廃工場にて 其の二
「お、おい、何するつもりだよ」
樹は祓川の元に駆け寄ろうとしたが、死神が前に立ち塞がり、行く手を阻んだ。
祓川は樹に一瞥もくれることなく眠っている露木の隣に立った。そして、右手に持っていたナイフを思い切り振り上げた。
「おい! 止めろよ! クソ野郎!!」
樹は必死に叫ぶが祓川は聞く耳を持たない。死神を何とか振り解き、露木の元へ必死に駆け寄った。後、数歩という所まで来たときに祓川は振り上げたナイフを露木の心臓へと突き立てた。
「あっ、あっ、ああああああああぁぁぁぁ、うわああああぁ!!!」
樹は膝から崩れ落ち項垂れた。顔を上げる余裕も露木の元へ寄る余裕もない。
「そんな悲観な顔をしないでください。ほら、よく見てください」
祓川は樹の元へ歩み寄り、樹の髪を掴んで持ち上げ、心臓にナイフを突き付けられた露木の元へ無理矢理連れてきた。樹はそれを直視することが出来ず顔を逸らし、床見ていた。
「ですから、ちゃんと今の現状をしっかりあなたの目で確認してください。逃げていても何も変わりませんよ」
そう言われ、覚悟を決めてゆっくりと露木へと目を向けた。
相変わらず可愛い顔をしていた。色白で長いまつ毛に高い鼻。大人びた雰囲気の中にどこか幼さを感じさせるいつもの露木。そして、いつもと違うのは心臓の位置にナイフが突き刺さっていることだ。痛々しくしっかりと、墓標のようにナイフは刺さっていた。
その姿を見て、目を逸らしたが何か違和感を覚え、また目を戻した。
「…あれ? なんで…?」
違和感の正体が分かった。血だ。血が出ていない。ナイフが突き刺さっているところから一滴も。
「彼女、死なないんですよ。心臓にナイフを突き立てても、爆弾で体を吹き飛ばそうとも、上から鉄骨が落ちて潰されても、死なないんですよ。
何でだと思います?」
樹はその質問に黙ったまま首を傾げた。
「それはあなたとそこにいる神様のせいなんです」
祓川は露木に突き刺したナイフを抜き、自分の懐に戻した。
露木の心臓に刺さっていたところは服に穴が開いたぐらいで露木には露木には傷一つ付いていなかった。
「い、意味が分からない」
「私たちも分からないんです。
まぁ、大方の予想ではあなたがそこにいる神様に何かを代償に何かを願ったと考えるのが妥当かと。そうすれば理屈が通りますから。もちろん、心当たりありますよね?」
もちろんあった。あの日、あの事故の日、自分の魂と引き換えに露木の命を助けることを願った。
樹は祓川の質問に答えず、黙って祓川の目を見つめた。
「覚えていないのか、答えられないのかどちらか分かりませんが、あなた達が関わっていることは間違い無さそうですね。
そうでないと、この状況は説明出来ませんから」
「も、もし、関わっているって言うんだったらどうなるんだよ」
「あなた達を殺します」
即答だった。樹はその言葉に驚きを隠せなかった。すると、死神が口を開いた。
「おい、祓川。殺すのはその男だけだ。髪と契約しているのはその男だ。その男を殺せば、そこのお嬢ちゃんにかかっている加護は消えるだろう。
それに神様は例外以外で死ぬことは無い」
「御意。主の仰せのままに。
それでは、短い人生でしたが、ここで死んでもらいます。
あっ、もちろん、抵抗していただいて構いませんよ。最も抵抗出来ればの話ですが」
祓川はそう言って一つ息を吐いた。その瞬間、祓川の雰囲気がガラリと変わった。見た目は何一つ変わらないが体から禍々しい気が溢れている。先程、樹の前に死神が立ち塞がった時と同じ感覚だった。
祓川は今、明確な殺意を持って樹の目の前にいるのだ。
すると、裏神様が口を開いた。
「まずい! 樹逃げろ! 今のお前じゃ到底敵う相手ではない!」
樹は裏神様の方へ目をやってから祓川の方へ視線を戻すと祓川の姿はそこには無かった。
「…どこにいった?」
「ここにいますよ。後ろです」
樹の後ろから声が聞こえた。ただ、声を聞いただけなのに、ずっと変わらない口調や声室なのに凄まじい恐怖を感じた。振り返るのさえ躊躇う。恐る恐る振り返ると祓川の姿がある。
「あれ、あなたは神威にならないんですか?」
「か、神威…?」
「あなたの神様から説明はなかったんですか?」
祓川がそう言うと呆れたように裏神様が口を開いた。
「神威とは神の脅威となる存在。前にお前に話したじゃろ。お前は今は99.9%人間じゃと。そこにいる祓川もそうじゃ。
お前も前に一度、妾が強制的に神威にしたはずじゃろ」
「これはこれは。まさか自分一人で神威になれないとは。本当に抵抗出来ないのですね。もう少し遊べると思ったのですが、これでは一方的な蹂躙になるだけですね。ならば、せめて一思いに一撃で痛みもなくあの世へ送って差し上げます」
祓川は懐からナイフを取り出し、構えた。樹は逃げなければと思ったのだが、どうしても体が動かない。それに、万が一、このナイフを逃れられたとしてもすぐに追いつかれるのがオチだ。もう逃げ場などない。待っているのは「死」、それだけだった。そう思った樹は諦めて目を閉じた。最後に思ったことは、「露木だけは助けたかったな」それだけだった。
「さらば、少年。来世で頑張ってください」
振り上げられたナイフは樹目掛け振り下ろされた。
「……あれ?」
樹はゆっくりと目を開けた。体に痛みはなかった。死んだのか?と思っていたが、目に映った光景で自分が死んでいないということが分かった。
目に映っていたのは祓川のナイフを樹の顔に当たる寸前で止めていた裏神様の姿があったからだ。
「シャキっとせんか。そんな情けない顔をするでないわ。
本来、手助けするのはご法度なのじゃが、そうも言ってられない状況じゃ。
どうする? この男を倒す為にお前も神威になるしかない」
「…選択肢なんて初めからないようなもんですよ。…頼みます」
「ふっ、お前の言う通り、初めから選択肢なぞ、存在せんな。
…この状況をひっくり返して来い」
裏神様はそう言って祓川を止めている手と反対側の手を樹の体に突っ込んだ。




