廃工場にて 其の三
裏神様はゆっくりと樹の中に突っ込んだ手を引っこ抜いた。樹の目には光が宿り、体から力があふれ出した。
「神威になったみたいですね。そうでなくては面白くありません」
祓川は一旦、樹から距離を取り、体制を整えた。
「どうやら、上手くいったようじゃな。流石、妾じゃ」
裏神様も元の位置に戻り樹の様子を窺っていた。
「お前、今の行動が天界に知られたら神の階級が下がるかもしれんぞ」
死神は横目で裏神様を見ながら言った。
「それなら、お主が止めに入ればよかったじゃろう。お主なら出来たはずじゃが。出来ないのにしなかったお主も同罪じゃ。
それに、今の妾は下がるほど階級も無い」
「はぁ、相変わらず口だけは達者だな」
死神はため息交じりで裏神様にそう言った。そして視線を神威となった二人に戻した。
二人は動くことなく睨み合いが続いていた。
「…仕掛けてこないのですか? それとも仕掛けられないのですか?」
樹は質問に答えず黙っていた。しかし、祓川の言う通りだった。祓川はただ茫然と立ち尽くしているように見えるが、実際のところ付け入る隙が無い。
「はぁ、我慢大会をしている暇はないので、来ないと言うならばこちらから行かしてもらいますね」
祓川はそう言うと樹との距離を詰めた。目にも止まらぬ速度で右手に握ったナイフを樹の顔に突き刺そうとした。樹はそれを寸の所で躱す。左頬を掠めた。だが、それはフェイクで右手にナイフなど握られていなかった。いつの間にか左手に握り替えられていたナイフは視線を逸らした樹の死角から首元に突き付けられた。
しかし、それを樹は寸のところで人差し指と中指で挟み、受け止めた。
「今の攻撃を受け止めたからといって、何を油断しているのですか?」
祓川はそう言うと、すかさず、がら空きになっているボディに拳を叩き込んだ。余りの攻撃の重さに樹は膝をついた。
その姿を見て祓川は呆れた顔をした。
二人の攻防を見ていた死神は樹に向けて話しかけた。
「ははっ、にぃちゃん。祓川に勝てるわけねぇだろ。
なんたって、祓川は新色財閥のお嬢様を直々に守っていたボディガード兼執事だったんだからよ。
そして、祓川は新色財閥一族殺人事件の犯人だしな」
膝をつきながら話を聞いていた樹は自分の耳を疑った。新色財閥一族殺人事件はオカルト大好き露木からよく聞かされていた事件だった。
五十年ほど前、とても大きな財閥一族が当時、屋敷に住み込みで働いていた使用人や料理人、執事、そして財閥の当主からその子供まで全て殺されていた事件だ。見るも無残な死体から綺麗なままの死体など様々だったらしい。
死体の様子から全員、一晩で殺されたとされ、プロの殺し屋複数人の犯行とみて捜査が進められていたが、結局犯人は分らず終いで事項を迎え、今でも未解決事件としてテレビに報道されたりするほどの事件だ。
「な、なんで、そんな、ことを…」
樹は膝をついたまま顔を上げて祓川に尋ねた。
「我が主の命令だったからですよ」
「あ、主ってのは、そこにいる死神のことか?」
「いえ、違います。その時の主は新色財閥次期当主であった新色お嬢様です。
死神様と出会ったのは新色家を滅ぼし、途方に暮れていたところを拾われました。
全く、本当に数奇な運命ですよ」
「お、お前、それで、それでいいのかよ!!」
樹はふらつきながら立ち上がり祓川にそう言った。
「それでとは?」
「主、主って! お前の考えはないのかよ! 命令されたら自分が仕えていた家の主人まで殺すのかよ!」
樹はそう言った後、再び膝をついた。体へのダメージは相当で、まだ完全に動けるほどではない。
「あなたに理解できるとも思いませんし、理解されたくもありません」
祓川は冷たい口調でそう言い放った。
「まぁ、あなたがどうこう喚いたところで今の状況はひっくり返せませんよ」
そう言って祓川は樹の髪を引っ張って持ち上げた。髪を引っ張っている手を解こうと自分の手を頭に持っていくと祓川はすかさず樹の腹を目掛け拳を叩き込んだ。その衝撃で胃の中の物が逆流し口から飛び出た。
「…汚いですね。汚れたらどうするんです?」
祓川はそう言うと髪を掴んでいた手を放した。離された樹は膝から崩れ落ち地面へと倒れた。その瞬間、祓川は樹に蹴りを入れた。樹の体は積み上げられていたパレットへと勢いよく吹き飛んでいった。凄まじい音と共に大量のパレットは樹の体の上へと覆い被さった。
「もう、終わりですか? 全く、本当に退屈しのぎにもなりませんね。
パレットを退かすのも面倒なので生きているなら出てきてください。五分以内に出てこないのであればこの工場ごと燃やします」
祓川はそう言うと近くにあった木箱に腰掛け山積みになったパレットに目を向けた。
樹は朦朧とした意識の中で祓川の声を聞いていた。それと同時に自分の弱さを嘆いていた。自分にもっと力があれば露木を守れたかもしれない。そんな自分の弱さに絶望した。
すると、その時どこからか声が聞こえた。
『自分の弱さを嘆く者よ。強くなりたいか?』
その声はここにいる誰の声でもなかった。
「…だ、誰だ…?」
『質問に質問は感心せんな。
私ならこの状況を打破出来る力を持っている。どうだ? 私に任せてみぬか?
それとも、このまま死ぬか?」
低く重い男の声が響く。
確かにやられっぱなしは嫌だ。しかし、この声の持ち主は何やら嫌な雰囲気を感じる。まるで、先の見えない闇に引きずり込もうとするような嫌な声。だが、今の樹には選択の余地はない。この罠とも思える声に力を借りなければ露木が殺されてしまう。自分の体はどうなってもいい。死んだってかまわない。でも、露木だけは死なすわけにはいかない。
樹は藁にも縋る思いで声の主に返事をした。
「た、頼む、ち、力を、貸してくれ」
『よろしい、ならば契約だ。
今から、お前の体は私の物だ。それでこの状況をひっくり返してみせようぞ』
「…あぁ、何でもいい。つ、露木を救ってくれさえ、してくれれば、後は、好きにしてくれ」
『契約成立だな。では遠慮なくお前の体を使わせてもらうぞ』
その声を最後に樹の意識は途絶えた。




