第19話 新人執事
魔王アレンが正式に即位してから数日。
魔王城では、新たな使用人たちが働き始めていた。
その中には、まだ経験の浅い新人もいる。
ゴブリン族の青年。
名はグラム。
今日が執事として初めての仕事だった。
「き、緊張する……。」
両手に銀の盆を持ちながら、小さく震える。
先輩執事が肩を叩いた。
「落ち着け。」
「魔王様はお優しいお方だ。」
「は、はい!」
しかし、相手は史上最悪の魔王。
そう聞かされて育ったグラムは、不安しかなかった。
◇◇◇
魔王の執務室。
アレンは机へ向かい、山積みになった書類を眺めていた。
「……文字、多い。」
隣ではノエルが苦笑する。
「少しずつ覚えていきましょう。」
「うん……。」
コンコン。
「失礼いたします。」
グラムが紅茶を運んできた。
足は震え、手も震えている。
(落とすな……。)
(絶対に落とすな……。)
一歩。
二歩。
三歩。
その瞬間だった。
カツン。
絨毯の端に足を引っ掛ける。
「しまっ──」
ガシャン!!
紅茶が宙を舞った。
熱い紅茶が、そのままアレンの黒いローブへ降り注ぐ。
「……あ。」
部屋が凍り付いた。
ノエルの目が見開く。
ガルドもレイグも言葉を失う。
新人見張りのリザードマンは顔面蒼白。
(終わった……。)
(魔王様が怒る……。)
グラムは震えながら、その場へ土下座した。
「も、申し訳ございません!!」
「どうか命だけは……!!」
涙まで浮かべている。
部屋には重苦しい沈黙が流れた。
アレンはローブを見下ろした。
びしょ濡れである。
「……熱かった。」
そう呟くと、ゆっくりグラムへ近付く。
グラムは目を閉じた。
(殺される……。)
だが。
アレンは小さく息をついて言った。
「次から気を付けて。」
「それだけ。」
部屋中が静まり返る。
「……え?」
グラムは顔を上げた。
「お、怒らないんですか?」
アレンは首を傾げる。
「わざとじゃないでしょ?」
「失敗は誰でもある。」
「僕もいっぱい失敗するし。」
そう言って笑った。
ノエルも微笑む。
「魔王様のお言葉です。」
「次から気を付ければ大丈夫ですよ。」
グラムは何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「一生お仕えします!」
その日の夕方。
城中で噂が広がる。
「新人執事が魔王様へ紅茶をこぼしたらしい。」
「それで?」
「『次から気を付けて』の一言だけだったそうだ。」
「……本当か?」
その話を聞いた魔族たちは驚きを隠せなかった。
恐怖で支配する王ではない。
失敗を許し、人を育てる王。
その日、魔王アレンへの忠誠を誓う魔族が、また一人増えた。




