オセロ
病院から車で約二十分程走り、瑞泉家に到着した。
きっと一人暮らしをして実家に帰って来た時の気持ちはこんな感じなんだろうな、とまだ見ぬ先のことを妄想しながら樹は我が家の玄関を開け、自分の部屋へと向かった。家の外見は全く変わっていないのだが、やはり妹が増えた所為なのか間取りが少し変わっている。とは言っても自分の部屋は特に変わっておらず一ヵ月前のままだった。ベッドの下に隠してある本も。
本があることを確認した樹はベッドに倒れ込んだ。
「ふぅ、何もしていないのに疲れた。
明日から学校か…。こうも長く休むと行くのも面倒になってくるな。
…よし、どうせやること無いし勉強でもするか」
そう言ってベッドから起き上がり勉強机へと向かった。鞄から教科書と参考書、それからノートを取り出して勉強を始めた。
勉強を開始してすぐスマホが鳴った。
「ん? …露木からメッセージか」
『退院おめでとう! 放課後家に寄るね!
双子ちゃんにもよろしく!』
露木らしいメッセージがスマホの画面に映し出されていた。
「退院おめでとうって、自分もついこの前まで入院していたくせに」
露木からのメッセージに「了解」と返事をして勉強を再開した。
勉強を開始してから二時間ぐらいが経った頃、扉をノックする音が聞こえた。「はーい」と返事をすると妹が入って来た。
「おっ、なゆどうしたんだ?」
「なゆってどっちの方ですか? 私も「なゆ」だし那由果も「なゆ」ですよ」
うっかりしていた。今まで妹は一人だけだったからなぁ、と思いつつ謝罪の言葉を述べて那由多に部屋に訪ねてきた理由を聞いた。
「と、特に理由はないのですが…、か、体は大丈夫かなって」
那由多はそう言って下を向いて手をもじもじさせている・
正直に言おう。ものすっっっっごっく可愛い。何この可愛い生き物。ついこの前まで「お兄ちゃん、話しかけないで」と、そんな雰囲気を醸し出していたくせに、ちょっと家にいなかっただけでこんななりますか普通。所謂、ツンデレってやつですか?
「ちょ、ちょっと、鼻息荒いです。キモいので近付かないでください」
樹はいつの間にか那由多に抱き着こうとしていたようで、寸前になって那由多に思いっきり突き飛ばされた。
「あっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。むしろ助かりました」
「よく分からないですけど、大丈夫ならよかったです。
それで今は何をしていたんですか?」
「あぁ、勉強していたんだよ。結構休んでいたから勉強しとかないと後で困るからな」
「そんなこと言う人間がまだこの世に存在していたんですね…」
「どういうことだよ。
ていうか、お前らは何をしているんだ? 俺のお陰で学校休めたんだろ?」
樹がそう言うと那由多は頬を膨らました。
「そんな言い方をしたら私たちがサボったみたいじゃないですか。公欠ですよ。公欠」
「はいはい、分かったから。
んで、結局何をしているわけ?」
「いえ、別に何もしていませんよ。
お父さんとお母さんはどこかに出かけたので、私とゆかちゃんはリビングでテレビを見ています」
「分かった。要するに暇だから構えということだな」
樹がそう言うと那由多は微笑んだ。
「はい! 正解です!
何しますか?」
那由多はまるで尻尾を振って喜んでいる犬の様だった。
「那由果はいいのか?」
「ゆかちゃんにも聞いたのですが、テレビを見ているからいいと言われましたので、私とお兄ちゃんの二人で遊ぶことになりますね。
…もしかして、私じゃいやですか?」
「全然嫌じゃないよ。
ほら、二人だけで遊ぶのと三人で遊ぶのじゃ、内容が変わって来るだろ?
今日は二人だから久しぶりにオセロでもしようかと思うんだけど、那由多もそれでいいか?」
那由多は少し考える素振りを見せて「はい、いいですよ」と答えた。
樹は早速、準備に取り掛かった。と言ってもそんなに時間がかかるものではない。あっという間に準備を終えると二人は対面になって座った。
「よし、準備できたし、早速一勝負といくか」
「望むところです。負けませんよ」
那由多は意気揚々と腕まくりをした。
じゃんけんの結果、先攻は那由多になった。那由多が一つ黒色の石を置いた。
「本当にこうしてオセロするのって久しぶりですね」
「確かにそうだな。最後は那由多が小学四年生ぐらいじゃないか?」
樹は白色の石を置きながら答えた。
「そうだった気がします。あの時はボコボコにやられましたけど、今回はそうはいきませんから」
「ほう、それは楽しみだな。
まぁ、返り討ちにしてやるよ」
それから熱い激戦が繰り広げらる展開に、なるはずだったのだが、十分もしないうちに決着はついた。
結果は言うまでもなく樹の圧勝。盤面上には那由多の石は一つもない。洗濯洗剤も驚きの白さだ。
樹は那由多の方を見ると悔しそうに下唇を噛みしめている。
「もう一回! もう一回です!」
「分かったよ。
でも何回やっても一緒だと思うけどな」
「その減らず口を叩きのめしてやりますから! 覚悟してくださいよ!」
そりゃ、完全に負けフラグだ。と樹は思いながら再び那由多と対戦した。
結果はもちろん樹の勝ち。盤面には四つほど那由多の石があるが、驚きの白さには変わりはない。
「どうしてそんなに大人げないの! 全然勝てないんですけど!」
「そう怒られても困るよ。
そりゃ、那由多が最初から俺の石をたくさん取り過ぎなんだよ。最初はじわじわ攻めて、中盤から一気に仕掛けて、終盤でトドメを刺すんだよ」
「むむむ、そんな卑怯な作戦があったのですね。ずるいですよ。
まぁ、種明かしをされたことですし、次は負けません、勝負です」
那由多と三回目の勝負。種明かしをしたと言っても詳しいことは全然話していない。それでも那由多は勝てると息巻いているようだ。
これ以上、自分が勝ってしまうと那由多の機嫌が悪くなるから負けてやるか、と思いながら樹は石を置いていく。
十五分ほどしてから決着はついた。結果は何故か樹の勝ち。
何こいつ、弱すぎる。角を三つも取らせてやったのに普通負けるか?
那由多の方を見ると、魂が抜けたように呆然としている。
「おーい、大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えますか?
たかが、遊びでこんなにムキになるのも馬鹿らしいと思いますが、流石にこうもコテンパンにされるとムカつきます」
「そう怒るなよ。
今度、何か買ってやるから」
樹がそう言うと那由多は不機嫌そうな顔をした。
「なんでもかんでも物で解決できると思ったら大間違いですよ!
そんなことばっかりしていると、いずれ彼女が出来た時に痛い目みますから!」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「…そうですね。とりあえず私にオセロを教えてください」
「どうしてそうなる。
まぁ、分かったよ。教えてやるよ」
樹がそう言った瞬間、部屋と扉がバンッと言う音と共に勢いよく開け放たれた。
「さっきから大きな声が聞こえてくるけどさ、何してんの?」
「何ってオセロだよ。那由果もするか?」
樹が尋ねると那由果は首を横に振った。
「いや、いいよ。私、テレビ見てるし」
那由果はそう言って樹の部屋を後にしようとした。すると那由多がそれを引き留めた。
「ちょっと、待ってよ。もしかしてゆかちゃん、オセロで負けるのが恐いわけ?」
「はぁ? そんなわけないじゃん。
いいよ。そこまで言うなら相手してあげるよ」
那由果はそう言って樹の部屋に足を踏み入れ、オセロ盤の前に座った。
「それで、どっちが先に私と勝負するわけ? まぁ、どっちでも結果は同じでしょうけどね」
凄い自信だ。本当にこの人格が那由多の中にあったのだろうか。
「じゃあ、まずお兄ちゃんから捻り潰しましょうかね」
樹がそんなことを考えていると指名が入った。
「負けても怒るなよ!」
「そ、そんな子どもじゃない!」
樹は既に少し怒っている那由果を宥めながら石を置いていく。やはり、那由多の人格を元に作られたというだけあって打ち方が那由多とほとんど変わらない。そうならば、那由多同様に進めていくだけだ。そうこうしていくと、あっという間に真っ白の盤面が出来上がった。
那由果は悔しそうに下唇を噛みしめている。こういうところまでソックリだった。
「ズルしたに決まってる! も、もう一回よ!」
「ちょっと休憩させてくれ。
次は那由多と那由果で勝負して、勝った方が俺と勝負っていうのはどうだろうか?」
樹がそう言うと双子はお互いの顔を見た。そして、お互いの顔を睨みつける。
「まぁ、ゆかちゃんぐらいなら、楽勝ですかね」
「それはこっちのセリフだしー、なゆちゃんとか弱くて相手にならないでしょ」
「なんだとー!」
「なによー!」
今にもキャットファイトが繰り広げられそうな雰囲気が漂っている。
「お、落ち着け二人とも。そういうのはオセロで決着をつけるもんだろ?」
「確かにお兄ちゃんの言う通りです。こんな雑魚すぐに倒してやるんだから」
「その言葉そっくりそのまま返してやる」
二人はそう言ってオセロ盤を挟んで睨み合いをしている。
そして、ジャンケンの結果、先攻は那由果、後攻は那由多の順番で勝負が始まった。お互いが時間をかけて慎重に石を置いていく。四十分程して後攻の那由多が最後の石を置いた。
二人はふぅ、と一息つき、お互いの石の数を数えていく。
「ふふっ、こりゃ勝ったね。
なゆちゃんの数は何枚かな?」
盤面を見るからに僅差の勝負をしているのに、那由果は余裕綽々の態度で那由多に尋ねた。対する那由多も勝ち誇ったような顔をしている。
「まず、人に尋ねる時は自分から言うのが礼儀ですよ。
まぁ、先に絶望感を与えるのも悪くないですね。
私の数は三十二枚です」
那由多がそう言うと那由果は驚いた表情を浮かべた。
「え? 三十二枚? 本当に?」
那由多は那由果の顔を見て、益々勝ち誇った顔を見せた。
「えぇ、そうですよ。そういうゆかちゃんは何枚ですか~?」
「私も三十二枚なんだけど…」
「えっ? 嘘だ」
那由多は素っ頓狂な声をあげた。
「本当に三十二枚なの?」
「うん、本当に三十二枚だよ」
二人はそう言った後に、もう一度自分の石の枚数を数え始めた。しかし、いくら数えても三十二枚しかない。
二人は困った顔をして樹の方を見た。
「…あのなぁ、オセロは八×八マスだから六十四マスしかないんだよ。だから、三十二枚で引き分けだぞ。二人が一緒の数になった時点で分かれよ」
樹がそう言うと二人は恥ずかしそうな顔をした。
「ぐぬぬ、引き分けがあるとは思いもしませんでした。
こうなればもう一回ですね」
「望むところだ!」
二人はそう言って再びオセロを始めた。それから七戦して結果は全戦引き分けで幕を閉じた。どうやったらこんなに器用なことが出来るのだろうか。
八戦目を始めようとした時、家のチャイムが鳴った。双子はオセロに夢中になっているので樹が玄関まで下りた。
「はーい、どちら様で、おっ、露木か」
玄関先にいたのはにこやかに笑っている露木だった。手には紙袋を持っている。
「やっほー! 調子どう?」
「調子はどうって聞かれても、至って普通だよ。
それより、そっちの方が大変だったんだろ? 露木の方こそ大丈夫なのか?」
「私? 平気だよ! むしろパワーが有り余っている感じかな?
あっ、上がるね」
「あぁ、すまん」
「双子ちゃんは?」
「あいつらは今、俺の部屋でオセロをしているよ。
今のところ七戦全引き分けとかいう訳の分からんことをしている」
「へぇ、器用な子たちだね。あっ、そうだ。シュークリーム買ってきたからみんなで食べようよ!」
露木はそう言って手に持っていた紙袋を強調した。中にはシュークリームが入っているのだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。
というか病院にしても今日にしても露木からは貰い物をしっぱなしだな。いずれ俺からもお返しするよ」
「いいよ、そんなに気を遣わなくて。私がしたいことをしているだけだから」
そんな会話をしながら樹の部屋に到着した。露木が部屋に入ると双子はオセロをしていた。こちらに気付かないほど真剣に勝負に取り組んでいる。
「おーい、双子ちゃーん」
露木が呼びかけるが気付く様子はない。
「おーい、シュークリームがあるよー」
シュークリームという単語が耳に入ったのか、双子は全く同じタイミングで露木の方を向いた。
「あれ、露木さん。いつからそこに居たんですか?」
「今さっき来たよ」
「そんなことより、本当にシュークリームあるの!?」
「もう、そんなに心配しなくても本当にあるから安心して」
露木は今にも飛びかかりそうな那由果を宥めた。
「それよりオセロの続きはしなくてもいいの?」
露木がそう言うと二人はオセロ盤を見た。そして少し考えるような仕草を見せ、再び露木の方を見た。
「今は一時休戦にします」
「うんうん、腹が減っては戦は出来ぬって諺もあるしね」
二人がそう言うと露木は声を上げて笑った。
それからは、四人で露木が持ってきたシュークリームを食べ、談笑をしながらオセロをして楽しんだ。
楽しい時間というのは本当にあっという間に過ぎていくもので、気が付けば日は落ち、窓の外は真っ暗になっていた。
「もう、暗くなっちゃったから私は帰るね」
露木はそう言って立ち上がった。
「もう、そんな時間か。
玄関まで見送るよ」
「そんな気を遣わないでよ。家も隣だし」
「いやいや、露木の言葉を借りれば俺がしたいことをしているだけだから」
そう言うと露木はバツが悪そうに笑った。
外に出ると、まだ外は若干の肌寒さを感じるような夜だった。露木は「また明日ね!」と言って手を振った。樹も「また明日」と言って手を振った。
露木が自分の家に入っていくのを見送ると樹も自分の家に入った。
家に入ると樹はすぐに母親に呼ばれた。どうやら晩ご飯準備ができたから双子を呼んで来いとのことだった。
樹は渋々了承して、自分の部屋に戻ると双子はまだオセロをしていた。
「おーい、母さんが飯だから降りてこいってさ」
「ちょっと待ってください。
今、いいところなんです。今なら勝てそうなんです」
と那由多が言うと、
「いやいや、何言ってるの?
どう見ても私の方が優勢でしょ」
と那由果が返した。
このままでは、また喧嘩が始まりそうだったので樹は二人の間に入った。
「分かったから、続きは飯食ってからにしろよ。
母さんを怒らせたら恐いのはお前らが一番知っているはずだろ?」
樹がそう言うと白の石を置こうとしていた那由多の手がピタっと止まった。
「そ、そう言えばそうですね。
ゆかちゃん、ここは一時休戦としましょう」
「そ、そうだね。
こ、このまま戦い続けていたら、お互いにいいことがないね」
強張った表情を見せた二人はオセロ盤をそのままにして階段を下りていった。樹のその後に続いてリビングへと向かった。
リビングに入り食卓の方へ目をやるとテーブルの上には豪華な料理が並んでいた。どうやら樹の退院祝いのようだ。
そんな豪華な料理の数々を見て双子は涎を垂らしている。さっき露木が持ってきたシュークリームを三個ずつ食べたくせに、まだ食べたりないらしい。きっと成長期なのだろう。
――
―
賑やかな食事を終え、風呂も済ませた樹は自分の部屋に戻って明日の準備をすることにした。
オセロ盤はというと双子に貸し出し、自分達の部屋でするようにと言い聞かせた。因みに勝敗は今のところ十五戦全引き分けらしい。本当に意味が分からない。
そんなこんなで明日の準備を終えた樹はベッドに横たわった。程なくして睡魔に襲われた樹はその睡魔に逆らうことなく眠りについた。




