神威
「…い、…きろ」
誰かの呼ぶ声がする。その声は段々と大きくなってきた。とうとう目を覚ました樹の目の前にいたのは裏神様だった。
「あれ? 裏神様じゃないですか。何をしているんですか?」
「…やっと、起きたか。
何をしているんですか? じゃないわ! いつまで寝ておるつもりじゃ。仕事の時間じゃぞ。はようせい」
「…は? 仕事ってなんですか? それに大体、今は何時ですか? そと真っ暗じゃないですか」
さっきまで寝ていたとは思えない樹の矢継ぎ早に繰り出される質問に裏神様は少しうんざりしたような顔をした。
「そんないっぺんに質問するでないわ!
病院で追々説明すると言うただろう。とにかく今から出かけるぞ。はよう支度せい」
急に支度と言われてもと思った樹はとりあえずスマホを手に取り時間を確認した。すると時刻は夜中の三時を回ったところだった。
「ちょ、ちょっと、まだ夜中の三時じゃないですか! 俺、明日から学校なんですよ!?」
「それと、妾の仕事になんの関係があるのじゃ? ほれ、もう行くぞ」
裏神様はそう言うと窓を開けて、今にも飛び降りそうに窓から体を出している。
「ちょ、ちょっと、ここ二階ですよ!? 飛び降りるつもりですか!?」
樹がそう言うと裏神様は呆れた表情を見せた。
「はぁ? 何を言っておるんじゃお前は。神様なんじゃから空を飛べるに決まっておるだろう。
そういうお前は飛べないのか?」
「いやいやいや、そもそも人間は生身で空を飛べませんよ」
「いやいやいやいや、そもそもお前は既に人間じゃないぞ。九割九分九厘の人間じゃ。今からその残りの一厘を発揮する時じゃ」
と裏神様に言われても樹は困惑するだけだった。発揮するも何も力の使い方など教わっていないのにどうやって発揮しろと言うのだろうか。
樹のそんな閑雅を察してくれた裏神様は、窓から出していた体を戻し、樹の方へ近づいた。そして、樹の前で止まり自分の右腕を高く突き上げた。
どこかで見た光景。樹が自分の中の記憶を探る前に裏神様は突き上げた右腕を樹の体に突き刺した。
相変わらず痛みは無いが、人の、いや神様の拳が自分の体に手首程の深さまで埋まっているのを見ると痛々しく感じる。
裏神様はその拳を何事も無かったかのように引き抜いた。この前、病院でそうされた時にはすぐさま気絶したのだが、今回は気絶することなく裏神様のことを眺めることができた。それが前回との違いだった。
いや、違いはもう一つあった。それは拳を引き抜かれてから十数秒経った時だった。体から力が溢れると言うか、今なら何でも出来るという感覚に襲われた。
「な、なんですか、これは」
「それは『神威』じゃ」
「か、かむい…?」
「神様の「神」に脅威の「威」と書いて神威じゃ。
意味は読んで字の如く、神様の脅威となる存在じゃ。その力は神にも匹敵するということじゃな」
「へぇ、…なんだかどんどん人間味が無くなってきますね。
それで、その神様にも匹敵する力を持った俺は何をすればいいんですか?」
「まぁ、それも説明してやるから、とにかく出発するぞ」
裏神様はそう言うと窓から飛び出した。樹も慌てて裏神様に続いて窓から飛び出した。落ちると思ったが、何時までも体が落ちるような感覚はない。特段、飛び方を教わったわけではないのだが、自分の脳が体に入れと命令するように、飛べと命令したら飛べるようになっていたという感じに近い。
空を飛ぶというのは何とも言えない気持ちよさがあった。ふわふわと空を漂いながら裏神様の元へ急いだ。
「どうじゃ? 空を飛ぶというものは」
「最高の気分です」
「そうじゃろ!? 何とも言えんよな!」
妙にテンションが上がった裏神様をさておき、樹は仕事の内容を聞いた。
「それで仕事と言うのは何をするんですか?」
「むぅ、妾のハイテンションは無視か。
まぁ、それは置いといて、仕事は妾の補助をしてもらう。
お前も知っていると思うが、妾は代償を払えば願いを叶える神様をしておる。
今、この街では妾に願いを叶えてもらいたいという人間が多くて、妾も手が回らないのじゃ。猫の手も借りたい状態という訳じゃな」
「まぁ、大体そんなところだろうとは思っていましたけど。
と言うか、一体何のために人の願いを叶えるんですか?」
樹がそう尋ねると裏神様は今日何度目かの呆れ顔をした。
「はぁ、質問が多い奴じゃの。
そんなの決まっておるじゃろ。信仰心を集める為じゃ。
神様というものは、信仰心の強さで己の力が決まるのじゃよ。
自分の社、つまり神社じゃな。神社があれば、こんなまどろっこしいことをせんでも一定数の信仰心が集まるのじゃが、妾のように社を持たぬ神はこうして信仰心を集めておるというわけじゃ。
それに、言ってしまえば信仰さえされていれば、何物も何者も神になれる。
例えば、の話じゃが、お前がもし、その辺に落ちている石ころを拾ってきて、毎日欠かさず祈りを捧げれば、その石ころにも神は宿る。ただ、このやり方で神を宿らせてしまえば後が面倒になるのじゃけどな」
「と言いますと?」
「何事にも順序が必要なのじゃ。本来、神を信仰するのならば、社を立て神楽を舞い、貢物を奉納して神様を迎える準備するのが普通なのじゃが、拾ってきた石に順序無視で神様を宿してしまえば、どうせ、後に妖怪になってしまい、石を拾ってきた人間やその一族まで呪いでころされてしまいかねん。
…ほれ、着いたぞ」
裏神様の話を聞いているといつの間にか今日の仕事場に着いたらしい。裏神様は一つの家を指差している。樹はその家に目をやっていると裏神様から今回の依頼人の名前と依頼内容を簡単に説明された。
依頼人は中学二年生の女の子。依頼内容は友達が欲しいとのことだった。
中学二年生と言えばうちの双子と同い年だな、と樹はぼんやりと考えていた。
裏神様の話によると、小学校を卒業すると同時にこの街に引っ越して来て、この街の中学に入学したものの、友達がなかなか出来ず、教室ではいつも一人寂しく思っているようだ。
払う代償は大胆にも「私の体から取れるものがあったら持っていってください」と書いてあるそうだ。
裏神様はそれを見て「従僕は一人で充分じゃからなぁ」と小さく呟いている。
と言うことは、樹がもしあの日、魂を差し出さなければ、この子が今の樹の立場にいたのかもしれない。
一人ぐらい増えても問題ないのでは?と思ってしまうのが正直なところなのだが。
しかし、裏神様はそんな樹の心情を読み取っていたらしく「管理が大変なんじゃ!」と一喝した。まだ、何も言っていないのに。
気を取り直して、樹は裏神様に何を持っていくのか質問した。
「そうじゃなぁ。今回は眼にしようかの」
「眼!? いや、それは流石に可哀想なんじゃ…」
「なんじゃ? それなら腕にするかの。いや、足でもよいな」
「ちょ、ちょっと! 何もそこまでしなくても!」
「はぁ…、分かっておるわ。何をそんなに狼狽えておるのじゃ。妾が今回貰っていくのは視力じゃ。眼球そのものではないわ。
友達を作るのならば、ちょっとの視力で大丈夫じゃ。
それに、眼球なんぞ持っていけば信仰心を集めるどころか、むしろ懐疑の念を集めかねん。妾もそこまで鬼ではないわ」
樹はホッと胸を撫で下ろした。初仕事でいきなり眼球を抉り取るとか、そんな重たいものを見せられたら困る。いや、初仕事じゃなければいいのかと聞かれればそうじゃないのだけれども。とにかく、大事にならないようでよかった。まぁ、本人からすれば視力が下がると言うことは大事なのかもしれないけど。
「ほれ、何をボサッとしておるのじゃ。もう終わったから帰るぞ」
裏神様はそう言って眠そうな顔をしながら欠伸をした。
「えっ? もう終わったんですか?」
「なんじゃ、本当に質問が多い奴じゃの。終わったと言っただろう」
「それじゃ、俺が来た意味は…?」
樹がそう言うと裏神様は少し考える素振りを見せた。
「…うーん、無いな。今日は出番が無かったというわけじゃ!」
そのにこやかな笑顔に少しばかり殺意を覚える。夜中の三時に叩き起こされ、無理矢理連れてこられたと思えば、今日の出番はない。
時間を返せと樹は思った。
「まぁ、そう怒るな。流石の妾でも時間は返せんよ。本気を出せばどうか分からんが。
今日こそ出番は無かったものの、お前には神に手出しが出来ない領域の問題をやってもらいたいのじゃ」
「意味がさっぱり分かりません」
「そのうち、それにきっと近いうちに分かるよ。
ふあぁ、とにかく今日はもう眠い。帰るぞ」
裏神様はそう言って樹の家に向かって進みだした。樹は慌てて後を着いていく。行きは長く感じたが帰りはあっという間に自宅に着いた。家に帰り着くや否や右腕を高く突き上げ、樹の体に拳を突き刺した。その手を引き抜くと樹の体から湧き上がっていた力が徐々に消えていくのを感じた。神威とやらが終わったらしい。
急に疲れがきた樹はベッドに倒れ込んだ。そしてスマホの画面を確認して驚いた。
「えっ!まだ三時五分!? 家を出発したのが三時だとしても二十分は経っていたはずなのに…」
「それは二割は神威のお陰じゃ。残りは妾のお陰。初仕事で遅くなってお前に文句言われても敵わんからな。出血大サービスと言ったところかの。
それじゃ、妾は寝るからな。また近いうちに来るよ」
裏神様はそう言って欠伸を一つすると、手をひらひらと振りながらどこかに消えていった。樹は裏神様に向かって「おやすみなさい」と言った。裏神様の姿が完全に見えなくなったのと同時に睡魔が襲ってきた。それに逆らうことなく目を閉じると、あっという間に樹は眠りに落ちた。




