様万歳!」
「ビースト様!」
アレンは笑顔を浮かべながら手を振る。
しかし心の中では、
(魔王、ここにいるんだけど……。)
複雑な気分だった。
「ビーストよ。」
王が尋ねる。
「望む褒美はあるか?」
アレンは少し考える。
「……いえ。」
「必要ありません。」
王が目を丸くする。
「何もいらぬと?」
「はい。」
「皆が平和に暮らせるのなら、それで。」
広間が静まり返った。
やがて、大きな拍手が巻き起こる。
「さすが勇者様だ!」
「なんというお方だ!」
アレンは少し困ったように笑った。
(魔王として普通のこと言っただけなんだけどな。)
◇◇◇
宴も終盤。
ようやく人混みから逃げ出したアレンは、料理の並ぶ机へ向かった。
「……おお。」
肉料理。
魚料理。
色鮮やかな野菜。
果物。
焼き菓子。
魔王領では見たことのないものも多い。
一つ取って食べる。
「……うまい。」
もう一つ。
「これも。」
さらにもう一つ。
気が付けば皿が山盛りになっていた。
「ビースト様?」
「……!」
背後から声をかけられ、アレンは振り返る。
そこには王女がいた。
「ずいぶん召し上がるのですね。」
「……少しだけです。」
王女は山盛りの皿を見る。
「それを少しと仰るのですか?」
「……。」
王女がクスクスと笑った。
アレンも少しだけ笑う。
だが、王女はその顔をじっと見つめていた。
「ビースト様。」
「はい?」
「少し……変わられましたか?」
アレンの笑顔が一瞬止まる。
「そうでしょうか。」
「ええ。以前よりも……穏やかになったというか。」
王女は首を傾げる。
「何となく、別の方とお話ししているような気がするのです。」
「……長い旅でしたから。」
「そうですよね。」
王女は微笑んだ。
しかしアレンは内心で冷や汗をかいていた。
(鋭いな、この人……。)
◇◇◇
深夜。
ようやく宴から解放されたアレンは、王城に用意された客室へ入った。
扉を閉める。
鍵を掛ける。
さらにカーテンも閉める。
「…………疲れた。」
そのままベッドへ倒れ込んだ。
「もう無理。」
しばらく動かなかったが、まだ宴用の服を着たままだ。
寝る準備もしなければならない。
「……面倒くさい。」
十五歳になった今なら、一人でもできる。
できるのだが――やりたくない。
七歳からずっとノエルに任せてきた。
アレンはベッドから顔だけを出した。
「ノエル……。」
返事はない。
「…………。」
アレンは床を見る。
自分の影が、燭台の光によって長く伸びていた。
右手を影へ向ける。
「来て。」
ブワッ――!
影から黒紫色の瘴気が溢れ出した。
瘴気が渦を巻き、徐々に人の形を作っていく。
やがて――。
「お呼びでしょうか、魔王様。」
ノエルが姿を現した。
アレンの表情が一気に緩む。
「ノエル。」
「はい。」
「疲れた。」
「でしょうね。」
「着替えたい。」
「承知いたしました。」
ノエルは慣れた様子でアレンの荷物を準備する。
アレンは胸元の《幻影の首飾り》へ手を伸ばした。
「もう今日は誰にも会わないし。」
首飾りを外す。
シュゥゥゥ――。
魔導具の光が消えていく。
勇者ビーストの姿が崩れる。
身体が小さくなり、髪は雪のような白へ。
背中からは漆黒の翼。
そして人間の足は、鋭い爪を持つ鳥のような脚へと戻った。
そこにいたのは勇者ではない。
十五歳にして大陸最強。
北方魔族領を治める――魔王アレンだった。
「やっぱりこっちの方が楽。」
「無理に別人のお姿でいるのもお疲れになるでしょう。」
ノエルが勇者の衣服を脱がせ、寝間着を用意する。
「腕を上げてください。」
「ん。」
「反対側も。」
「ん。」
完全にいつもの魔王城での光景だった。
アレンはされるがままになっている。
「魔王様。」
「はい?」
「十五歳なのですから、そろそろご自分でお着替えになっては?」
「できるよ。」
「でしたら――」
「面倒くさい。」
「……。」
「ノエルにやってもらった方が楽。」
ノエルは呆れながらも、小さく笑った。
「まったく……。」
寝支度が終わる。
アレンは大きなベッドへ潜り込んだ。
「明日も勇者かぁ……。」
「頑張ってくださいませ。」
「うん……。」
アレンは枕へ顔を埋める。
魔王城から遠く離れた、人間たちの王城。
それでも。
影を通じてノエルが来てくれる。
その事実だけで、少し安心できた。
「ノエル。」
「はい?」
「明日も来て。」
ノエルは優しく微笑んだ。
「もちろんでございます、魔王様。」
アレンは満足そうに目を閉じた。
だが――。
彼はまだ知らない。
この「影」を使った密かな生活が。
いずれ一人の少女によって目撃され――
勇者ビーストの正体が暴かれるきっかけになることを。




